野球

「KKコンビの後ろを打った」東京農業大、北口正光新監督 1部昇格と人材育成を担う

東京農業大学の監督に就任した北口正光氏(右)。桑元孝雄コーチと二人三脚で練習を運営する(撮影・矢崎良一)

東都大学野球リーグ2部の東京農業大学に、日本一の座を争ったことがある監督が誕生した。1984年の第66回全国高校野球選手権大会で、大阪・PL学園の三塁手として準優勝まで上りつめた北口正光氏だ。「絶対的な投手がいない分、打って、点を取って、投手を育てていくような試合をする」と打撃に力を入れたチーム作りをめざす。

しぶとい打撃で高校、大学、社会人の舞台で活躍

北口氏の野球歴は、輝かしい。

清原和博、桑田真澄の「KKコンビ」が2年生だったとき、4番清原、5番桑田に続く6番打者を任された。しぶとい打撃で、この年の夏の甲子園では22打数11安打をマーク。「KKの後ろを打つ男」として、名を挙げた。

亜細亜大学に進んだ北口氏は、4年春にベストナインを獲得。社会人野球でも松下電器(現・パナソニック)で都市対抗野球に8度出場した。現役引退後はコーチ、監督と指導者の道を歩み、監督時代には、鳴り物入りで入社しながら伸び悩んでいた久保康友(元横浜DeNAベイスターズなど)の才能を開花させ、プロ野球界に送り出している。

PL学園高校時代の北口氏は、夏の甲子園決勝で取手二高と戦った(撮影・朝日新聞社)

3部の試合に「こんな場所にいたらいかん」

2019年シーズンを最後に野球部を離れた北口氏は、長年暮らした大阪から、パナソニックの東京支社へ転勤となった。新生活を始めた北口氏のところへ、東農大で監督を務めていた樋越勉氏(現・北海道文教大総監督)から連絡が入った。

「勤務のない土日だけでも練習を手伝ってもらえないだろうか」という打診だった。樋越氏が東農大北海道オホーツクの監督だったときから交流はあり、気心を知る仲だった。快諾した北口氏は、週末になると東農大の選手を指導するようになった。

北口氏の熱心な指導ぶりに触れた樋越氏は、パナソニックと交渉し、翌年から出向という形でフルタイムコーチに就任した。このときのチームは3部に降格。北口氏は1部の華やかな雰囲気を知っているだけに、大学のグラウンドなどで公式戦が行われる3部では、「こんな場所にいたらいかん」と選手をもり立てた。

練習を見つめる北口氏(撮影・矢崎良一)

奮起したチームは、20年秋の3部リーグを全勝し、2部に復帰。2シーズンを戦った後、樋越氏の退任に伴い、監督に就任することになった。人生の節目ととらえ、悩んだ末に決断した。

亜大の生田監督から、祝福の電話も…

「ちょうど3月の誕生日で、パナソニックの早期定年制度が適応される55歳になり、これからの人生を考えていたときだったんです。そこで監督というありがたいお話をいただいて、私もアマチュアとはいえ、野球の世界で生きてきた人間なので、もう一度好きな野球で勝負してみようと、決心がつきました」

パナソニックを退職し、東農大の職員に。樋越氏は現場を離れる際、大学関係者やOB会などに丁寧に引き継ぎをしてくれていた。とはいえ、1年ごとに結果が問われる仕事であり、東農大のOBではない、いわば外様の立場。成績を残さなければ、厳しい視線を浴びることを覚悟している。

1部に属する亜細亜大学の生田勉監督は、大学の同期にあたる。「よかったじゃないか」と就任を祝う電話をもらい、すでに練習試合を何度も行っているという。

「打って点を取って、投手を育てる」野球のため、打撃指導には熱が入る(撮影・矢崎良一)

「同じリーグで監督になるわけですから、悪く言われても仕方がないのに、生田監督をはじめ、亜大の関係者みんなに激励してもらって、本当に感謝しています。ただ、向こうは1部の王者で、こちらは2部でモタモタしている状況。まだ敵じゃないと思われているはず。早く力をつけて、母校からも警戒されるようなチームにならないかんと思っています」

