仙台大・相原雄太 2度の手術乗り越え育成ドラフト指名、大関友久・川村友斗らに続け
今秋のプロ野球ドラフト会議で仙台大学の相原雄太(4年、伊奈学園)がソフトバンクから育成ドラフト8位指名を受けた。すでにNPB入りした仙台大出身選手は計8人おり、5人が育成指名。このうちソフトバンクで同僚となる大関友久、川村友斗ら4人が入団後に支配下登録を勝ち取っており、相原も「ライバルが多い中でも自分の長所をアピールして、まずは支配下登録を目指す」と意気込む。
「高校で野球に区切り」から一転、大学でも継続
相原は身長191cm、体重97kgの恵まれた体格を持つ最速152キロ右腕。故障が相次ぎ仙台六大学野球リーグでは通算4登板にとどまったものの、下級生の段階で元ロッテ投手の坪井俊樹コーチが「プロにいける素材です」と評価したほど、高いポテンシャルを誇る。
埼玉県川口市出身で、小学1年から野球を始めた。身長185cmの父はバレーボールとバスケットボールの経験者だが、野球好き。幼少期に当時ソフトバンクでプレーしていた斉藤和巳の魅力について教わったことを記憶しているという。
伊奈学園では1年時から内野手として公式戦に出場し、2年秋からはエースナンバーを背負った。当時から身長は190cm近かったが体重は80kgに満たず、直球の最速は130キロ台。独自大会となった最後の夏は初戦に先発登板して八回途中、9四死球、9失点と崩れた。
元々は高校までで野球に区切りをつけ、卒業後は理学療法士などを目指す予定だった。しかし最後の夏が不完全燃焼に終わり、「この体格でやめるのはもったいない」と背中を押してくれた高校の指導者の勧めで仙台大に進学した。
トミー・ジョン手術を経て150キロ台に到達
高校3年の11月にトミー・ジョン手術を受けたため、大学進学後しばらくはリハビリ生活が続いた。再び投げられるようになったのは大学1年の12月。リハビリ期間中は下半身を中心としたウェートトレーニングに励み、スリークオーター気味だった投球フォームを上からたたき下ろすように変えると、球速が大幅にアップした。
投球を再開した時期に初めて140キロ台を計測し、2年秋の練習試合では150キロの大台を突破。「高校生の頃は対戦相手の打球が詰まる感覚がなかった。真っすぐで押せるのは気持ちいいし、強い球は自分の武器になる」。進化した直球に確かな手応えを感じた。またフォームを修正したことでフォークの落ち幅やカーブの曲がり幅も大きくなった。
しかし、「将来につながるこの1年が大事」との思いで臨んだ3年時のリーグ戦登板は春の2試合のみ。特に進路を決める上で重視される3年秋は、一向に調子が上がらなかった。オフに入って社会人野球チームの練習会に参加した際もアピールできず、「4年生になって投げないとこの先の野球人生がなくなる」と焦りが募った。
焦りは悪循環を生んだ。今年の3月ごろは右ひじに違和感を覚えながらも無理をして投げ続け、4月のオープン戦で「我慢できないくらいの痛み」を感じた。手術をすれば大学ラストイヤーを棒に振る。決断を迷ったが、森本吉謙監督から「お前の体格とポテンシャルがあればプロにいける」と言葉をかけられ、「プロ一本」の決意とともに手術に踏み切った。
指導者とチームメートに恵まれ、成長を後押し
手術をした5月から約2カ月間はノースロー調整を続けた。「名前が呼ばれることを信じて今できることをやって、年明けに完璧な状態に仕上げよう」。チームがリーグ戦で2季連続優勝を果たすなど躍動する中、必死にモチベーションを保った。そしてマウンドに戻れないまま迎えたドラフト当日、指名を勝ち取った。
「(手術をすると)また投げられなくなるので焦る気持ちでいっぱいでしたが、監督からもらった言葉が自分にとって大きかったです。この秋も投げたかったけど、自分の将来を考えると無理はさせられないと、監督が決断してくれたのが今につながっている。恵まれた環境でやらせてもらえたと思います」
仙台大では指導者だけでなくチームメートにも恵まれた。中でも自身の成長の糧になったのが先輩投手陣からのアドバイスだ。
2学年上の長久保滉成(現・NTT東日本)にはチェンジアップの握りやリリースの感覚を教わり、それをフォークに応用した。1学年上のジャクソン海(現・日本通運)にはフォークの投げ方、川和田悠太(現・三菱重工East)には直球のキレの出し方などを教わった。相原は「先輩、後輩関係なく手本になる投手が多く、見るだけで勉強になりました」と振り返る。
目標は父が好きだったソフトバンク3軍監督
現在は「80~90%」の状態まで回復した。来年1~2月に照準を合わせて投球の感覚を取り戻しつつ、打者を立たせた投球練習にも取り組む予定だという。
目標とする投手は父が好きだった斉藤和巳だ。斉藤は来季、ソフトバンクの3軍監督を務める。「球種も似ているしストレートで押す強気の投球は理想。けがを乗り越える強い精神力や、マウンドでの立ち振る舞いもかっこいい。そういう選手になりたいので、技術はもちろん苦しい時期の乗り越え方やメンタルの持ち方を学びたいです」。プロの世界でも新たな出会いが待っている。
「思うように投げられない時期が長く、悔しさが残る4年間でしたが、高校時代の実力を考えるとそもそも1軍で投げることさえ想像できなかった。自分でもびっくりしています」と話す相原は、仙台大の後輩たちにバトンを託す。「先輩方の功績があったからこそ自分の指名があった。後輩たちもNPBのスカウトさんに見てもらえるよう、『仙台大いいね』と思わせるような活躍をしたいです」