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特集:2024年 大学球界のドラフト候補たち

東北福祉大・漁府輝羽 失意の指名漏れから4年、恩師の言葉で蘇り、臨むドラフト会議

プロ志望届を提出した東北福祉大の漁府輝羽(高校時代を除きすべて撮影・川浪康太郎)

プロ志望届を提出した東北福祉大学の外野手・漁府輝羽(ぎょふ・こうは、4年、おかやま山陽)は身長183cm、体重96kgの恵まれた体格を持つ右の長距離砲だ。コロナ禍の高校時代、「プロ志望高校生合同練習会」に参加し、木製バットで柵越えを放って注目を集めた。NPBの5球団から調査書が届いたが、指名漏れ。4年の月日を経て、自身2度目のドラフトには「プロ一本」で臨む。

【特集】2024年 大学球界のドラフト候補たち

自らの持ち味を取り戻した、一本の電話

今年3月24日、石巻市民球場で開催された東北地区社会人・大学野球対抗戦。Bチームのメンバーで編成した東北福祉大は日本製紙石巻に8-6で勝利した。この試合の一回に左翼席へ運ぶ先制の3点本塁打を放ったのが、「4番・右翼」でスタメン出場した漁府だった。試合後の取材で本塁打の打席について聞くと、声を弾ませた。

「昨日、高校の監督から電話が来て、『お前は自分のスイングをして、ホームランだけ狙っていけ』と言われたんです。大学に入ってからの3年間、結果が出ずに苦しい思いをして、これまでは試合に出るために三振を減らして率を残そうと、当てにいく打撃をしてしまっていた。今日、監督の言う通り自分のスイングをしたらホームランを打てました」

「ホームランだけ狙っていけ」と言われたことが自分のスイングにつながった

3年秋まではリーグ戦出場なし。大学からのNPB入りを確固たる目標にして進学したがチャンスをつかめず、「試合に出ていないので、自分がどう評価されているのか分からない。本当にプロにいけるのか……」と日に日に不安が増していった。

そんなさなかに飛び出した一発を機に、練習試合で本塁打を量産。リーグ戦は4年時も春の2試合のみの出場で計3打数無安打に終わったものの、スカウトから声をかけられる機会が増えたこともあって自信を取り戻し、7月にプロ志望を固めた。きっかけを与えてくれた言葉の主は、おかやま山陽の堤尚彦監督。恩師であり、母子家庭で育った漁府にとっては「父親代わり」でもある。

長打力の源は「自転車通学」と「自家製鉄バット」

岡山県倉敷市出身の漁府は小学生のときにソフトボール、中学3年間では軟式野球をプレーした。高校は堤監督に誘われる形で、おかやま山陽へ。硬式野球にすぐに適応し、2年春からレギュラーの座をつかんだ。

おかやま山陽の校舎とグラウンドは倉敷市に隣接する浅口市にあり、漁府の自宅からは約20km離れていた。当初は電車で通学する予定だったが、堤監督から「下半身を鍛えろ」との助言を受け、自転車で片道を約1時間40分かけて通った。

毎日の自転車通学と、自宅で取り組んだ約2kgの自家製鉄バットを使った素振りが功を奏し、長打力がみるみるうちに向上。中学軟式では打った経験がなかったという柵越えの本塁打が次々と飛び出した高校時代を、「元々強いスイングには自信があったんですけど、硬式は強く振れば振るほど飛んでいった。楽しかったですね」と振り返る。

3年時に新型コロナウイルス感染拡大の影響で公式戦や対外試合の中止が相次いだにもかかわらず、高校通算24本塁打を記録。甲子園も中止を余儀なくされた中、阪神甲子園球場で開催された「プロ志望高校生合同練習会」で放った一発が大きなインパクトを残した。

おかやま山陽時代、高3夏は全国選手権が中止となり独自大会でプレー(撮影・朝日新聞社)

「乗り越えられる者にしか、神様は試練を与えない」

コロナ禍でもアピールに成功し、迷うことなくプロ志望届を提出した。しかしドラフト当日、漁府の名前は最後まで呼ばれなかった。

「正直、プロに行けると思っていました。その分、本当に悔しくて、野球をやめようと考えて堤先生に『大学にもいかない』と伝えました」。ドラフト後の約1週間は野球から完全に離れ、「誰とも話したくない」と自室にこもる日々が続いた。その期間、堤監督が連日LINEで励ましてくれた。

「ドラフトで指名された選手がみんな活躍しているわけじゃない。本物の強さを持たないとアカンって、野球の神様が4年間の時間をくれたんやないか?乗り越えられる者にしか、神様は試練を与えないんやで」

堤尚彦監督の言葉は、今も心に残っている

恩師の言葉が胸に響き、1週間経ってようやく、再び前を向けるようになった。4年後のプロ入りを誓い、堤監督の母校である東北福祉大に進学。大学でも、何度も心が折れかけた。それでも、高校卒業後も頻繁に連絡を取り合っていた堤監督の存在が支えになり、今年3月にはまた、前を向くきっかけとなる言葉をもらった。

堤監督は元青年海外協力隊員で、ジンバブエ代表監督を務めるなど海外での野球普及活動に尽力してきた経歴も持つ。漁府は「野球途上国」の現状を聞いたり、実際に海外の選手と交流したりする中で、「野球ができているのが当たり前ではない」ことを知った。野球の楽しさも、野球の尊さも、教えてくれたのは堤監督だった。

球場全体が「おお!」となるスイングを

ドラフトに向けては「指名されなかった時のことは考えていない。どういうプロ野球選手になるかを見据えています」と話す。

目標とするのは、自身と同じ右の長距離砲である福岡ソフトバンクホークスの山川穂高。「球場全体が『おお!』となるようなスイングをして、ボールを誰よりも遠くに飛ばしたい」。憧れの場所で活躍するイメージはすでに頭の中にある。

「高校生の頃から何度も壁にぶつかったんですけど、堤先生がずっと面倒を見てくれて、ずっと気にかけてくれた。『堤先生のために』と思うことはよくあります」と漁府。4年越しの恩返しを果たす時が来た。

10月24日、ドラフト会議での吉報を待つ

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