野球

東農大・和田泰征 3年秋から主将に就任、駆け上がった31年ぶりの1部で下克上狙う

31年ぶりの1部復帰初戦で一発。三塁を回ったところでベンチを鼓舞する和田(撮影・西田哲)

東都リーグの伝統校・東京農業大学は、昨春の悔しい3部降格から、今春2部復帰、今秋には1部へと一気に駆け上がってきた。1993年秋以来、31年ぶりの1部リーグでの戦いになる。3年秋から主将を務める左打ちの三塁手・和田泰征(4年、習志野)がチームの先頭に立ち、下克上を目指す。

開幕戦で一発 1部リーグ31年ぶりの大根踊り

1点を追う五回裏、フルカウントから亜細亜大学のドラフト候補右腕・北嶋洸太(4年、駒大苫小牧)の放った144キロを和田のバットが捉えた。右中間スタンドへ飛び込む同点弾。打球の行方を確認し、和田は右手を突き上げた。開幕週の亜細亜大学1回戦、五回裏に飛び出した1部リーグ初本塁打は、同点に追いつく貴重な一打となった。

1点を追う五回、フルカウントからの打球は同点本塁打に(撮影・西田哲)
和田の本塁打で、1部31年ぶりの大根踊り(撮影・西田哲)

「その回の先頭打者だったので、とにかく塁に出られたらいいな、というぐらいの気持ちで打席に入りました。2ストライクに追い込まれて、コンパクトに振り抜いた結果、たまたまホームランになりました」

主将の一発がチームに勢いを呼び込んだ。東京農業大学はその回、さらに2死一、二塁のチャンスを作り、古川朋樹(4年、神村学園)のタイムリーで勝ち越しに成功。大根踊りで知られる名物応援歌『青山ほとり』が神宮のスタンドに鳴り響く。

しかし、六回表に追いつかれ、九回表には勝ち越しを許す。九回裏、二塁へのゴロを放った和田は、一塁へ全力疾走しヘッドスライディングで内野安打をもぎ取る。最後まで諦めない主将の姿勢に、ベンチと応援スタンドは沸いた。結局追いつくことはできず2対3で敗れ、黒星スタートとなったが、和田は「試合には負けたけれど、手応えは十分あった。春は2部のビリからスタートして2部優勝できた。1部でもまたビリからのスタート。番狂わせを起こしてやろうじゃないかとみんなで話しています」と前を向く。

最終回、全力疾走し内野安打をもぎ取る(撮影・西田哲)

リーグ創設以来の伝統校も、昨春3部降格

東京農業大学硬式野球部は1910(明治43)年創部。専修大学、中央大学、國學院大學、日本大学とともに、東都大学野球連盟(発足時の名称は『五大学野球連盟』)に発足時から加盟している伝統校だ。しかし、創部110年を超える歴史の中で1部での優勝回数はゼロ。過去40年間を振り返ると1部で戦ったのは1986年秋と1993年秋の2度だけ。いずれも翌シーズンには2部に降格している。

昨春は2部最下位に沈み、入れ替え戦で大正大学に敗れて3部降格を喫した。入れ替え戦の3回戦、延長タイブレークの十一回裏、サヨナラ負けを喫した場面を、和田は今でも鮮明に覚えている。

「信じられなかったというか、頭の整理がつかなかったです。自分は入れ替え戦からゲームキャプテンを任されていました。4年生の先輩たちから『任せたぞ』『頼んだぞ』と声をかけてもらって臨んだ入れ替え戦だったので、申し訳ないという思いと、責任感と……」

同点弾を放ち、チームメートから祝福を受ける(撮影・西田哲)

「お前が(2部に)上げろ」3年秋から主将に

昨年のチームには4年生の野手にレギュラー候補が少なく、和田をはじめ当時の3年生が中心になって春を戦ったが、3部降格を喫した。2部復帰を目指し、夏の練習に取り組む中、主将の森雄輝(当時4年)が和田にある提案を持ちかけた。

