野球

特集:駆け抜けた4years.2023

性格は正反対、転機のコロナ禍 東京六大学主務、大河原すみれ×宮本ことみ対談(上)

2022年シーズンに野球部の主務を努めた立教大の大河原すみれ(左)と法政大の宮本ことみ(すべて撮影・井上翔太)

今季、歴史と伝統ある東京六大学野球リーグで、2人の女性が「主務」(マネージャーの責任者)を担った。立教大学の大河原すみれ(4年、湘南白百合学園)と法政大学の宮本ことみ(4年、法政)だ。ともに両校にとっては「初の女性主務」で、東京六大学としては、2017年11月に慶應義塾大学で初の女性主務が誕生して以来となった。

「女性主務」という注目を浴びながら、チームの様々な業務もこなしつつ、リーグの運営にも深く関わるなど、多忙な日々を過ごした2人。激動の1年を振り返ってもらうとともに、マネージャーとして駆け抜けた4年間について話を聞いた。

お互いの存在が大きな励みになった

「すみれ」

「ことみ」

互いに下の名前で呼び合う2人。絆が深まったのは「女性主務」になってからだという。

「これまでの主務は、少なくとも高校時代まではプレー経験がありましたが、私にはなく、引け目も感じていました。そんな私が指示を出してもいいものかと……。悩んだ時に真っ先に相談していたのがすみれでした。(東京六大学)同期の主務にすみれがいたから、やり通すことができたんだと思います」(宮本)

「主務という立場ではありますが、果たして自分が言っていいものなのか……と自信がないとき、いつも背中を押してくれたのがことみ(宮本)でした。ことみの言葉で、それでいいんだな、間違っていないんだなと、勇気をもらいました。ことみの存在は大きかったですね」(大河原)

笑顔で進んだ対談。2人の仲の良さをうかがわせる

オフには一緒にプロ野球の観戦に行くなど、プライベートでも同じ時間を過ごした2人。ただ、宮本いわく「性格的には正反対。学校のクラスが一緒でも接点はなかったかもしれません」。宮本が一貫して「運動部」だったのに対し、大河原は高校までは「文化部」と、対照的な道を歩んできた。

3歳上の兄が明治大学の野球部員だった宮本は、子どもの頃からよく兄の野球を見に行った。体を動かすことも好きで、小学時代は器械体操を、中学ではバスケットボールに打ち込んだ。そして、法政大高で選んだのが、野球部のマネージャーだった。

「一番厳しいところに身を置きたかったんです。はじめは、体操をしていたのもあり、チアリーディング部に入ったんですが、自分には合わないと感じ、野球部に入りました」

中学では部の中心選手。裏方のことはまるで知らなかった。いわゆるお手伝いの毎日に、チームに貢献している実感が湧かなかったという。「自分の存在意義を疑ったこともありましたね」

高校野球の指導者を父に持つ大河原も、幼い時から野球は身近だった。「父が監督をしている学校の応援に行くのが、家族の恒例行事でした」。一方で、小学校から女子校育ち。高校では演劇部に所属し、部長兼演出を務めた。

男女関係なくできることをやりたい

「文化系」だったものの、野球が好きという思いはずっと持っていた大河原。立大に入学すると、野球部の門をたたいた。「面接では溝口智成監督から『本当に大丈夫か?』と心配されました」と明かすが、いきなりの「男の世界」にも戸惑いはなかったという。むしろ、女性扱いをされることに違和感を覚えた。

「机とか重たいものを持つ時、同期が気を遣って『持とうか?』と言ってくれるのですが、それがかえって……。女子校ではみんな、自分のことは自分でやっていたので」

それは断りの意思を示すことで解決したが、マネージャーのライフスタイルに慣れるまでは時間がかかった。寮生活も初めてのことだった。

「1日の仕事が終わるのは夜の9時半頃ですが、1年生は朝6時30分にマネージャー室にいなければなりません。当然ながら、朝から晩までずっと野球部員と一緒です。授業で学校に行く以外にプライベートの時間がない経験をしたことがなかったので、それがしばらくはきつかったですね」

入部直後を振り返る大河原すみれ

宮本は法大でも野球部を選んだ。「サークルに入るのも頭をよぎったんですが、体育会でより充実した4年間を送ろうと」。役割は同じマネージャー。しかし、高校時代のマネージャーとはまるで違った。大学では文字通り、チームのマネジメントをすることが求められた。

「高校での経験もほとんど役に立たなかったです。例えば、祝電を一つ送るのもそのやり方がわからず、私は何も実務ができないと、思い知らされました」

実務は覚えていくしかなかったが、ほどなく、女子マネージャーが特別扱いされていることに気が付いた。

「男子のマネージャーは寮生活ですが、女子マネは通いなので、集合時間も解散時間も違いました。まだ仕事は残っていても『女子マネはもう帰っていいよ』と。同期の男子は次々に中枢の仕事を振られてましたが、私は任せてもらえませんでした」

大河原も同様のジレンマを抱えていた。1年生のマネージャーとして春、秋のシーズンを経験。仕事にも慣れた中、「男女関係なくできることをやりたい」という気持ちが芽生えてきたのだ。しかし、その時点では、自分が主務になるとは考えもしなかった。「そもそも女子にはチャンスがないと思っていました」

コロナ禍で訪れた2人の転機

2人に転機が訪れたのは、もうすぐ2年生になる春の頃。新型コロナウィルスが初流行し始めた時だった。

宮本はこう振り返る。

「春キャンプを終えたくらいから、日本でもコロナが深刻な問題になりまして。多くの人と接する電車で通っている女子マネは(当時はそれだけで感染する確率が高いと見られていたことから)チームに合流しないように、という達しが出たんです。そうか、女子マネは部員として、マネージャーとしてカウントされていないのか……。私たちが行かなくてもチームは回るのか。悔しかったですね。そこで、思いの丈を2学年上の主務の人に話したんです。男子マネージャーがしている仕事をやらしてください、と」

勇気を持って伝えた「宮本のやる気」は、部を動かすことになった。先輩の主務はその意思を尊重し、青木久典監督(当時)にも伝えた。1学年上の女子マネージャーから反対意見もあったが、最終的には了承され、宮本が主務になるレールが敷かれた。「私の考えを通させてくれたチームには感謝しかありません」

コロナ禍の活動を振り返る宮本ことみ

同じ頃、大河原は「コロナ対策の責任者」という重要な役割を任された。まだコロナの対処方法が今ほど明確になっていなかった中、どのように部を運営するかルールを作り、感染した部員の対応にもあたった。

「部員は毎朝熱を計るんですが、6時くらいに『熱が出た』と連絡が来るんです。でも保健所は9時からなので、まず隔離部屋に移動させていました。立大は全寮制で、1人出ると次々にということになりかねないので、気が抜けない日々を送ってました」

緊急事態宣言の発動により、部が一時解散になった時も、寮に残り、コロナ対応に備えた。

大河原の真摯な仕事ぶりを評価していたのが、溝口監督だった。2年生の7月、「主務をする気はあるか?できるか?」と直々に打診をされる。ないと思っていたチャンスが到来したのだ。「できます」と即答すると、溝口監督から「そのつもりで育てる」と言われ、夏のオープン戦から1軍チームに同行するようになった。

法大と立大は「チーム初の女性主務」誕生に向け、大きく舵を切った。

試合中も主務には様々な仕事がある
【後編】東京六大学主務の仕事は「新しい歴史を作る同志」大河原すみれ×宮本ことみ対談

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