野球

「2人でレギュラーに」北海道から京都国際に入学 分かち合った歓喜

一塁前にバント安打を決めた京都国際の沢田(撮影・小林一茂)

 (23日、第106回全国高校野球選手権大会決勝 京都国際2ー1関東第一=延長十回タイブレーク)

立教大・丸山一喜 春夏連覇めざした大阪桐蔭の4番、口に出し続けた「日本一」の意味

 憧れた甲子園で、しかも初優勝。京都国際の一塁手、高岸栄太郎の胸元に掲げられた金メダルが光る。「こっちに来て、よかったな」。自然と顔がほころんだ。

 北海道千歳市出身。祖父の家には、甲子園に憧れた原点があった。1993年の第65回選抜大会に、駒大岩見沢の控えの外野手として出場した父の智浩さんが使っていたグラブと、甲子園の土だ。それを見て、自分も野球を始めた。

 父は「甲子園の話はしたくない」とあまり教えてくれなかった。でも、その中で強く印象に残っている言葉があった。

 「甲子園は本当にいいところ。行ったら人生が変わる場所だと思うから」

 父にそこまで言わせる甲子園に自分も行きたい、と想像を膨らませてきた。

 中学へ入ると、強豪校が集まる近畿地方の高校への進学を考えるようになった。21年の選抜大会で、初出場ながら守備からリズムを作り、ワンチャンスで得点する京都国際の姿に魅了をされた。興味が湧き、動画やインターネットで学校のことを調べ始めた。

 「一つ一つの練習に意味があって取り組んでいる。そういう野球をやってみたかった」。父に相談すると、「自分の行きたい高校に行って勝負してこい」と賛成してくれた。

 ちょうど、北広島リトルシニアでチームメートだった沢田遥斗も近畿地方で野球をやりたがっていると知った。「一緒に行かないか」と誘った。

 京都国際への入学が決まり、同じ日に入寮し、約束した。

 「2人でレギュラーになって頑張ろう」

 ただ、突然の環境の変化に最初は戸惑った。まず、北海道とは暑さが違った。さらに、ホームシックになった。当時は携帯電話も持っておらず、親とあまり連絡を取れなかったからだ。沢田の部屋で「一緒に辞めようか」と話したこともあった。

 それでも1週間もすると、他のチームメートとも打ち解け、寂しさは消えた。寮生活にも慣れた。沢田とも、野球の話や雑談が多くなった。

 春に続いて、この夏も甲子園にやってきた。自分は背番号「3」で、沢田は「8」で。2人でレギュラーになってプレーすると約束した2年前の夢には、初優勝という続きがあった。

 本当に人生が変わった。「仲間の大切さ、応援してくれる人への感謝の気持ち。そういうところが本当に実感できた」

 ひとしきり喜んだ後、北海道から一緒に京都へ来た一番の仲間とベンチで抱き合った。「ありがとう」の意味を込めて。

(大坂尚子)

=朝日新聞デジタル2024年08月23日掲載

朝日新聞デジタルで読む(会員登録が必要です)

in Additionあわせて読みたい