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特集:あの夏があったから2023~甲子園の記憶

東北学院大・岩崎生弥 仙台育英「白河の関越え」を引き寄せた、闘病生活直後の満塁弾

昨夏の甲子園決勝で満塁本塁打を放った仙台育英時代の岩崎(撮影・金居達朗)

昨夏の甲子園、主役は東北勢初優勝を成し遂げた仙台育英だった。中でも、山口・下関国際との決勝で飛び出した満塁本塁打は、今でも野球ファンのみならず多くの人の心に残っているはずだ。打ったのは東北学院大学の岩崎生弥(1年)。甲子園のヒーローは現在、けがと向き合いながら、再び「熱くなれる」日々を思い描いている。

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「バットを振るのもしんどい」苦悶の日々

宮城県大崎市出身の岩崎が野球を始めたのは、小学1年生の頃。当時は二遊間の守備に定評があり、中学1年生の頃にはU-12日本代表に選出された。仙台育英を志すきっかけとなったのは、2015年夏の甲子園。準優勝を果たしたチームをテレビ画面越しに目撃して以降、進路希望は「仙台育英一択」。中学時代の監督に県外の強豪校を勧められても、きっぱりと断った。

希望通りに進学し、新しい環境に慣れ始めていた高校2年の6月。岩崎を病魔が襲った。症状に気づいたのは食事の時だった。「何を食べてもすぐに嘔吐(おうと)してしまう。麺類しか食べられない時もあった」。ランニングをしていても苦しさを感じるようになり、当初は「体力が落ちたのかな」と考えていた。しかし症状が治まらず、病院を受診すると「逆流性食道炎」と診断された。

診断から約2カ月間チームを離れ、実家で療養した。練習に戻ってからも、ユニホームは着ずにマネージャーの業務を引き受けた。復帰を待ち望み、励ましの言葉をかけてくれる仲間がいたため、心が離れることはなかったが、肝心の野球ができない。「3カ月経っても苦しさがあって、せきも出続けていた。バットを振るのもしんどいくらいで、『1回振ったらまた吐く』というのが自分で分かるようになった。『治るのかな』と、どんどん不安になっていった」。苦悶(くもん)の日々は、今でも鮮明に記憶している。

2015年夏の甲子園で先輩たちが準優勝してから、進路希望は「仙台育英一択」(撮影・金居達朗)

宮城大会ベンチ外から、甲子園の主役へ

結局、チームメートと同じ練習メニューができるようになったのは診断から約1年後。最後の夏を目前に控えた時期だった。復帰後は練習試合で懸命にアピールしたものの、夏の宮城大会ではベンチ入りできなかった。心が折れかけたが、須江航監督から「お前は21番目の選手だ(ベンチ入りメンバーは20人)。ここで腐らないで甲子園を目指して練習してほしい」と声をかけられ奮起した。

須江監督から求められた打撃を磨いた結果、甲子園では背番号14でメンバー入りを果たした。初戦の鳥取商戦、八回無死一、三塁の好機に代打で登場し、甲子園初安打初打点を記録。小学生の頃から憧れていた大舞台は「思ったより緊張しなくて、素直に楽しい場所だった」。1打席目から結果を残した岩崎はその後も安打を積み重ね、気づけば中軸を任されるようになっていた。

そして迎えた決勝、4-1と3点リードの七回1死満塁。「これが高校生活最後の打席だと感じていた。四球は面白くない。最後は振って終わりたい」。カウント3ボール1ストライクから投じられた5球目は高めのボール球。見送れば四球だが、強引にフルスイングした。打球は左翼席に到達し、岩崎は甲子園のヒーローとなった。

生還し、ベンチで須江監督(左)と抱き合う岩崎(撮影・柴田悠貴)

目標があったから「青春」を手放さなかった

「青春って、すごく密なので」。須江監督が優勝監督インタビューで発したこの言葉は、新型コロナウイルス禍に生きる人々の心を打った。岩崎も修学旅行や学内行事が次々と中止になり、通常の学校生活を送れなかった高校生の一人。そこに1年間の闘病生活も加わり、「青春」を見失いかけていた。

それでも、岩崎の高校3年間には常に「甲子園」という目標があった。憧れの場所があるから、仙台育英の仲間と全力でその場所を目指していたから、どんなに苦しくても高校野球という「青春」を途中で手放すことはしなかった。「目標があるから練習する。みんなが同じ目標を持っていたから、日本一になれた」。そう力を込める。

岩崎はさらに続ける。「甲子園がなかったら、野球をやめていたかもしれない。甲子園はないとダメな、必要不可欠な場所ですね」

「甲子園がなかったら、野球をやめていたかもしれない」(撮影・川浪康太郎)

大学野球でも新たな目標に向かって

今春からは東北学院大に進学し、硬式野球部に入部した。右肩の関節唇損傷を発症して現在はリハビリ中。打撃練習を中心に行いながらじっくりと復帰を目指している。プロ野球や社会人野球でプレーする未来も視野に入れつつ、大学生活を送る中で「起業」という新たな夢も見つけたという。

昨夏の甲子園での満塁本塁打は、大学のチームメートにも強烈な印象を与えているといい、周囲からは「ホームランバッターだと思われている」。打席に立つと「ホームランを打て」とのかけ声も聞こえてくる。ただ本人は「打率や出塁率にこだわる選手」だと自覚しており、本来の打撃スタイルを見失わないよう意識している。

「大学野球に甲子園はない。新しい目標を見つけないと、野球をやる意味がなくなってしまう。甲子園くらい熱くなれるかは分からないけど、またみんなで同じ方向を向いて野球がしたい」。今春のリーグ戦期間中はスタンドから試合を観戦し、リーグ戦の舞台に立つことが直近の目標になった。これからの4年間は、大学野球という「青春」を駆け抜ける。

右肩を痛めているため、今は打撃練習を中心に復帰を目指している(撮影・川浪康太郎)

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