法大・山城航太郎 最速154キロの隠れた逸材、山下舜平大と同じ舞台へ最終アピール
東京六大学秋季リーグで9季ぶり47度目の優勝を目指す法政大学。ドラフト候補のWエース、篠木健太郎と吉鶴翔瑛(ともに4年、木更津総合)はもちろんのこと、春にブレークした安達壮汰(4年、桐光学園)など4年生を中心に選手層が厚い。春は4位に終わったものの、チーム防御率は2番目となる「1.93」を記録した。
その中でも隠れた逸材と言われるのが、山城航太郎(4年、福岡大大濠)だ。リーグ戦のデビューは3年秋。今春も登板は3試合で3イニングと少ないものの、最速154.7キロの速球を投げ込み、ポテンシャルはチーム1と言っても過言ではない。
高校2年の夏まで野手に専念、新チームで投手兼任
山城は福岡県出身ということもあり、幼い頃からソフトバンクのファン。小学2年で野球を始め、福岡市立高宮中学の軟式野球部に進んだ。「市の2回戦くらいで負けていた」と強豪ではなかったが、2年の冬に福岡県選抜に選ばれ、後に高校でも一緒となる山下舜平大(現・オリックス・バファローズ)とチームメートに。もともと隣の中学で、監督同士が仲が良かったこともあり、月に1度は練習試合を行うほどの交流があった。
福岡県選抜では投手と内野手を兼任し、全国大会で準優勝を果たした。野球日本代表「侍ジャパン」U-15代表として「第9回 BFA U-15アジア選手権」にも出場。メンバーには、現在プロの世界で活躍する内山壮真(現・東京ヤクルトスワローズ)や根本悠楓(現・北海道日本ハムファイターズ)もいた。ただ、山城自身は「(メンバーの中で)全然下のレベル。大事な試合で使ってもらうこともなかった」と目立った活躍はできなかった。
福岡大大濠には、山下がずっと進学したいと話していたことや、中学3年の春の甲子園でベスト8に進出したことへの憧れもあって、自然と決まった。1年夏から外野手として出場し、同年秋の新チームからはショートに定着。しかし「ピッチャーの方が楽しくて、自信があった。野手は大学に進むとバットが金属から木製に変わるハンディがつくが、投手はそのままいける。プロに行きやすいのはどっちかと考えた時に、ピッチャーじゃないかなと思っていた」と山城。本心としてはずっと投手としての出場を望んでいたが、同期には山下だけでなく、深浦幹也(現・中央大学4年)、1学年下には毛利海大(現・明治大学3年)がいたこともあり、2年夏までは内野手に専念していた。
2年の夏は福岡大会の準々決勝で下村海翔(現・阪神タイガース)を擁する九州国際大付に敗れ、新チームでは主将になった。ここから念願だった投手も兼任。180cmを超える長身を生かし、山下をも上回る最速146キロの直球を投げ込んでいた。冬場の練習では常に山下とペアを組み切磋琢磨(せっさたくま)した。一緒に過ごす中で感じたのは、山下のストイックさだ。食事やトレーニングの量と頻度に驚かされた。特に印象深いと振り返るのは、夏の福岡独自大会の決勝で敗れた翌日のこと。引退した3年生は海に遊びに行くことが恒例となっていたが、山下だけはグラウンドで後輩と練習。すでに次を見据え、プロに行くまでほぼ毎日練習に励んでいたという。
「今までの野球人生で経験したことがない」ほどの不調
「自分を客観的に見て『金属でしか打てないんだろうな』と思ってて、この先大学で自分がバッターとして活躍できるっていう未来が、まったく見えなかった。本格的にピッチャーに専念したことがなかったから、面白いんじゃないかな」と法政大では投手に完全転向した。しかし、入学後すぐに「今までの野球人生で経験したことがない」と語るほどの不調に陥った。
最速150キロ近い直球は130キロ台しか出ず、ストライクも入らず、フォームも分からなくなった。篠木や吉鶴をはじめとしたスポーツ推薦の同期は、AチームやBチームで活躍する中、自分だけCチームにいるという状況に焦りもあった。「自分が自分じゃない感覚。本当に野球が嫌いになった」ともがき苦しんだ。原因については「今まで何も考えずに投げていたことだと思う。自分のフォームで『ここがポイント』ということを理解してなかった」と自己分析。1年冬に加藤重雄・前監督の指導を受けると、徐々に復調。2年春のフレッシュトーナメント決勝で、明治大を相手に7回途中自責点0の好投を見せ、優勝に貢献した。
順調に投手としてのキャリアを歩み出したように見えたが、3年時には春先の実戦初登板で左脇腹を負傷した。野球人生で初めての故障を経験し、トレーニングなど練習に対する意識を変えて取り組むと、3年秋、ついにリーグ戦デビュー。2戦目となった東京大学戦では自己最速の153キロも計測し、一気に注目を集める存在となった。
髙村祐・助監督との出会い、最速154.7キロへ成長
最上級生となりチームは変化した。助監督だった大島公一氏が監督に就任し、助監督には法政大のOBで、15年以上もNPBの投手コーチを務めた髙村祐氏が就いた。髙村助監督は山城について「真っすぐの角度が魅力。そこに加えて球速もある。もっといろんなトレーニングに取り組めば、もっと上の段階にいける」とポテンシャルを評価する。
山城の得意球はスライダーだったが、髙村助監督の助言もあり、これまで試合で使えるレベルではなかったフォークを磨いた。「今までと違う握りを提案されて、『まったく同じ感じで投げてみろ』って言われたら、ボールがよく曲がったり、落ちたりした。フォークはあんまり良くなかったけど、髙村さんに握りを教えてもらってすごく落ちるようになった。その人にあった投げ方での握りっていうのを見つけてくれるので、それがすごいなと思う」とうれしそうに語った。
春のオープン戦では毎試合のようにベンチ入りし、主にリリーフとして最終回を任された。打ち込まれる試合もあったが「どっちにしろ投げないといけない存在なんだから」と髙村助監督からも背中を押され、調整を続けた。しかし今春のリーグ戦はわずか3試合、3イニングの登板。150キロ超も複数回計測し、コントロールも乱れることなく、無四球無失点だったが、もともと投手の層が厚いこともあり、登板機会に恵まれなかった。それでもメディシンボールなどを使って投球時の体の使い方を意識したトレーニングを積んだことで、球場のトラックマンでは目標としていた155キロにあと一歩と迫る、154.7キロをたたき出した。
六大学制覇とプロ野球選手、二つの夢を追う
この夏は「フォークのレベルアップ」をテーマに掲げた。春は有利なカウントでしか投げられなかったと言い、勝負どころで三振を奪えて、カウントも取れる球種にするために指の力を鍛えるなど、明確な課題を持って取り組んだ。成果はオープン戦でも早速表れており、落差の大きなフォークで空振り三振を奪うケースが増えている。
大学最後のリーグ期間中、10月24日にはプロ野球ドラフト会議が控えており、プロ志望の山城にとっては最後のアピールチャンスとなる。自身の魅力については「体やフォームがまだ完成してないので、もっと上のレベルにいけるんじゃないかなって思っている」と即答。最後の秋の目標は、入学後まだ一度も達成していない「優勝」と神宮のスピードガンで155キロを計測すること。自他ともに認めるポテンシャルの高さで、六大学制覇とプロ野球選手の二つの夢を追う。