環境の良さをアピール

東農大は東都リーグ発足時から名を連ねる伝統校。ただこの半世紀を振り返ると、1部昇格を果たしたのは86年春と、93年春の2度だけ。しかしともに、翌シーズンには2部に降格している。

「1部はもちろん、2部でも優勝を争うチームと比較すると、戦力的に見劣りするのは認めざるをえません」と北口氏は言う。投手力をながめると、1部には各チームに最速150キロを投げる投手がいる。2部でも、リーグ戦で優勝して入れ替え戦を勝ち抜くには、昨年まで日本大学に在籍した赤星優志(現・読売ジャイアンツ)のような飛び抜けた力のある投手がいないと厳しい。

東農大にとっては、スカウティングも重要になる。これまでは樋越氏に任せていたが、今後は自ら積極的に動くつもりだ。

「パナソニックでユニフォームを脱いだ後も、(部長職で)いつも球場やグラウンドに足を運んでいました。それなりに野球界に人脈もあります。コツコツ歩いて、いい選手を探しますよ。うちは東京の中心(世田谷区)に大学があって、キャンパスの中にグラウンドがあるから、授業にも出やすい。そういう良さをアピールしていきたいです」

練習中は、選手に笑顔で語りかける(撮影・矢崎良一)

トスを上げ、自らバットを振って指導

今、重点的に取り組んでいるのは、打撃力の向上だ。

練習中は、元日本代表でアトランタ五輪銀メダリストの桑元孝雄コーチと二人三脚で、自らトスを上げ、ときにバットを振って手本を見せながら、熱心に指導する。連日、早朝練習からグラウンドに立ち、細かく指示を出しながら、夕方まで見守る。選手との会話も多い。持ち前の陽気な性格で、親子ほど年齢の離れた選手たちと冗談も言い合う。

「僕らの学生時代のように、『アホ』『ボケ』と言われて、『なにくそ』と思う選手は、なかなかいません。使う言葉も選ばなきゃいけない。でもそこは、パナソニック時代から若い選手と接してきましたから、あまり違和感はないんです」

選手に対し、打撃時の体の使い方を教える北口氏(撮影・矢崎良一)

1部昇格以外に、「人材育成」もテーマに掲げる。

「社会人野球を経験してきた人間ですから、そういう場所に1人でも多く選手を送り出したいんです。プロに行ける選手が出たら、大いに結構。でも、それだけではなく、社会人や軟式でもいい。そういう選手が出て来れば、その人脈で後輩の進路も広がる。そんなチーム、組織を作ることが、一番の目標ですね。野球の技術だけでなく、人間性も高めるような指導をしていかなくてはいけない」

伴虚無蔵のような男

この春まで放送されたNHKの連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」には、北口氏も出場したPL学園と取手二の甲子園決勝戦のラジオ実況が流れ、当時を知る高校野球ファンを喜ばせた。北口氏は、ドラマに登場する時代劇役者・伴虚無蔵のような男だ。伴は次世代の若者たちに「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ」と生き方を示す。助言を受けた主人公は、努力して身に付けた英会話を生かし、ラジオ英語講座の講師の職に就く。

北口氏は、自身の華々しい球歴を選手には話さない。

「話す必要もないし、今の子らはそんな昔の話には興味がないと思います。それより野球をうまくしてあげて、強くなることで、自然と信頼してもらえるようになるのとちゃいますか」

北口氏は自らの現役時代、努力だけを続けた。「体も小さくて、花形ポジションのサードなのに、7番8番を打つような選手」と表現する。KKコンビの後ろで、脇役に徹しながら、ときに主役を食うような仕事をしてきた。指導者になってからは、努力してもなかなか芽が出ない選手に寄り添い、一緒に汗を流してきた。

無骨な野球人が紡ぐ物語は、この春から新たな章に突入している。

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