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特集:あの夏があったから2021~甲子園の記憶

仙台育英・小濃塁 本塁打放った準々決勝、飲み物を持ってマウンドへ

101回大会準々決勝、マウンドへ向かい星稜の荻原(左)へ飲み物を手渡す小濃(撮影・細川卓)

東都大学野球で今秋4年ぶりに1部復帰する日本大学の小濃塁(おのう・るい、2年)は、仙台育英(宮城)時代に2年連続で甲子園に出場した。最後の夏はベスト8まで進み2本塁打と強打を披露、思いがけず心温まるエピソードも残すことになった。

鮮明に覚えている、1本目

「打った瞬間『いった』と思ったんですけど、『まさか自分が甲子園でホームランを打てるなんて……』という思いも同時にあって、走りながら不思議な感じでした」

101回大会2回戦、一回、本塁打を放ち一塁を回る小濃(撮影・朝日新聞社)

憧れの甲子園で放った初本塁打。小濃はその場面を今も鮮明に覚えている。高校3年夏の101回大会、2試合目の鳴門(徳島)戦、初回に1点を先制した後、右中間スタンドへ運んだ。

「初球は低めへの変化球がショートバウンドしてボール。2球目、相手投手はボールが2つ続くのが嫌だろうから真っすぐでくるだろうと思ってました。狙い通りの真っすぐが真ん中あたりにきて、それをホームランにできたというのがうれしかったです」

チームは初戦の飯山(長野)戦に続き、この2回戦も快勝。続く3回戦では敦賀気比(福井)を接戦の末に下して8強進出したが、準々決勝では星稜(石川)に1-17と大敗した。前日の3回戦で星稜のエース奥川恭伸(東京ヤクルト)は14回165球を投げていたため、この準々決勝は登板を回避した。仙台育英ナインは、またエースを投げさせたいという星稜の執念の猛打に圧倒された。小濃は四回、ライトスタンドに甲子園2本目の本塁打を放ったが、得点はこの一発だけだった。

「星稜は強かったです。試合の後半から圧倒されました。でも、最後までやり切った姿は見る人に届けられたんじゃないかなと思います」。今はすがすがしい表情で振り返れる。

101回大会2回戦、本塁打を放ち笑顔をみせる(撮影・細川卓)
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とっさに駆けだした

この準々決勝で小濃は本塁打より語り継がれるエピソードを残した。七回、仙台育英の攻撃中、好投を続けていた星稜の先発・荻原吟哉(亜細亜大1年)がマウンドで投球動作に入れなくなった。暑さの影響で、荻原の右手はつりかけていたのだ。小濃はとっさにスポーツドリンクが入ったコップを持って、ベンチを飛び出してマウンドへ走った。

「打席の準備をする前、ベンチでスポーツドリンクを飲もうとしていたら、そういう状況になっていたので、持って行きました」

101回大会準々決勝、小濃は大会2本目の本塁打を放つ(撮影・細川卓)

マウンドで、小濃が「まだ先があるんだから、しっかり飲めよ」と笑顔でドリンクを渡すと、萩原は「ありがとうございます」とお礼を言ってコップに口をつけた。甲子園の大観衆から大きな拍手が送られた。

この場面の話になると、小濃は「試合の後、いろんな人にほめていただいたんですけど、うれしい半面、ちょっと恥ずかしくて……」と、照れくさそうな表情を見せた。当たり前の行動だった。一方で思いのほか大きく報道されたりして、照れくささも感じたという。

逆境を乗り越えてつかんだ甲子園

高校野球を「やり切った」と小濃は表現するが、順風満帆な2年半ではなかった。レギュラーを目指して厳しい練習に取り組んでいた1年生の冬だった。野球部員の不祥事が発覚し、対外試合が禁止となった。長年チームを指導してきた佐々木順一朗監督(現・学法石川監督)が退任し、新たに須江航監督が就任した。

「最初は本当に、何が起きているのか分からない状況でした。何も考えられなかったですし、何をしたらいいのかも分からなくて。(福島から)親元を離れて宮城に来たのにもかかわらず、何やっているのかな、という思いもありました」と小濃はつらかった時期を思い出し、言葉を絞り出した。

全体練習は許されず自主練習を続けた。2月から全体練習が再開され、3月からはひたすら紅白戦を繰り返した。対外試合禁止が解けて間もなく、夏の宮城大会が始まった。仙台育英は2年連続で宮城大会を制し、甲子園切符を勝ち取る。小濃はこの夏からレギュラーを獲得し、第100回大会にも4番、レフトで出場した。初めての甲子園では初戦で浦和学院(埼玉)に0-9と大敗し、全国のレベルを痛感させられたが、翌夏も甲子園に戻れた。小濃は2年連続で4番として甲子園の土を踏み、最後の夏はあのエピソードにつながるベスト8まで勝ち進んだ。

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「塁」に込められた思い

卒業後、小濃は東都の名門・日大へ進学した。2023年に創部100周年を迎える日大野球部は、これまでに村田修一(巨人コーチ)、長野久義(広島)、京田陽太(中日)ら数多の野球人を輩出してきた。エース赤星優志(4年、日大鶴ケ丘)、主将で遊撃手の峯村貴希(4年、木更津総合)らは今秋のドラフト候補として注目されている。小濃も「2年後のドラフトでプロへ行きます。プロで活躍するために日本大学へ進んだので」と力強く目標を話す。

今秋は東都大学野球の1部で初めて戦う(撮影・小川誠志)

日大は17年秋に入れ替え戦で敗れて以降、2部での戦いが続いていたが、今春、リーグ優勝し、入れ替え戦に連勝して1部復帰を決めた。リーグ戦最終週の専修大1回戦、0-0で迎えた九回、代打で打席に立った小濃はライトスタンドへ決勝本塁打を放ち、リーグ優勝に王手をかける貴重な勝利に貢献した。

「塁」という名前には、野球好きの父・芳勝さんの「本塁打を打てる強い男になってほしい」という思いが込められている。甲子園で2本、そして大学でもチームのリーグ優勝に貢献する一発、その名の通りの活躍を見せている。チームではまだレギュラーをつかんだとは言えないが「レギュラー獲得は通過点。秋はタイトルを取るつもりで臨みます」と意気込む。目標に向けて、今日もバットを振る。

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