野球

特集:あの夏があったから2021~甲子園の記憶

浦和学院・蛭間拓哉 「緑学年」の君たちへ、恩師に有終の美を

100回大会2回戦、八回に蛭間は本塁打を放つ(撮影・藤原伸雄)

浦和学院(埼玉)の森士(おさむ)監督(57)が今夏限りで退任する。夏の甲子園に前回出場した3年前、主将だった蛭間拓哉(早稲田大学3年)は「人としてというところです。あいさつや目配り、気配り。そういう小さなことに気付けたら、おのずとプレーの細かい部分に気付けるようになる」と恩師の教えを振り返った。

「二兎」を追い浦学へ

「自分の目標として、甲子園に出場することとアンダー18(高校日本代表)に選ばれたいという思いが強かった」。群馬県桐生市出身の左の強打者は、甲子園の常連で、かつ毎年のように高校日本代表を輩出していた埼玉の強豪校を目指した。中学1年の夏にテレビで見た第95回大会(13年)の1回戦、浦和学院-仙台育英(宮城)の熱戦も「すごく鮮明に覚えている」と進学の一つのきっかけになった。あの夏の浦和学院は2年生エース小島和哉(千葉ロッテ)らを擁し、春夏連覇を狙っていたが、初戦でサヨナラ負けした。

入学後、蛭間は1年春から打線の中軸を任された。しかし、甲子園は遠かった。春、秋の県大会は勝てても、夏は勝ち切れない。2年の夏、埼玉大会決勝で敗れた花咲徳栄が県勢初の全国選手権制覇を達成した。新チームから主将になった蛭間は「口だけにならないように」と自ら行動した。下級生たちが「先輩を応援したい」と思えるようなチームを作りたいと思った。2年秋は県大会の準々決勝で敗れたが、3年春の県大会は優勝。決勝は花咲徳栄を相手に九回、蛭間の本塁打で追いつきサヨナラ勝ちした。

18年春の埼玉県大会決勝で九回に同点本塁打を放った蛭間(撮影・米田悠一郎)

夏の100回南埼玉大会決勝でも蛭間は本塁打を放ち、チーム5年ぶりの夏の甲子園をつかんだ。「春、秋はほとんど優勝させて頂いた。でも、夏だけ勝てない。夏、勝つ大変さとか、厳しさとかを1年生の時から教えてもらった。自分の感じたことを同級生や下級生に全部伝えられ、チームが一つにまとまり甲子園に行けた。先輩たちにはいい経験をさせてもらった」

仙台育英を引き当てる

甲子園の抽選会で自ら引き当てた初戦(2回戦)の相手は、くしくも5年前に敗れた仙台育英だった。「リベンジを」と関係者は盛り上がった。「浦学として5年ぶりですけど、自分たちは初めての甲子園。何も雰囲気がわからない中、勝ったり負けたり経験された監督さんは心強く、甲子園の怖さなどいろいろ教えてくださった。自分たちはそれを信じてやるだけだった。緊張することなく、しっかりプレーできた」。仙台育英戦は自らも本塁打を放ち9-0で快勝した。3回戦は二松学舎大附(東東京)に6-0で勝ち、渡邉勇太朗(埼玉西武)が完封した。

100回大会3回戦、五回に二塁から生還する蛭間(撮影・水野義則)

蛭間が甲子園で最も記憶に残っているのは仙台育英戦の本塁打ではなく、準々決勝の大阪桐蔭戦での守備だった。三回、2点リードされてなお、1死満塁のピンチ。5番の根尾昂(中日)がセンターフライを打った。この打球を捕った蛭間が本塁へ一直線に好返球、追加点を許さなかった。「ランナーは走ってこなかったんですけど、1球投げただけで『ド~ン』という感じの歓声がして、甲子園はすごいなって思いました」

この試合は春夏連覇することになる大阪桐蔭に2-11で力負けした。「最後はすごく離れてしまったんですけど、粘り強くプレーできたのでやり切ったなと。桐蔭に負けたらしょうがない、という気持ちもありました」と振り返った。大会後、高校日本代表に選ばれ、U18アジア選手権に出場。入学してから、コーチに励まされながら追い続けてきた2つの夢を実現させた。

100回大会2回戦、飛球を好捕する蛭間(撮影・水野義則)

早稲田大学で悩み、成長

早稲田大学へ進んで大きな壁に当たった。「全く打てない状態だった」と言う。東京六大学では同期の立教大学の山田健太(大阪桐蔭)や慶應義塾大学の下山悠介(慶應義塾)らが1年生から活躍した。「焦りはあったが、自分は自分で上級生で活躍できるように目標を立て、まずは土台作りでしっかり体を作っていこうと思えた」。2年春からシーズン3本塁打ずつ放ち、昨秋にはリーグ優勝に貢献。今春は外野手で初めてのベストナインに選ばれた。「チームのために、今はいろいろ取り組んでいます」と春のリーグ5位から巻き返しを誓う。

土壇場の蛭間拓哉の逆転弾で早大が10季ぶりV
東京六大学では通算9本塁打放っている(撮影・森田博志)

色つながりの後輩にエール

コロナ禍で夏の甲子園が中止になった昨年は、浦和学院で3年の時の1年生だった2つ下の無念の後輩たちへビデオメッセージを送った。今夏、3年ぶりの甲子園を決めた3年生とは高校で重なっていないが、「色」でつながっている。

「浦和学院は学年のカラーがあります。黄色、緑、赤。自分たちは緑で、入れ代わりの子たちも緑。『緑学年』っていうのがあって結構、応援とかします。上の緑学年は選抜ベスト4(15年)で、すごかった」。今年の吉田瑞樹主将は組み合わせ抽選で代表校の最後に登場する試合を引き当てた。3年前に蛭間が引いた仙台育英戦も、同じようにしんがりで登場しての試合だった。

1991年に森監督が就任後は、選抜大会は優勝(85回=13年)したが、夏は前回の8強が最高成績だ。「チームのバランスは自分たちの代よりいいと思う。打線の技術も随分、進化している」。恩師に有終の美を。蛭間は後輩たちへ期待を込めた。

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