ラクロス

特集:駆け抜けた4years.2025

関学大・林知奈美、はい上がった熱きアタッカー インカレ決勝で自身初の優秀選手に

全日本大学選手権決勝で優秀選手に選ばれた関西学院大学の林知奈美(本人提供以外はすべて撮影・浅野有美)

12月に東京・江戸川区陸上競技場で行われた全日本大学選手権大会(インカレ)。2018年以来の優勝を狙った関西学院大学は早稲田大学に敗れ準優勝だった。4得点を挙げて最後まで攻め続けたのが副将でAT(アタック)の林知奈美(4年、関西大倉)だ。自他ともに認める「熱い選手」。Bチームからはい上がり、自身初の大会優秀選手に選ばれた。大学で競技を引退し、これからはスタンドから熱い声援を送る。

勢いで入部したラクロス部

大学の頂点を決める舞台で、林は誰よりも熱く攻め続けた。初優勝を狙う早大に対し、関学大は前半でリードするも後半で逆転を許す。4Qで林が4得点目をもぎ取って食らいついたが、5-8で試合終了のホイッスルが鳴った。林の日本一への挑戦が終わった。

悔し涙がこぼれた。でも「全員が全力を尽くした結果」。この4年間で間違いなく最も印象に残る試合だった。

林は大学でラクロスに出会った。幼稚園から中学校まではクラシックバレエを習い、中学校では硬式テニス部に所属。高校時代はアメフト部のマネージャーだった。運動能力が飛び抜けて高いわけではなかったがスポーツは好きだった。

大学に入り、「最後はプレーヤーとして、学生だからこそできる部活に携わりたい」と思い、入部先を探した。各部のSNSを見ていて目にとまったのがラクロス部のインスタグラムだった。

「関学ラクロス部は、全員がラクロス初心者でありながら、日本一をとっているというワードに魅力を感じて、正直勢いで入りました(笑)」

ラクロスは映画やアニメで見たくらい。いざ体験練習に参加してみると全くコツがつかめない。「なんやこのスポーツは、と思ったのは覚えています(笑)」。ただ、日本一にかける情熱はビシビシと伝わってきた。

大学からラクロスを始めた林。熱いプレーが持ち味だ

試合はスタンドで応援「いつかあの舞台に」

関学大は試合のスターティングメンバーに入る約20人のAチームと、それ以外のBチームに分かれている。林はBチームからのスタートだった。1、2年時はけがに悩まされ、試合にほとんど出られなかった。スタンドで仲間を応援する日々。同期がAチームに上がっていくのを見ながら悔しさが募った。それでも「いつかあの舞台に立ってやる」と闘志を燃やした。

転機は2年生の時に訪れた。

東京・駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場で行われた全日本大学選手権決勝。強豪の慶應義塾大学を相手に終始追いかける展開で、最後まで差を詰め切れずに敗退した。試合終了の笛が鳴った瞬間、当時のATリーダーで、現コーチの秋川桜(現・Chez)が泣き崩れた。林はその光景が目に焼き付いた。

「あっきーさん(秋川)は完璧で憧れの存在でした。このチームが絶対に日本一をとると確信していたからこそ、日本一という形で恩返しをしたいと思いました」

それから練習に一層熱が入った。決勝の舞台を初めて見た選手も多く、チーム全体の士気が上がった。「日本一の壁の高さを思い知らされました。最強だと思っていたメンバーがあれだけやっても届かなかった日本一。その人たちをさらに上回らないといけないという基盤ができました」

3年生の7月、林はついにAチーム入りを果たした。

Bチームでのポジションは攻撃と守備のどちらにも関わるMF(ミディ)だったが、Aチームに上がる時にATに専念することを決めた。

卓越した技術はないが強気のプレーと1on1での強さが林の持ち味だった。ラストイヤーの決勝でスターティングメンバーとして活躍するという自身の目標、そして日本一になるというチームの目標。これらを最短距離で達成できるポジションはどこなのか。周りに相談しながら出した結論が、攻撃の中心となって点を取るATだった。

全日本大学選手権の決勝で2得点目を挙げた

関西リーグ戦の京都大学戦で初めてスターティングメンバーに選ばれた。

当時主将だったAT東浦綾(現・MISTRAL)のけがで、林に出番が回ってきた。「先輩から、『いつ活躍できる場が出てくるかわからないので、(憧れの人を)超えられない存在と捉えるのではなく、その人の場を取るぐらいの気持ちを持っていないと活躍できないよ』と言われていて、その気持ちを持ち続けたからこそ、その1枠に入れたのかなと思います」。代役に少し複雑な思いもあったが、「絶対に活躍しよう」と臨み、得点を挙げてアピールした。

