ラグビー

早稲田大・鈴木風詩 スタッフ1年を経て選手として再入部、5年かけつかんだ先発の座

スタッフを経て選手として入部し直した鈴木。大学5年生だが、選手としては4年生だ(すべて撮影・斉藤健仁)

5年間、積み上げてきた思いがアカクロジャージーからあふれていた。

9月15日、今年こそはと日本一奪還を狙う早稲田大学ラグビー部が、関東対抗戦の初戦・立教大学との試合で9トライを重ね、57-6で快勝した。この試合で〝5年生〟ながら、対抗戦で初めて先発出場を飾り、得意のボールキャリーで勝利に貢献したのが、FL鈴木風詩(ふうた、4年、國學院栃木)だ。

開幕戦で校歌「決心してよかった」

1年目は分析を担当するスタッフとしてチームに関わっていた鈴木だが、2年目から再入部して選手となった。大学はあえて1単位を落として今年5年生となったが、部内では4年生の選手として最終学年を迎えている。

開幕戦で初めて6番を背負って入場した。鈴木は「(ラグビー)部に入って5年目ですが、校歌を歌っているときに(最終学年が)始まったな、選手になる決心をしてここに立ててよかったと思った」と感慨深げに振り返った。

対抗戦では初めての先発出場だったこともあり、「少し緊張したが、普段通りのことをやろう」と意識した。ミッドフィールドで突破を見せて、ディフェンスでも体を張り続けた。「(内側で)縦へのプレッシャーがないと(外が)余ってこないと思ったので、縦へのスピードのところは大切にした。(ディフェンスでは)早稲田大のプライドを見せないといけないところで、相手を返すことができた」と胸を張った。

鈴木は、続く9月22日の日本体育大学戦でも8番を背負って83-0の快勝に貢献し、「ここからどう『荒ぶる』(優勝したときのみ歌う第二部歌)に向けてチームを仕上げていくか」と先を見据えている。

開幕戦で校歌を歌った。「選手になる決心をしてここに立ててよかったと思った」

「スターぞろい」と尻込み 分析スタッフ選ぶ

鈴木は父親が埼玉の強豪・熊谷工業ラグビー部出身だった影響で、小学校に入る前から神奈川・鎌倉ラグビースクールで競技を始めた。小学校、中学校時代はSOやCTBなどのBKでプレーしていた。

高校進学時、「花園に出場したい!」「親元を離れて寮生活をして、切磋琢磨(せっさたくま)したい」という理由から、國學院栃木(國栃)に進学。同級生には、明治大学で活躍したSO/FB伊藤耕太郎(現・リコーブラックラムズ東京)、立命館大学で副将を務めたSH北村瞬太郎(現・静岡ブルーレヴズ)らがいた。

高校に入ったタイミングでLOやFLなどのFWに転向した鈴木。チームは3年間花園に出場する中、鈴木自身は2年時にLOとして10分ほど花園のピッチを踏んだのみで、3年時は受験勉強にフォーカスし過ぎ、メンバー外となってしまった。ただ、しっかり受験対策をしたことで、早稲田大の社会科学部に自己推薦で合格することができた。

開幕の立教戦。対抗戦では初めての先発出場を勝ち取った

大学に入学する前の1月、早稲田大ラグビー部はキャプテンのSH齋藤直人(現・フランス・トゥールーズ)がチームを引っ張り、日本一に輝いた。「早稲田大はスポーツ推薦で入った輝かしい選手が試合に出ているので、もしラグビー部に入っても、4年間で試合に出ることは厳しく、(選手として何も)成し遂げることはできないのではないか……」と思い、挑戦から目をそらしてしまった。

また、國栃時代は寮生活でラグビー一色の生活だったため、「大学ではラグビー以外のことにも取り組んで、いろんな人に会ってみたかった。ラグビー一筋ではなく、時間に余裕のある選択をしてみたかった」という思いもあった。

それでも、大学ラグビーの日本一を狙う環境に憧れていたこともあり、「チームを裏で支えるのも一つの形かな」と思い、選手としてプレーすべきだと反対の声がある中で、分析担当のスタッフとして早稲田大ラグビー部の門をたたいた。

ただ、周囲からは「國栃のラグビー部出身なのになんでスタッフなの?」という目で見られることもあったという。また新人同士の早慶戦、早明戦を、ピッチの上ではなくやぐらの上で撮影しているときに、自分で決断したことなのにもかかわらず、胸の中には「モヤモヤがあった」と正直に振り返る。

未経験者が帝京戦でPOM 心動かされ、選手へ

鈴木が入部して半年後、そのモヤモヤが晴れるできごとがあった。11月、秩父宮ラグビー場で行われた帝京大戦で、早稲田大は45-29と快勝し、POM(プレーヤー・オブ・ザ・マッチ)にFL坪郷智輝(当時4年生)が選ばれた。

