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特集:あの夏があったから2024~甲子園の記憶

仙台大・齋藤陽 歴史を変えた仙台育英の4番、甲子園は「持っている力以上を出せる」

仙台育英時代、2年の頃から4番を務めた齋藤陽(仙台大の写真はすべて撮影・川浪康太郎)

一昨年夏の甲子園で東北勢初優勝を成し遂げ、昨夏も準優勝に輝いた仙台育英(宮城)。高校野球界の歴史を塗り替えたチームの4番を2年連続で任されたのが、現在は仙台大学でプレーする齋藤陽(ひなた、1年)だ。春も含めると3度踏んだ甲子園で得たものは何か。

「うまさ」を磨き、つなぎの4番を全う

「甲子園は、自分の持っている力以上のものを出せる場所。逆にやってこなかったことはできない場所」。3度経験した甲子園で計14試合を戦った齋藤は、高校野球の「聖地」をそう表現する。

宮城県角田市で生まれ育ち、東北楽天リトルシニアを経て、「地元にこんなに良い高校があるなら、ここで日本一を取りたい」と志して仙台育英に進学。巧みなバットコントロールを武器に1年春からレギュラーの座をつかみ、2年春からは4番を務めた。

宮城県角田市で生まれ育ち、ずっと地元で野球を続けている

中学までは1番や2番を打つことが多く、4番の経験はなし。仙台育英のチームメートには齋藤より大柄な選手や、長打力のある選手が多数いたため、当初は4番起用に疑問を感じていた。「4番にうまいバッターがいたら怖い」。須江航監督から自身を4番に置くメリットを聞いたところ、そのような答えが返ってきたため、それ以降は「自分にしか出せない4番像を出そう」と最大の強みにしている「うまさ」を磨いた。

長打力を欲してウェートトレーニングを強化した時期もあったが、「そこには追いつけなかった」。欲を捨て、高校生の間は「つなぎの4番」に徹した。甲子園では本塁打こそなかったものの、14試合中11試合で安打をマーク。通算打率は3割をゆうに超える。自らの役割を理解し、努力を怠らなかったからこそ、「持っている力以上のもの」を出し切って一昨年の優勝、昨年の準優勝に貢献した。

準優勝だった昨夏の甲子園、花巻東戦でタイムリー(撮影・白井伸洋)

地元の盛り上がりを目の当たりにし、快挙を実感

初めて甲子園に出場した2年の夏は「ずっとテレビで見ていた景色を生で見られて、こんな場所で試合ができて幸せだ」と心を躍らせ、4番のプレッシャーは「1ミリも感じず」にプレーした。優勝は意識せず、目の前の試合に「一戦必勝」で臨んだ。

「優勝できるなんて思っていなくて、いつの間にか決勝の舞台に立っていました」。決勝の前日、宿舎のホテルのテレビで「『白河の関越え』なるか」と盛り上がっているのを目にして、同部屋の橋本航河(現・中央大学1年)と「『白河の関越え』って何だろう?そんな言葉があるんだ」と顔を見合わせた。それほど気負わずに戦い続け、快挙を成し遂げた決勝の日も平常心で迎えた。

とはいえ、優勝の瞬間は格別だった。「言葉には言い表せないというか、こんな感覚はもう二度と感じられないだろうというくらいうれしくて、それ以上に衝撃で。いろいろな感情がありました」

「つなぎの4番」として小技も得意だった(撮影・友永翔大)

大会を終えて仙台に戻った際は大勢の人に出迎えられ、その後も高校野球ファンやメディアの注目度は急上昇。齋藤は「こんなに喜んでくれる方々がいるんだと知ってありがたかった。同時に、自分たちが成し遂げたことはこれほど大きなことだったんだと感じました」と地元の盛り上がりを喜んだ。

最後の夏は「ホームグラウンドくらいの気持ちで」

しかし、優勝後の1年間は「野球はそう簡単ではないと分からされた、思ったよりうまくいかない」期間だった。齋藤を含む甲子園優勝メンバーが多く残る新チームで臨んだ秋の宮城大会は決勝で東北に敗れ、翌春の選抜高校野球大会は8強止まり。注目されるチームの4番に座り続ける中、プレッシャーは日に日に増していった。齋藤が現状を打破しようと長打力を求め始めたのは、この時期だった。

結果的に本来の長所を伸ばす道を選んだが、プレッシャーゆえの上昇志向は間違いなく成長につながった。そして最後の夏、宮城大会を制して出場した甲子園は再び、「一戦必勝」で勝ち進んだ。「どの高校よりもここで試合をしている。ホームグラウンドくらいの気持ちで臨めました」。1年前と同様、甲子園を全力で楽しんだ。

慶應との決勝さえも「2年連続で決勝の舞台に立てていること自体が奇跡。楽しむしかない」と喜びをかみしめながらプレーし、相手の迫力のある応援にもひるまなかった。1年前と違って「優勝しか見えていなかった」ため、敗戦の瞬間は悔しさがこみ上げたものの、奇跡のような高校野球生活は最高の舞台で幕を閉じた。

昨夏の決勝後、優勝した慶應の選手たちと記念撮影(撮影・竹花徹朗)

「仙台育英時代の友だちと試合ができたら楽しい」

東京の大学からも声がかかる中、自宅から車で約20分の距離に練習グラウンドがある仙台大に進学。地元志向が強く、将来は子どもと接する仕事に就きたいと考えていることから、「プロ野球を目指しながら子ども関係のことを学べる、自分にぴったりな場所」だった仙台大の子ども運動教育学科を選んだ。

大学では1年春からリーグ戦に出場。開幕2戦目に「3番・右翼」でスタメン出場して2安打2打点の鮮烈デビューを飾ると、その後もベンチ入りを続け、6月の全日本大学野球選手権では2試合ともスタメンに名を連ねた。また新人戦では準決勝で4安打2打点と打ちまくり、非凡な打撃センスを発揮した。

仙台大では春のリーグ戦から出場、全日本大学野球選手権でもスタメンだった

ただ、本人は「もっと自分の持てる力を出せると思ったので、悔しかった。まだまだこんなもんじゃない」。現在は再び長打力を手に入れようと打撃の改造を行っており、可能性を広げるため練習試合では二塁なども守っている。「もう一度神宮に戻って、仙台育英時代の友だちと試合ができたら楽しいと思う。楽しみながら、また日本一を取りたい」。そう語る表情は、希望に満ちあふれていた。

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