「和田、お前がキャプテンをやってみたらどうだ?」

森は4年生の野手が少ないというチーム事情の中、人間性を評価され、学生コーチと主将を兼務していた。

「森さんにそう言われたんですけど、正直、3年生の自分に主将が務まるかな……と。自分がゲームキャプテンをして入れ替え戦に負けてしまったわけですし。一度は『やりたくないです』と答えたんです。でも、森さんから『お前で負けたんだから、お前で上げろ』という強い言葉をかけられて、それから意識が変わりました」

秋の3部リーグ開幕まであと2週間と迫った8月下旬、和田は北口正光監督に主将へ立候補する意思を伝えた。

ピンチの場面で三塁ゴロを併殺に仕留めた(撮影・西田哲)

1季で2部復帰、2部も一気に通過し1部へ

3年生の主将がチームの先頭に立ち、秋の戦いに臨んだ。3部リーグでは最終週、優勝を争う帝京平成大学との3回戦、延長タイブレークの激戦を制して優勝。11月の入れ替え戦では6月に苦杯をなめた大正大学と再度対戦。1回戦を落とし、後がない状況から連勝。苦しみながらも2部復帰を決めた。1学年上の先輩がいる中で主将を務め、最短での2部復帰というミッションをクリアした。

「先輩たちが、自分のやりやすいように雰囲気をつくってくれました。森さんも、来られる時間は練習に付き合ってくれました。先輩たちには本当に感謝しています」

昨年11月、入れ替え戦に勝って2部復帰。左は宮里優吾(現・福岡ソフトバンクホークス)、中央は北口正光監督(撮影・小川誠志)

昨秋のメンバーがほとんど残った今春は、開幕週、国士舘大学に連勝し好スタートを切ると、第4週から5連勝(優勝決定後の東洋大学2回戦にも勝利し6連勝)し、2000年秋以来24年ぶりの2部優勝。そして臨んだ1部6位校・駒澤大学との入れ替え戦では、1回戦は相手エースに2安打1得点と抑え込まれ敗れた。その夜、和田はメンバーを集めてミーティングを行った。

「消極的な部分が見えたので『自分たちはチャレンジャー。1部に挑戦できるせっかくの機会だから、思い切って野球を楽しんで、全員で勝とうじゃないか』という話をしました」

翌日の2回戦は6対2で快勝。3回戦は打線が18安打12得点と駒大投手陣を打ち崩し、12対1で大勝。1993年秋以来31年ぶりの1部復帰を決めた。チームメートやスタンドで応援する部員と喜びを分かち合う中、1学年上の先輩たちの顔も思い浮かび、感極まった和田の目からは涙がこぼれ落ちた。森から祝福のメッセージが届いたときには、再び涙があふれた。

今年6月、入れ替え戦に勝って1部復帰(撮影・小川誠志)

習志野高の仲間3人と同じ舞台「倒して上の順位へ」

千葉・習志野高校時代、和田は2年春夏の甲子園に出場し、春はセンバツ準優勝に輝いている。当時チームメートだった左打ちの強打者・櫻井亨佑(4年)が中央大学で、左腕投手・山内翔太(4年)と堅守の遊撃手・角田勇斗(4年)が日本大学でそれぞれプレーしている。
「先に1部で活躍していた櫻井、山内、角田からは、いい刺激をもらってやってきました。今度は同じ舞台で戦うことができる。最後のシーズンなので、この3人を倒して、一つでも上の順位を意識してやりたい」

秋の開幕週は亜細亜大学に連敗し勝ち点を落としたが、戦いはまだ始まったばかりだ。第2週では櫻井のいる中央大学と、第3週ではリーグ戦3連覇中の青山学院大学と対戦する。第4週の相手は山内、角田がいる日本大学。ずっと目指してきた『戦国東都』の1部リーグ、厳しい戦いになるのは覚悟の上だ。下克上を狙い、チームの先頭に立つ。

1部復帰戦を勝利で飾れず、試合後の円陣でチームメートに語りかける(撮影・西田哲)

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