明治大・宗山塁 春のけがを機に見つめ直したタイミング「理想のスイングに近づいた」
大学球界のトップランナーとして注目を浴び続けている明治大学の主将・宗山塁(4年、広陵)。3月には日本代表のトップチームに帯同するなど、ドラフト候補としてプロも注目する遊撃手だ。現在は3季ぶりの東京六大学リーグ制覇を狙う明大で秋のリーグ戦を戦っており、ここまで3カードを終えた時点で、打率はリーグトップの4割5分5厘(33打数15安打)、2本塁打と好調を維持している。
肩甲骨の骨折が招いた春の調整不足
10月11日、広島東洋カープが今月末のドラフト会議を前に、宗山の1位指名を公表した。1位指名の公表は12球団で最も早かった。広陵高時代からプレーに悪い癖がなく評判だった宗山が、ドラフト候補として本格的な評価を受けるようになったのは大学2年の春。打率4割2分9厘で首位打者に輝き、チームも2019年春以来6季ぶりにリーグ戦を制した。今年2月にはプロ入り前の大学生として青山学院大学の西川史礁(4年。龍谷大平安)と並んで日本代表強化試合のメンバーに選出された。
しかしこの春は2度の骨折に苦しんだ。1度目は強化試合直前の2月末、社会人チームとのオープン戦。右肩に死球を受け、試合途中でグラウンドを退いた。その後、強化試合の出場に向け3月5日に大阪入りしたが、そこで肩甲骨の骨折が判明、そのまま強化試合2試合を欠場した。
チームに戻ってもリハビリの日々。3月下旬ごろからオープン戦のシートノックには姿を現したものの出場はなく、かろうじて春季リーグ開幕戦のスタメンには名を連ねたが、調整不足は顕著だった。
明確に異常が見えたのが第3週の早稲田大学との3回戦、延長十一回裏の第5打席だった。2死三塁から5球目、甘いカーブを打ってセカンドゴロ。差し込まれるのを嫌ったか、動きの少ないノーステップでタイミングを取ったが、緩いボールに泳がされた。本来の宗山は始動のタイミングが早く、右足を上げてボールを呼び込むスタイルが身上だ。
「感覚的な話ですが、元々自分はリズムと言うか、足を早めに上げて打った方がいいんです。そこを崩すと合ってこない感覚があるので、普通それ(ノーステップ)はしません。この打席はそこまで打てていなかった中で、立場的なことや、どうにかしないと、という力みが良くない方に行ってしまいました。もう少し始動の早いフォームを作って入るべきでした」。機能不全に陥らせた1度目の不運。理想とかけ離れた内容に焦りが見えた。
2度目のけがが追い打ち「呪われているんじゃないか」
2度目の不運はその早大戦の後、空き週に行われた社会人チームとのオープン戦。不規則な回転がかかったライナー性の打球が右手中指を直撃した。
正遊撃手の宗山が離脱するとなればチームにとっても大打撃。優勝の可能性を残していたこともあり、田中武宏監督は即時に全体ミーティングで主将の離脱を口外しないよう通達した。
ただ宗山は、異例の〝箝口(かんこう)令〟が敷かれた中でも、当時わずかに本音を語っていた。「自分が出られる可能性を相手に持たせておくための監督の方針です。肩甲骨に関してはシーズン前から全く不安はありません。状態が上がるとボールも見え方が変わってくるのですが、これから良くなる感覚があったところでした」
シーズン中の復帰はかなわず、最終的に春は自己ワーストの出場5試合、打率1割7分4厘で終了。チームも早大に優勝を許し、2位に終わった。2年時から正遊撃手を務めてきた大学日本代表のメンバー入りも見送られ、シーズン後には「呪われてるんじゃないかというぐらいけがが続きました。自分としてももどかしいですし、みんなが普通に野球をしているのを見てうらやましいと思うんですよね」と自嘲した。
打撃フォーム改造「良い、悪いを整理」
1年秋から3年秋まで全試合に出場するなど、元々内野手としてはタフな部類。春の2度の骨折はあくまでアンラッキーによるもので、試合に出続けられるプロ向きの資質を併せ持っている。私生活の意識も高く、普段は油ものを一切口にしない。寮に届いたOB選手からの差し入れの菓子をただ一人受け取らなかったこともあった。
2度目の骨折以降はフィジカル強化に注力。夏はランメニューを意図的に増やした。昨年は体調不良で練習量を落とした時期があったのに対し、この夏は、キャンプから開幕前のオープン戦までをフルメニューで完走した。「けがの前後で見れば、後の方が体力的にはあると思っています。ランメニューや強度の高い練習をできた中で、その部分が再現性につながってきている感覚があります」と充実感を口にしている。
打撃フォームの改造にも着手。注目すべきはやはりタイミングを取る右足の使い方で、3年時からこの春までは、投手が投球動作に入ってから右足を上げる遅めの仕掛けを採用していたが、ラストシーズンを前に2年時以前の始動の早いフォームに回帰した。その上で無駄のないスイングワークを宗山は強調する。「最初はまずタイミングだということで、今は始動を早く、こちらから仕掛けていくことを意識しています。例えば3年のころは手主導のスイングで、手でなんとかしようと考えてしまっていたんです。そうではなくてどんなボールも打てるように、小さい円で回る中でバットをボールのラインに入れることを意識しています」
取り戻した好調 リーグ戦通算100安打も達成
フィジカル強化とフォームの改造。これには即効性があった。不本意な結果に終わった春に対して、今秋の宗山は好調、ベクトルは上向きだと言って良い。
リーグ戦2カード目、慶應義塾大学2回戦の第3打席。前日から徹底的な内角攻めを受けていた中で、内角の浮いたチェンジアップを完璧に捉え、試合を決定づける3点本塁打を放った。「今まで打ってこられた高さではなかったのですが、バットが出てきました。自分の思うスイングに近づいてきた感じはあります」
さらに今季手応えがあった打席として、史上34人目のリーグ戦通算100安打に王手をかけて臨んだ、第2週の東京大学2回戦の第4打席を挙げた。右腕・平田康二郎(4年、都立西)のフォークを見切った四球には、野球選手としての次元の高さがにじんでいた。「打ったら100(安打)というのは頭にありました。勝負してほしい気持ちはりましたが別に自分のために試合をしているわけではないですし、やれることをやろうと。あの打席は落ちる球を見切れたのが良くて、打った打席よりも良かったですね」
宗山は続ける。「(けがの期間について)自分の中でいろいろと良い、悪いを見直せる時間になりましたし、どうなると自分の動きが悪くなるかということも見えてきた部分があります。今思えばその時間があって、いいものが見つけられたんだと思います」
ドラフト直前「今は目の前の相手に全力」
大学生活で残すは2カード。広島の1位指名公表後に行われた立教大学との3連戦でも合計15打数9安打と絶好調で、この時点の打率4割5分5厘はリーグトップ。底を脱して取り戻した始動の早さ。大学4年間を見てもメカニクス的には最高の状態にある。2度のけがも、自らを見直し成長するための糧となった。
24日に控えるドラフト会議。直前の心境を問うと、「どこに行くのかも分かりませんし不安はありますが」と前置きした上で、「今はとにかく目の前の相手に全力を出すだけです。最後は楽しんで、やり切って終わりたいと思います」と力を込めた。