大阪商業大・渡部聖弥 大学屈指の強打者を成長させる「仲間」からの刺激
第54回明治神宮野球大会
大学の部1回戦
大阪商業大 3-7 日本文理大
九回表の大阪商業大の攻撃。2点を返して4点差に迫り、なおも2死一、三塁。好機を目の前にネクストバッターズサークルに立った大阪商業大・渡部聖弥(3年、広陵)は、祈るようにその瞬間を見つめていた。
「自分に(打席が)回ってきて欲しかったです。ボールはすごく見えていて、調子も良かったので」
前の打者が空振り三振に倒れ、その思いは届かなかった。ゆっくりと整列に加わった。
2年連続で出場した明治神宮大会の初戦。一回、日本文理大に先制を許すと、三回には3点を奪われ、序盤から劣勢を強いられた。「先制されてしまった後の自分の打席で、自分のチームに流れをたぐり寄せるのが4番の役目」と打席に向かったが、得点につながる一打は生まれなかった。4打数2安打と気を吐いたものの、チームは敗れた。
「自分が打っても流れを呼べなかったのは自分の力不足です」
盟友でありライバルでもある存在
広陵高校時代、同級生で来秋のドラフト候補の目玉とされる明治大の遊撃手・宗山塁(3年)と切磋琢磨(せっさたくま)してきた。全国屈指の強豪である広陵で、宗山は1年夏からベンチ入り。渡部も1年秋から正三塁手となり、三遊間を守った。ともに上位打線を任された。2人が挑んだ高校最後の夏は、コロナ禍により甲子園をめざすことはできなかったが、盟友として3年間を過ごした。
宗山は明大へ、渡部は大商大へと進んだ。宗山は1年春のリーグ戦中盤から正遊撃手に定着し、2年春には首位打者を獲得。以降、下級生ながら東京六大学をリードする強打者として名をはせてきた。渡部も1年春からレギュラーをつかんだ。2年春のリーグ戦で宗山に負けじと首位打者を獲得。早くから大商大の中軸を任されてきた。
それぞれ大学で中心選手として活躍し、オフになれば母校で一緒に練習に参加する仲だった。
この夏に米国で開かれた第44回日米大学野球選手権大会では、ともに日本代表に選ばれ、中軸を任された。
渡部にとって、宗山はただの盟友ではない。プレーヤーとしては、強烈なライバル意識を持ってきた。この秋、NPBスカウトから「今秋のドラフト会議で1位指名したいほどの選手」と言われてきた宗山の話題に触れると、渡部は語気を強めた。
「負けたくない。常に超えていきたいと思っています」
課題が明確になった秋
177cm、88kg。遠投110mの強肩と、50m走で6秒0をマークする快足も持ち合わせ、高校時代に通算30本塁打をマークしたパンチ力は大学進学後、さらに磨かれた。がっちりとした分厚い体格は打席に立つだけで風格が漂う。飛距離だけが魅力ではない。学年を重ねるごとに上がったコンタクト率の高さも渡部の売りだ。
「ポイントを近づけると振り遅れてしまうんですけれど、それでも近くで強く打てているのは、スイングスピードもしっかり鍛えられているからだと思っています。逆方向にも強い打球を打てているので、そういうところにつながっているのかなと。ミスショットは少ない方だと思っています」
自信を持って臨んだはずのこの大会では、初戦敗退。チームを勝たせることはできなかった。
「今まで全国(大会)を経験させてもらってきて、負ける試合は流れが関係していると感じてきました。自分がここで打たなきゃいけないというところで一本打てることが大事。そのためには、打率も残せて長打をどの方向にも打てる打者が理想。パワーよりも、これからはもっと体のキレを出していきたいです。突き詰めるところは突き詰めていかないといけないですね。スピードやキレを重視して、盗塁や走塁面でも磨きをかけていきたいです」
ラストイヤーとなる来季に向けて、課題を言葉にした。
成長の原動力
さらなる成長を遂げるには――。チームで3番を打つ河西威飛(3年、鳥取城北)も同じ右打者。飛距離は渡部に負けておらず、チーム内で高いレベルの競争も繰り広げられている。「今日スタメンだった選手もヤバイと思いながら毎日練習をしています」と、渡部でも安心できない環境。それはレベルアップするために最適だと自負している。さらに、来年は広陵高校の後輩で左のスラッガーとして甲子園で注目を浴びてきた真鍋慧が入学するとも言われている。
「楽しみな広陵の後輩。(大商大に進学すれば)自分とは1年間しか一緒にプレーできないですが、先輩として伝えられることは伝えたい」
仲間からの刺激こそが成長の原動力。大学屈指の右打者は、さらに大きくなっていく。