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特集:2024年 大学球界のドラフト候補たち

法政大・吉鶴翔瑛 篠木健太郎と切磋琢磨し、山下輝から授かった新しい変化球を武器に

法政大の中心となった吉鶴はドラフト候補としても注目されている(撮影・スポーツ法政新聞会)

昨秋から吉鶴翔瑛(3年、木更津総合)は法政大学投手陣の中心となった。エースの篠木健太郎(3年、木更津総合)が右肩の疲労で途中離脱したなか、全14試合中9試合に登板。先発、抑え、さらには中継ぎとフル回転だった。2020年春以来の東京六大学優勝に向けて、キーマンとなる「左のエース」はドラフト候補としても注目されている。

法政大・篠木健太郎 右肩の張りから復帰、ドラフトイヤーは個人もチームも「1番」を

父はロッテなどで活躍、現在はソフトバンクのコーチ

福岡ソフトバンクホークスの吉鶴憲治コーチを父に持つ。吉鶴憲治氏はNPBの選手時代、千葉ロッテマリーンズ などで捕手としてプレー。現役通算389試合に出場した。

吉鶴翔瑛が物心つく頃、父は千葉ロッテでコーチをしていた。野球は身近な存在で、ごく自然にボールを握った。3歳上の兄も野球をしていた。作られた左腕ではなく、生まれつきの左利きだったという。「いきなり左で投げたそうです。ただ、箸やペンはもとから右で持っていたと聞いてます」

父はたまにキャッチボールの相手をしてくれた。英才教育をするタイプではなく、「聞けば教えてくれる、そんな感じでしたね」。それでも随所でアドバイスをもらい、昨年末に帰省した際は「プロになりたいのなら、ドラフト1位を目指せ」と言われたという。4位指名だった父は、「ドラ1」がプロでチャンスを多くもらえることを目の当たりにしていた。

父の言葉から「ドラフト1位指名」を目指すように(撮影・スポーツ法政新聞会)

本格的に投手になったのは木更津総合高に入学してから。千葉北リトルシニアに所属していた中学時代は一塁手を兼務していた。木更津総合の同期には法大でも一緒になった篠木がいた。吉鶴は篠木との関係についてこう話す。

「高校の時はどちらが『背番号1』を付けるか競うなかで、高め合っていました。彼と出会えたのは大きかったです。今年は(エースが投げる)1回戦の先発を争いますが、いまはライバルという意識はないですね。もう7年目の付き合いですし、通っているジムも同じ。多くの言葉を交わさなくても互いのことはわかります。2人で5勝ずつして、優勝に貢献したいと思ってます」

インサイドを突くきっかけになった一戦

吉鶴は一つずつ、レベルアップしてきた。ターニングポイントもあった。高校2年秋の千葉県大会だ。当時は好不調に波があることが課題だった。先発を託された千葉明徳高との2回戦で露呈。チームは勝ったが、投球のまとまりを欠き、四球を出したところで降板を告げられた。

このままではチームからの信頼を失ってしまう。危機感を覚えた吉鶴は「チャンスをください。次の試合で投げさせてください」と、五島卓道監督に願い出た。初めてのことだった。すると五島監督から一つの条件を出された。「右、左、どちらの打者にもインコースを突けるなら、と伝えられました」

3回戦の東海大浦安高戦。先発のマウンドに立った吉鶴は、しっかり腕を振ってインサイドを突いた。「3回戦までの1週間、ずっとその練習をしてました」。結局、最後まで得点を許さず、完封勝利。殻を破ることができたのだ。「内角を突けるようになったのはそれからです」

ストレートの球速が一気に上がったのは、大学入学後から2年生になるまでの1年間だ。最速がそれまでの141キロから149キロにアップした(現在の最速は151キロ)。

高校では自ら願い出た試合で完封勝利。自身のターニングポイントになった(撮影・スポーツ法政新聞会)

