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特集:第73回全日本大学野球選手権

仙台大学・阿部蒼太郎 学生コーチ転向も考えた苦労人の4年生、全国舞台で大学初安打

「3番・三塁」でスタメン出場した阿部(すべて撮影・川浪康太郎)

10日に開幕した第73回全日本大学野球選手権大会。2年連続4回目出場の仙台大学は星槎道都大学との初戦で9-0と大勝し、好発進を切った。「3番・三塁」に座った阿部蒼太郎(4年、柴田)は、リーグ戦通算で出場1試合、無安打の“伏兵”。9点リードの六回に公式戦初安打を放った。決してきれいな安打でも、勝利を左右するような一打でもなかった。しかし、阿部にとっては特別な「Hランプ」だった。

「ここまでやってきて本当によかった」

仙台大は、先発の左腕・渡邉一生(3年、日本航空/BBCスカイホークス)が自己最速152キロを計測するなど5回無失点と好投。三回に2点を先制した打線は、五回に打者一巡の猛攻で7点を奪い、大きくリードを広げた。

勝負の大勢が決した六回、1死一塁の場面で打席に立った阿部は、投手の前に転がるボテボテのゴロを放った。全力疾走で一塁を駆け抜け、判定はセーフ。スコアボードに「Hランプ」がともると、塁上で安堵(あんど)の笑みを浮かべた。

公式戦初安打をマークし、塁上で笑顔を見せた

「なんでもいいから『H』がついてくれたらいいと思っていた。ここまでやってきて本当によかった」。大学4年目、大舞台で放った公式戦初安打。喜びをかみしめた。

阿部は仙台大のある宮城県柴田町に隣接する大河原町出身。高校卒業後、関東の大学で野球を続けることも考えたが、体育の教員を志し、地元に近い体育大学である仙台大に進学した。仙台大硬式野球部には200人以上の部員がいる。阿部が頭角を現すまでには時間を要した。

主戦場は“Cチーム”、もがき苦しんだ3年間

阿部の1、2年時の主戦場は、「2軍」に相当するBチームのさらに下のCチーム。リーグ戦はおろか、新人戦の出場もかなわなかった。3年夏に初めてBチームに昇格するも、それ以上のチャンスはつかめずに3年の秋を終えた。阿部の心にある迷いが生じる。

「ずっと下にいて、腐ることはなかったですけど、正直、『4年生までやって何も残らずに終わるのかな』という気持ちはありました。それで3年秋が終わった時点で、学生コーチをやろうと考えるようになりました。選手としてチームに貢献できる可能性は低いから、裏方に回って貢献した方が自分のためにもなると思ったんです」

三塁の守備も無難にこなした

ただ、選手を続けたい思いと学生コーチに転向したい思いは、「半分半分」だった。腐らずに努力する姿を見続けてくれた指導者からも「絶対に続けた方がいい」と背中を押され、最終的には選手継続を決意。勝負の大学ラストイヤーに臨むこととなった。

チームを救ったリーグ戦後、監督「今日の光は阿部」

今年の5月19日、春季リーグ戦第6節の東北工業大学2回戦でついに公式戦デビューを果たした。しかもスタメンの「6番・三塁」。安打こそ出なかったものの、二回に逆転につながる犠打を決め、好守で失点を防いだ。「緊張しましたけど、この緊張を味わえるのは9人しかいないと考えると、すごくうれしかった」。努力が報われた瞬間だった。

三塁の守備位置から声を出し、投手を鼓舞する阿部

この試合は2-1の辛勝。天王山・東北福祉大学戦を前にした最後の一戦だったこともあり、試合後の取材中、森本吉謙監督は「やってはいけないことが随所に出ている。こんなことをやっていたら絶対に勝てない」などと厳しい言葉を並べた。

そんな指揮官が唯一表情を緩めたのが、阿部の話が出たとき。「阿部だけは今日のゲームの光。ずっと下で苦労していた人間が抜擢(ばってき)されてチームを救うのが、うちのストロングポイントだと思う」と胸を張った。

三塁が本職ながら、肩を痛めて指名打者や代打での出場が続いた主将・小田倉啓介(4年、霞ヶ浦)も、リーグ優勝を決めた直後の取材で「今まで試合に出ていなかった選手がチームを救ってくれた」と感謝を口にした。森本監督は日頃から、レギュラー外の選手を「切り札」と表現する。阿部は間違いなく、監督が自信を持って切れる切り札へと成長した。そして、自身が3年間一度も思い浮かべられなかった「選手として貢献する」未来が、現実になった。

苦楽をともにした仲間の声援「泣きそうになりました」

全日本大学野球選手権初戦の当日は、アップを始める直前にスタメン起用を知らされた。直近の練習試合で結果を残していたこともあり予想はしていたが、「まさか3番とは」と驚いた。

第3打席は死球で出塁し得点につなげた

東京ドームのグラウンドに立つと、リーグ戦の時と同様、緊張に襲われた。それでも、仲間が詰めかけるスタンドに目をやると、気持ちが安らいだ。「ずっと下で一緒にやってきた選手ばかり。応援してくれるのがうれしくて、泣きそうになりました」。涙をこらえ、「頑張れ」の大声援を背に、全力でプレーした。

苦楽をともにした同期や後輩には、裏方に回った選手もいれば、野球自体をやめた選手もいる。プレー中はグラウンドに立てなかった仲間の姿が頭に浮かぶ。だからこそ、力を込める。

「スタンドのみんなや一緒に野球をやってきた同期がたぶん、一番応援してくれていると思う。みんなの思いを背負って戦います」

戦いはまだ始まったばかり。仲間の期待に応えるため、何度でもチームを救ってみせる。

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