富士大・長島幸佑 コロナ禍でつかみ損ねたチャンス、4年越しにこじ開けたプロへの扉
11月22日に明治神宮野球大会初戦を迎える富士大学は、10月のプロ野球ドラフト会議で大学の同一チームからの指名数(育成含む)では史上最多となる6人が指名を受けた。オリックス1位の麦谷祐介(4年、大崎中央)を皮切りに次々と歓喜の瞬間が訪れる中、最後に指名されたのがロッテ育成3位の長島幸佑(4年、佐野日大)だ。名前を呼ばれたのはドラフト会議開始から約3時間後。コロナ禍でチャンスをつかみ損ねた高校3年時から4年の月日が経ち、自力でプロへの扉をこじ開けた。
「甘さ」が出た高校時代のコロナ自粛期間
長島は身長187cmの長身から投げ下ろす最速152キロの直球と鋭いフォークを武器に持つ右腕。栃木県さくら市出身で、高校は県内の実力校・佐野日大でプレーした。
高校2年の夏頃から球速が大幅に向上し、エースナンバーを背負った2年秋は県大会で自己最速の143キロを計測。佐野日大の麦倉洋一監督が元プロ野球選手ということもあって多くのNPBスカウトが視察に訪れ、「140キロ台後半が出れば支配下指名もあり得る」との声も耳に入ってきた。
そんな矢先、コロナ禍に突入。「一番球速を伸ばせる時期」と考えていた冬場の約2カ月間、部活動の自粛を余儀なくされた。その期間は寮を離れて自宅で過ごすように指示されたため、自主練習の時間を十分に確保するのも難しい状況だった。長島は「環境のせいにしてはいけない。自分の甘さが出てしまって、努力が足りなかった」と当時を振り返る。
3年夏にかけて球速は140キロ前後で停滞。結局、最後まで2年秋の143キロを超えられず、高卒でのプロ入りは断念した。
安田慎太郎監督の助言でフォークを習得
それでも、進路を決める時期には伸びしろを評価してくれる複数の大学から声をかけられた。中でも早い段階から目をつけていたのが富士大だった。安田慎太郎監督は移動に制限がかかるコロナ禍は、YouTubeで各地の高校生の動画をチェックしていたが、長島はそれがきっかけで興味を持った選手の一人だったという。
長島は父と伯父がOBという縁もあり、富士大へ進学した。1年目は新たに知ったトレーニングに励んで球速が数キロ上がったものの、2年目は急激な負荷がかかったことでひじを痛め、棒に振った。故障明けには先輩に相談して体に負荷をかけずに球速を伸ばすトレーニングを学び、3年春、ついに150キロの大台を突破。しかし実戦では制球難に苦しみ、3年時のリーグ戦は春秋いずれも1試合、3分の1回のみの登板に終わった。
高校で伸ばしきれなかった球速が向上した一方、飛躍のきっかけをつかめずにいた最中、安田監督から「角度があるからフォークを有効活用した方がいい」と助言を受けた。指揮官の言葉を信じ、大学進学直後に試みて一度は諦めたフォークの習得に再挑戦。何度も投げ込んで自分のものにすると、「直球頼み」で崩れる機会が減り三振も奪えるようになった。
昨秋の明治神宮野球大会ではのちに優勝する青山学院大学との準決勝に救援登板し、全国デビューを果たした。強力打線を相手に1回を投げて無安打、1奪三振、無失点。自慢の直球で空振りを取れなかったことを課題に挙げつつ、フォークを有効に使う投球には手応えを感じた。
「プロ一本」の覚悟決め、芽生えた危機感
光は見えてきた。とはいえ台頭が遅かったこともあり、大学卒業後の進路は明確になっていなかった。安田監督も「3年夏の関東遠征で良い投球ができず、僕自身、社会人野球を含めて上でやるのは難しいかなと思っていました」と明かす。
プロへの扉が開きかけていた高校時代とは正反対の状況。当時は「甘さ」が出てこじ開けられなかったからこそ、逆境に立たされた大学では自身に「厳しさ」を課した。「プロにいくためにはひたすら伸ばし続けるしかない。進路先が決まっていなくて焦っていた分、最上級生になってからも『ゆっくりしていられない』という気持ちで上を目指す姿勢を貫くことができました」
今年の春先に「プロ一本」を決意し、退路を断った。平均球速を上げつつ、青山学院大戦を反省材料に「球速以上に速く感じる真っすぐ」を追求。課題だった制球力や変化球の精度も磨き、4年時のリーグ戦は先発でも結果を残した。
ドラフト指名を勝ち取り、残すは「日本一」
そして迎えた歓喜の瞬間。「結構な人数のチームメートが一緒に指名を待っていてくれたので、自分の名前が呼ばれた時はホッとしました」。導いてくれた安田監督と熱い抱擁を交わした。
同じ投手で下級生の頃から切磋琢磨(せっさたくま)した広島2位・佐藤柳之介(4年、東陵)、ソフトバンク3位・安徳駿(4年、久留米商)は支配下で上位指名を受けた。「球速は同じでも(投球の)内容が違うので」と謙遜しながらも、「でも、二人の存在はとても大きかったです。プロに行くまで一緒に練習しながらたくさん吸収して、プロでは同じ球場で投げ合って追い抜けるよう頑張ります」と闘志を燃やす。
ドラフトから2日後にあった明治神宮野球大会の東北地区大学野球代表決定戦初戦では先発登板するも、思うように球速が出ず3回2失点で降板。その後フォームを修正し、大会直前のオープン戦では「神宮では150キロ以上を出せると思う」と自信をのぞかせた。
「あとは日本一を取るだけ。真っすぐ一辺倒にならず、いろんな引き出しを使ってゼロに抑えることに執着して投げたい」と長島。高校では最後に伸び悩んだが、大学では後半にかけて急成長を遂げた。学生野球最後の大舞台で有終の美を飾り、成長を証明してみせる。