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特集:2024年 大学球界のドラフト候補たち

富士大学・安徳駿 母子家庭で育ち、覚悟を持って福岡から岩手へ 母に誓う「恩返し」

ドラフト候補としても注目される富士大の安徳(すべて撮影・川浪康太郎)

富士大学には今秋のドラフト候補が多く在籍している。最速152キロ右腕の安徳駿(4年、久留米商業)もその一人だ。昨年全国デビューを果たすと、今春のリーグ戦では最優秀防御率賞とベストナインのタイトルを獲得。高校時代は最速136キロだった球速が大幅アップするなど、大学で着実に成長を遂げている。「母子家庭で育ったので、プロ野球選手になってお母さんに恩返ししたい」と安徳。幼少期から抱き続けた夢が、少しずつ現実に近づいてきた。

「野球をしている姿が好き」背中押した母の言葉

福岡県久留米市出身。野球経験者の父とソフトボール経験者の母の影響でバッティングセンターに通ったり、キャッチボールを楽しんだりしているうちに、野球が好きになった。小学1年から本格的に野球を始め、中学時代に所属した軟式のクラブチームを経て久留米商業に進学。地元で白球を追い続けた。

小学2年の頃、両親が離婚。母・文子さんのもとで3人兄妹の長男として育った安徳が当時を回顧する。

「金銭的な苦労は目に見えてわかりますし、『道具が欲しい』とかは言いづらかったです。友だちが高校生になる時や大会前の時期などに新しいグローブを買ってもらっているのを見るとうらやましかったんですけど、我慢していました。でも、お母さんが仕事を頑張っている姿を見ると『結果で恩返ししないといけない』と思えた。野球を頑張る理由の一つでした」

母の頑張りを原動力に野球を続けてきた

「元気な人」だという文子さんが、子どもの前で弱音をはいたことは一度もなかった。「野球をしている姿が好き」。そう言って、いつ、どんな時でも一番の味方でいてくれた。母の応援を力に変えた安徳は自然と、「プロ野球選手になる」未来を思い描くようになった。

YouTubeの投球動画に、富士大監督が〝一目ぼれ〟

高校時代は制球力を武器に、早い段階から頭角を現したが、2年秋に右ひじを痛め、コロナ禍も相まって3年時は伸び悩んだ。痛みは長引き、高校最後の夏は2イニングを投げるのが精いっぱい。平均球速は130キロ前後にとどまった。

当初は、本来の力を出し切れない中でも声をかけてくれた九州の大学に進学するつもりだった。しかしある日、久留米商業の中村祐太監督に富士大を勧められた。YouTubeに投稿されている安徳の投球動画を見て興味を持った富士大の安田慎太郎監督が、中村監督に電話で連絡を取っていたのだ。

安田監督は「あの年はコロナ禍だったこともあって、YouTubeでいろいろな都道府県の大会名を検索して試合の映像を見ていました。結構な数の選手の中から安徳を見つけて、『バランスと指先のかかりがいい。球質は間違いないから、あとは球速が上がればなかなか打てない真っすぐになる』と感じたんです」と話す。思わぬかたちで縁がつながった。

安徳はプロ入りを見据えて富士大への進学を決めたが、地元を離れる直前まで不安は消えなかった。「ひじが痛い状態は続いていたので、まともに野球ができるかどうかもわからなかった。大学に行くとなると授業料や移動費もかかりますし、『大丈夫かな、行っていいのかな』という気持ちでした」

そんな時も、文子さんの言葉が励みになった。いつものように「行っておいで!」と明るく背中を押され、遠く離れた東北の地へと向かった。

富士大に進学する決め手となったのも、母の言葉だった

年々球速アップ、全国大会を経て変化球も進化

大学ではけがを治すとともに、下半身を中心としたウェートトレーニングやプライオメトリクストレーニングに励んで身体能力を上げた。4年間でベンチプレスやスクワットの数値が大幅に向上。並行して1年時は141キロ、2年時は145キロとコンスタントに球速が伸び、3年時は全日本大学野球選手権と明治神宮野球大会で150キロ台をたたき出した。

大学ラストイヤーに向けたオフの期間は変化球の強化にも取り組んだ。もともとキレのあるスライダーやカットボールを持っていたが、明治神宮大会で投げ合った青山学院大学の常廣羽也斗(現・広島東洋カープ)が速球とフォークを織り交ぜた投球で富士大打線を苦しめているのを見て、「落ちる球」の必要性を痛感。チェンジアップを磨き、以前から習得を試みていたスプリットも実戦で使えるレベルまで押し上げた。

今春はリーグ戦で先発デビューを果たした。タイトルこそ獲得したものの、本人は変化球の精度に課題を感じており、チームが優勝を逃したこともあって悔しい春になった。一方、開幕2戦目の青森中央学院大学戦で143球完投勝利を挙げるなど、長いイニングを投げて試合をつくる力は証明してみせた。

けがを治してトレーニングに励み、球速も向上

「負けたくない」と心を燃やす2人のライバル

富士大投手陣の存在も刺激になっている。特に「負けたくない」と強く意識するのが、同期の佐藤柳之介(4年、東陵)と長島幸佑(4年、佐野日大)だ。2人とはライバル関係でありながら、トレーニング方法や投げ方を教え合うなど切磋琢磨(せっさたくま)する仲。佐藤と長島もプロ志望とあって、安徳は「3人でプロに行くなら、一番上の順位で行きたい」と対抗心をのぞかせた。

そして今でも、「野球をしている姿が好き」と言ってくれる母への思いが最大の原動力だ。大学進学後、文子さんが安徳の登板を直接目にしたのは、昨年全国大会に出場した際の1度だけ。「お母さんに、プロの世界で投げている姿を見せたい。今までしてもらったことが多すぎるので、恩返しして楽させてあげたいです」。感謝を忘れず、夢をかなえるべくマウンドに立ち続ける。

母を楽にするためにも、プロをめざす意志は堅い

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