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「松井を5敬遠した河野です」の新たな挑戦 帝京平成大学・河野和洋監督(上)

帝京平成大学の河野和洋監督。東都大学野球連盟の新規加入は63年ぶり、新たな挑戦が始まる(撮影・小川誠志)

2021年12月、帝京平成大学硬式野球部の東都大学野球連盟への新加盟が発表され、野球関係者を驚かせた。帝京平成大は昨秋まで千葉県大学野球連盟に所属していた。率いる河野和洋監督(47)は、東都の名門・専修大学出身。明徳義塾高3年の夏には、甲子園で松井秀喜選手を5敬遠したことで知られる。「松井を5敬遠した男」が戦国東都に新しい風を吹かせる。

選手たちが日に日に成長している

「今が一番楽しいですよ。東都でやれるということになって、選手たちの目の色が変わって、プレーのレベルも1つステージが上がったように感じます。彼らが日に日に成長しているのを見るのが本当に楽しい」

そう言って河野監督はグラウンドで汗を流す選手たちに視線を向ける。

アマチュア野球に詳しい人ならば『河野和洋』という名前にピンとくるのではないだろうか。

第74回全国高校野球選手権(1992年)2回戦 九回表2死三塁、5打席連続で敬遠される星稜の松井秀喜。投手河野和洋(撮影・朝日新聞社)

1992年8月、第74回全国高校野球選手権2回戦、高知・明徳義塾高対石川・星稜高戦。のちにプロ野球読売ジャイアンツ、大リーグ・ヤンキースなどで活躍したホームランバッター松井さんを明徳義塾が5打席連続敬遠したことで甲子園が騒然となった。その試合、明徳義塾の背番号8をつけてマウンドに立っていたのが河野だった。

あの夏に関しては何度となく取材を受け、様々なメディアに取り上げられてきた。テレビ番組の企画で松井さんと対談したこともある。河野監督は国内クラブチームに所属していた際、背番号55を背負ってプレーしていた。偉大なる同級生への尊敬の気持ちを忘れたことはない。

「千葉熱血メイキング」の時は背番号「55」だった(2015年、撮影・岡雄一郎)

あいさつでは「私のことは敬遠せずに」

高校まで投手兼外野手だった河野だが、専大に進学してからは野手に専念。大学ではのちに広島東洋カープや大リーグで飛躍した黒田博樹投手と同期だった。河野は左打ちの外野手として活躍し、大学4年秋には東都1部リーグでベストナインを獲得、主将も務めている。

自身もプロ入りを熱望していたが、ドラフト会議での指名はなく、社会人野球のヤマハ、米独立リーグ、国内クラブチームなどで42歳までプレーを続けたのち現役を引退した。18年に学生野球資格を回復し、19年2月、帝京平成大コーチに就任。同年11月から監督を務めている。

専大4年生の時、同期の黒田博樹(右)と(本人提供)

「松井秀喜選手を5敬遠した河野です。私のことは敬遠せずにお付き合いをしていただければありがたいです」

河野監督は野球関係者とあいさつをする際、今でもこのキラーワードを使い、笑顔で名刺を差し出す。「すべては学生のため、帝京平成大の知名度を上げるため。顔を覚えてもらうのが大事ですから」とその理由を話す。

東都への新加盟は63年ぶり

昨年12月、帝京平成大が千葉県大学野球連盟を脱退し、2022年1月1日付で東都大学野球連盟へ新加盟することが発表された。東都への新加盟は1959年に立正大学、国士舘大学が加盟して以来63年ぶりのこと。帝京平成大は今春、4部からスタートし、東都リーグは1部6校、2部6校、3部6校、4部4校、計22校の編成になる。東都は2022年、新たな仲間を加え22校の編成になるということから、新愛称『Premium Universities22』のもと、新たなスタートを切る。

東都大学野球連盟入りを発表する会見で更田篤稔主将(右)と(撮影・小川誠志)

帝京平成大は1987年に『帝京技術大』として千葉県市原市に開学。95年に現校名に変更、2008年には東京都豊島区に池袋キャンパスを設置し、法人本部を移転していた。13年には東京都中野区に中野キャンパスを開設。現在は在校生の8割が都内のキャンパスに通う。硬式野球部は1990年に千葉県大学野球連盟に加盟。千葉県市原市に専用グラウンドがある。昨秋は2部リーグ初優勝を果たしたが、1、2部入れ替え戦を辞退していた。

東都ならたくさんの学生が応援に来てくれる

東都への加盟を目指し動き出したのは、2年ちょっと前のこと。河野監督と大学関係者との会話の中で「どうすれば一般学生たちが球場に足を運んで応援してくれるだろうか?」という議論になったことが始まりだった。東都出身の河野監督は「東都リーグに行きましょう。東都ならたくさんの学生に応援に来てもらえます」と提案。その後、大学関係者、両連盟との間で調整を進め、東都大学野球連盟の調査委員会による審査を経て加盟が実現した。

「この2年ほどの間は本当に紆余曲折(うよきょくせつ)、たいへんでした……。前例がないので、どこに問い合わせたらよいのか分からないところからのスタートでしたから。途中、一度はあきらめかけたこともあったんですけど、そこからいい風が吹いてくれまして、なんとか実現できました」

なにしろ東都への新加盟は63年ぶりのこと。「紆余曲折」の詳しい内容は教えていただけなかったが、実現するまで相当に難しい道のりを歩んできたことが想像できる。

「自分のこれまでの人生の中で最も困難な挑戦でした。松井選手5敬遠に次ぐ重大出来事ですね(笑)」と河野監督は高校時代の一件を引き合いに出して笑顔を見せる。

明徳義塾-星稜 三回裏、中前安打を放った後、三塁まで進んだ明徳義塾の河野(左)と星稜の松井(撮影・朝日新聞社)

「校歌って、僕はすごく大事だと思うんです。1部に上がって神宮で試合ができるようになれば、来てくれたOBや一般学生が校歌を歌ってくれる。自分も学生時代、甲子園では明徳義塾の校歌、神宮では専大の校歌が流れるのを励みにして頑張っていましたから」

神宮球場のスタンドでOBや学生が肩を組んで校歌を歌い、グラウンドの選手たちに声援を送る。自身が学生時代に経験した光景を帝京平成大の選手たちにも味わわせたい。そんな思いを胸に、河野監督は毎日ノックバットを振る。「松井を5敬遠した男」の新たな挑戦に注目したい。

◆東都大学野球連盟加盟校

<1部> 國學院大、駒澤大、青山学院大、亜細亜大、中央大、日本大
<2部> 拓殖大、専修大、東洋大、立正大、国士舘大、東京農業大
<3部> 大正大、学習院大、順天堂大、上智大、成蹊大、一橋大
<4部> 東京工業大、東京都市大、芝浦工業大、帝京平成大

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