「理由の一つはトレーニングかと。高校では走り込みが中心で、木更津総合はとにかくものすごく走るんです。ウェートをするようになったのは大学からですが、高校で作った下地とうまくかみ合ったのだと思います。それと、フォームを修正しました。力を発揮できる股関節のポジションを見つけ、沈み過ぎていた重心をそこまで下げなくしたんです」

力感のないフォームで威力のあるボールをめざす

力感のないフォームに変えたのは大学3年の夏。それまでは、スピードや球威を上げるには、思い切り腕を振らなければならないと認識していた。だが、ある時から、あまり腕を振らなくても強いボールがいくように。その感覚をつかんだのだ。「打者を相手に投げてみると、以前と球速は変わらないのに、(打者が)差し込まれていると感じました」

フォームはまだまだ進化させていくつもりだ。明確なテーマも持っている。

「より球の出どころを見えづらくしたいです。打者に最後まで胸のマークを見せないで、いきなりボールが出てくるイメージです。そのためには、下半身が出ていく時にすぐに上半身が回らないよう、常に『割れ』が作れていなければなりません」

スピードについては何キロという目標はなく、アベレージを上げたいという。1球でも155キロが出れば、「155キロ左腕」になるが、実戦では平均スピードの高さが求められる。

求めるのはスピードよりもアベレージの高さだ(撮影・スポーツ法政新聞会)

スライダー、チェンジアップなどがある変化球で、大学で新たに習得したのがツーシーム。授けてくれたのは、木更津総合でも3学年先輩で、同じサウスポーの山下輝(現・東京ヤクルトスワローズ)だった。「山下さんは1年生の時、合宿所で同部屋でした。とてもストイックで、毎晩10時には寝てました。周りに流されない、その姿勢はとても勉強になりました」

もう一人、リスペクトしている左腕がいる。福岡ソフトバンクホークスの和田毅だ。

「力感がないように見えるフォームは僕のお手本ですし、43歳のいまも現役で投げている。自己最速を更新したのは40歳を過ぎてからですし。今年の自主トレの動画を見させてもらいましたが、走ることも食べることも、すべてにおいて意識が高いと感じました」

髙村祐・助監督が伝えるのはヒントだけ

吉鶴にとってドラフトイヤーとなる今年、プロのレベルをよく知る髙村祐氏が助監督に就任した。元投手の髙村助監督は法大時代、大島公一監督の2学年後輩にあたる。ドラフト1位で近鉄バファローズに入団。新人王になるなど活躍し、NPB通算83勝を挙げた。

現役引退後は、2007年から東北楽天ゴールデンイーグルスのコーチとなり、昨季まで福岡ソフトバンクでコーチを務めていた。プロでの指導歴は17年に及ぶ。

「このタイミングで髙村さんに出会えて良かったと思ってます」

髙村助監督の就任を自分の糧にする(撮影・上原伸一)

髙村助監督と吉鶴はもともと縁があった。父の憲治氏とは同じ球団でコーチをしていたからだ。「その頃から僕の投球を見てくれていたと聞いてます」。今年2月に合流した髙村助監督とは、毎日いろいろな話をしているというが、何か質問しても答えを明かさないという。

「低めに強いボールを投げるにはどうすれば? と聞いた時も『どこを使えばいいかは、フィールディングの時もヒントがある』と」。答えは自分で見つけてこそ、自分のものになる。髙村助監督はそう考えているのだろう。

昨秋はリーグ3位の防御率(1.87)をマークし、33回3分の2を投げて35三振を奪った。「手応えは感じましたが、宿題も残りました。3勝しましたが、早稲田大学戦も明治大学戦も1回戦の先発を任されながら、チームを勝たせる投球ができませんでしたし……」。一方で、初めてフルシーズン、中心投手として経験を積めた。今年は「負けない投手」になって優勝に導き、自身の評価を高めていくつもりだ。

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