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特集:あの夏があったから~甲子園の記憶

敦賀気比・御簗龍己 福井工業大学でも続く地元から目指す日本一の夢

第101回大会1回戦、五回表敦賀気比1死二塁、御簗は中前適時打を放つ(撮影・朝日新聞社)

福井工業大学の御簗龍己(おやな・りゅうき)は第70回全日本大学野球選手権記念大会(6月)で輝いた1年生の一人だった。捕手で全5試合に先発し、チーム43回目の出場で初の決勝進出に貢献した。福井県永平寺町育ちの野球少年は、兄の背中を追い地元の強豪・敦賀気比で日本一を目指した。夏の甲子園は2年生の時に3回戦進出、昨夏は大会が中止に。北陸勢初の選手権制覇の夢を大学でも追いかける。

福井工業大の下野博樹監督、快進撃支えた「やる気スイッチ」押す人間力

兄の背中を追い

御簗が地元の少年野球クラブに入ったのは、幼稚園児からだった。「兄について行ったりして、試合には出られませんが、端っこの方で遊んでいました」
6歳上の兄、翔(バイタルネット)が高3になり、敦賀気比は夏5年ぶりの代表になった。「小6の時、兄の応援で初めて行きました」と第96回大会(2014年)を甲子園で観戦した。兄のチームは爆発的な攻撃力をみせ快進撃が続いた。準決勝の大阪桐蔭戦、6番打者の兄は初回に満塁本塁打を放つと、三回にも2打席連続本塁打を打ち込んだ。

第96回大会準決勝、御簗の兄、翔は一回に右越え満塁本塁打を放つ(撮影・諫山卓弥)

乱打戦の末、優勝する相手に9-15で打ち負けたが、強烈な印象を残した。龍己はこの試合を甲子園で応援できなかったが、「打つと思ってなかったので、正直、びっくりしました。でも、自分が追いかけている背中は間違ってなかったと思いました」。敦賀気比は翌15年の選抜大会で北陸勢初優勝、名実ともに強豪校の仲間入りをした。

2年夏に甲子園へ

「兄が立った舞台なので、気比で同じユニホームを着て、甲子園という同じ道を通りたいという気持ちはすごかったですね」。18年、御簗が敦賀気比に進学した夏、チームは3年ぶりに甲子園へ戻ったが、1年生捕手はけがもありアルプス席からの応援だった。

101回福井大会坂井戦、敦賀気比は六回、適時打で二走の御簗がかえり勝ち越し(撮影・平野尚紀)

2年夏の第101回大会で初めて甲子園の土を踏んだ。「スタンドから見るのと、中に入ってやるのは比べものにならないぐらい違いました。最初は緊張したんですが、その緊張感で自分のパフォーマンスが上がった気がしました」。最も覚えているのは1回戦の富島(宮崎)戦だ。「甲子園で最初の試合ということもありますし、チームとしてちゃんとヒットで打点を稼いだのは自分が最初だったので印象に残っています」

1点を勝ち越した五回1死二塁から8番に入っていた御簗は中前へチーム初の適時打を放った。小学生の頃からずっと捕手。「グラウンドの監督というか、一人だけ野手と向き合っているんで。堂々としたというか、そういうところが好きです。ピッチャーを引っ張れたというか、自分の思っているように配球とかリードができた」。この試合を5-1でものにすると、2回戦は國學院久我山(西東京)に19-3と大勝、3回戦は仙台育英(宮城)相手に3点を先行したが、3-4で逆転負けした。

仙台育英戦の八回1死一、三塁、スクイズを外した御簗(右、撮影・柴田悠貴)

メンバー18選手のうち、10選手が1、2年生だった。同期にはエース笠島尚樹(巨人育成選手)や中軸打者の長谷川信哉(西武育成選手)らがいた。
「やっぱり、もう1回甲子園に行きたいという思いで練習していた。自分たちの代は、ピッチャーもバッターもそろっていたので、甲子園、全国制覇を狙えるチームだった」

新チームになり秋の県大会決勝は27-4で圧勝した。北信越大会の準々決勝で敗れ、選抜大会には選ばれなかったが最後の夏に懸けていた。しかし、コロナ禍で大会は中止になった。
「(2年生で)ベスト16まで行ったので、そのチームを超えるためにずっと練習をしていた。正直、これからどうすればいいのか。どう野球に向き合い、どこに目標を置けばいいのか、そういう心情になりました」

甲子園は中止になったが、夏の福井県大会は開かれることになった。「先輩方が2年連続(夏の福井代表)という形でつないでくれたものを途切れさせないように、絶対、勝つという意志を持ってやりました」と気を抜くことなく優勝。福井工大福井との決勝では自ら本塁打も放って快勝した。チームが夏の福井大会で「3連覇」するのは初めてだった。

福井工大へは自宅から

プロ入りという大きな目標はあったが、大会がなくなったことでアピールする機会も減った。「大学進学はどこにするのか迷ったが、大学でもアピールしようと思ったら、全日本(大学野球選手権)や(明治)神宮大会に出ないといけない。福井工大が一番その舞台に近づけると思った。大学はすごくお金もかかる。親の負担も少しでも減らせるように」と地元の大学へ進むことに決めた。敦賀気比では寮に入っていたが、今は自宅から通っている。

春の北陸大学野球リーグは代打の出場からだったが、先輩捕手がけがしたこともあり、先発マスクをかぶるようになった。コロナ禍でリーグ戦は中止になったが、10大会連続の全日本大学野球選手権代表の座をつかんだ。大会前、下野博樹監督は1年生捕手を不安材料の一つに挙げていたが、期待の裏返しでもあった。

痛感したレベルの差

御簗は「試合前にLINEで『頑張れ』とか送ってきてくださった先輩方や同期がいた。試合中、ベンチからアドバイスをもらうなど支えられプレーに集中できた。神宮と東京ドームで試合するのは初めてでしたが、甲子園よりは緊張はしなかった」と振り返る。チームは快進撃が続いたが、決勝では慶應義塾大学に2-13と大敗した。「優勝したかったのですが、東京六大学とのレベルの差を感じました。大学に入り金属から木のバットに代わり、まだ、対応しきれていない。バッティングは少し不安ですけど、打てるキャッチャーになれるよう練習していきたい」

全日本大学選手権では全5試合に先発、福井工大は初の決勝進出(撮影・森田博志)

後輩たちへ託した思い

夏の選手権福井大会は、講義や練習の空き時間を使い、後輩の応援に行った。新チームは昨秋から北信越では負けなし。夏の福井大会も準決勝、決勝は零封勝ちだった。御簗は3大会連続10回目の夏の甲子園出場を見届け、「よう頑張った、おめでとう」とメンバーたちを祝福した。「去年まで自分が着ていたユニホーム。応援する立場になると、気比のユニホームを着て野球をするのがちょっと恋しい、寂しいという気持ちもある。まあ、そこは、後輩たちの晴れ舞台をしっかり応援したい。バッティングに関しては僕らの代より上、全国でも通用するチームだと思います」
途切れさせなかった先輩たちから引き継いだ思いを、後輩たちへ託した。

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