早大は初先発の坪郷智輝が躍動、慶大は山田響が逆転サヨナラPG 関東対抗戦

坪郷は埼玉・川越東時代は野球部で、早稲田大ラグビー部に所属していた兄の影響で、一浪して早稲田大に入学してからラグビーを始めた努力の人だった。「大学から競技を始めた坪郷さんの、0.1%にかける思い、挑戦する大切さに心を動かされた。ここで自分も挑戦しなかったら後悔する。自分の気持ちにうそをついているより、もう1回、選手として部に入り直してやった方が自分の人生にとってはいいのでは……」

また鈴木は、早稲田大ラグビー部は「スポーツ推薦の選手が試合に出ているだけじゃない」ということに、スタッフとして入ってやっと気づいたという。「15人中10人はそうかもしれないが、2~3人は無名校出身などの選手で、(下のチームから)はい上がって公式戦に出場している。数%しか可能性はないかもしれないが、名前じゃなくて能力、実力を見てくれる。そういった環境にほれたからこそ選手に戻る決心ができた」

公式戦初先発で躍動した早稲田大学のフランカー坪郷智輝(撮影・斉藤健仁)

大学2年で、1年生選手として再入部

相談すると、相良南海夫監督(当時)もスタッフだった同期も、「選手に挑戦した方がいい」と背中を押してくれた。そこから再び鈴木の選手としての挑戦が始まった。高校卒業後に95kgだった体重は30kgほど減っていたが、体重を戻しつつ、半年間でラグビーができる体に戻すために、フィジカルトレーニングやフィットネスに精を出した。

ただ、なんとなくためらいがあり、ラグビー部の施設を使わず、翌年4月の新人練習に向けて、市のトレーニング場を使ったり、学生寮にある自分の部屋で毎日腕立て伏せを200回やったりしたという。そして元同期に見られながら、新人練習を経て選手として再び入部。大学では2年生だが、部では〝1年生〟となった。

スタッフをしたからこそ、チーム全体を思う

1年間分析スタッフをやった経験が今に生きているかと聞くと、「選手だけをずっとやっていたら、早稲田大ラグビーの環境のありがたさ、すごさがわからなかったかもしれない。スタッフはもっと時間があるかと思っていたが、心から日本一を目指して選手以上に動いていた。それを経験したことが、今のプレーにもチーム全体を思うことにもつながっている」と話す。

選手として再入部した鈴木は、そこからさらなる努力を重ね、昨年の春季大会の東海大学戦で、初めてアカクロのジャージーに袖を通した。対抗戦にも、控えからだったが青山学院大学戦に出場した。「積み上げてきてよかった。選手になる決断をしてよかった。少しは報われたかな……」

昨春の東海大戦で初めてアカクロジャージーに袖を通した

身長183cm、体重は100kg近くまで増えた鈴木の強みは元々ボールキャリーだったが、現在はタックルにも磨きをかけている。またFLやNO8といったバックローだけでなく、LOとしてプレーできるユーティリティーさも、大田尾竜彦監督らコーチ陣から評価されている。「バックファイブの全ポジションがプレーできるので、そのスタンダードを高めつつ、フィットネスを上げて、試合でインパクト残せる選手になれば先発で出られるようになれる」(鈴木)

最終学年となった今年、春季大会は控えを中心に5試合に出場し、対抗戦では開幕から2試合、先発出場した。鈴木は「1軍のエースというわけではないですが、先発に定着するのが目標です。僕も含めてBチームもCチームの選手も個々が上を目指し続けることが日本一につながる。そういうことを知ることができた5年間だったので、僕も個人として努力し続けて、チームをどう引っ張っていくかという姿を見せないといけない」と意気込んでいる。

ラストイヤー、2学年分の同期のために日本一を

改めて4年前の決断について聞くと、「僕は坪郷さんがいたから人生が変わった。そこまでとはいかないかもしれないですが、自分のような選手が活躍しているからこそ、早稲田大のラグビー部に入ろう、ラグビーを続けてみようと思える人が出てきたら、少しはプレーしている意味があるかも。でも、悩んでいる人に勇気を与えるためには、グラウンドで表現しないといけない。スタッフだったのに、思い切ったからこそ、今がある。そういうバックグラウンドも知ってもらって、なおかつプレーを見てもらえたらいいのかな」としみじみと語った。

鈴木は来春からは不動産会社に勤務するため、トップレベルのラグビーは大学で一区切りと決めている。

選手として受け入れてくれたHO佐藤健次主将(4年、桐蔭学園)を筆頭とした同期、そして、すでに卒業した「背中を押してくれた」スタッフ時代の同期と、2学年の同期のためにも、「不撓不屈(ふとうふくつ)」の覚悟で「荒ぶる」を目指す。

「自分のような選手が活躍しているからこそ、ラグビーを続けようと思える人が出てきたら」

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