そのシーズンは全日本大学選手権準決勝で立教大学に敗れ、決勝には進めなかったが、ラストイヤーに向けてより気合が入った。

全力で戦った決勝「一瞬に感じた」

新体制になり、主将に就任したDF倉本莉子(4年、啓明学院)を支えるため、林は副将に立候補した。誰よりも熱い気持ちで練習や試合に取り組んだ。9月に兵庫県丹波市で行った合宿ではスローガンに「超えろ」を掲げ、合宿前のミーティングで自分たちの変えたい部分を発表し合い練習に臨んだ。各自が弱いところに向き合い、克服することに重点を置き、合宿を終える頃にはチームに自信がついていた。

技術面では、2024年女子20歳以下世界選手権日本代表で、DF廣瀬珠桜(2年、鳴尾)とMF大井里桜(2年、大阪信愛女学院)が国際大会の経験をチームに還元してくれたことで、スキルアップにつながった。

関西リーグで3連覇を果たし、全日本大学選手権に進出。準決勝の明治大学戦は延長サドンデスで第3ピリオドまでもつれ込む厳しい戦いだった。林は合宿のスローガンだった「超えろ」という言葉を何度も投げかけてチームを鼓舞し、粘り勝った。

関西リーグを3連覇し、悲願の日本一に向けて練習してきた(本人提供)

そして迎えた決勝の舞台。林はスターティングメンバーとしてフィールドに立った。

2年前の決勝はスタンドで応援していた。そのスタンドではチームメートや大勢の観客が声援を送ってくれていた。関西リーグファイナル3決勝で戦った同志社大学の選手たちもいた。

これまでの試合は緊張で力を発揮できないことが多かったが、その日は力がみなぎっていた。

東京開催のアウェーの中、林が先制点を入れて勢いをつけた。直後に早大に1点を奪われ同点で1Qを終了。2Qでも林は追加の2得点を挙げ、関学大は3-2とリードして前半を折り返した。しかし後半に入ると勢いをつけた早大が一気に3得点。4Qで林が意地の4得点目を入れたが3点差を詰め切れず、日本一にはあと一歩届かなかった。

チーム全員が全力を出した結果の準優勝。悔しかったが、やりきった気持ちもあった。

「あの会場にいたのが10分くらいの感覚。何時間もいたはずなのに一瞬で終わったという感覚でした。あの場を全力で楽しめたからこそ、一瞬に感じたのかなって」

林は試合での活躍が評価され、自身初の大会優勝選手(VP)に選ばれた。

「私は入部して2年間は試合にも出られず、Bチームからはい上がって、よくAチームに残れたなというような選手でした。あの日4得点できたのはその立場だったからこそできたと感じています。先輩、後輩、同期にたくさん迷惑もかけたし、たくさんの人に支えてもらったからこそ、日本一への思いを私にたくしてくれたのかなと。たくさんの人がのせてくれた熱い気持ち、強い気持ちが得点につながったのかなと思います」

自身初の大会優秀選手に選ばれ、少し笑みがこぼれた

ラクロスを通じて最高の仲間に出会えた

林は大学で競技を引退し、4月に飲料メーカーに就職する。

「人生でこれ以上ないっていうくらい最高の仲間と出会えて、これ以上ない経験をさせてもらった」と笑顔で語る。

自宅から2時間かけて練習に通い、早朝や深夜の移動も多く、睡眠時間が3時間くらいしかとれない時もあった。家族は近くの駅まで送ってくれたり、お弁当を作ってくれたりサポートしてくれた。競技をやめたいと思ったことはなく、しんどい時は自分についてきてくれる後輩たちを見て、「このままじゃだめだ」と自分を奮い立たせた。

「関学でするラクロスが好きだったなと思います。スキルで自分のことをうまいと思ったことはない。でも強い選手にはなれたのかな、と思います。4年前、勢いで入ったけれど、その選択をした自分をほめてあげたいくらい、最高の存在に出会えました」

ラクロスを通じて「人生でこれ以上ないっていうくらいの仲間と出会えた」(本人提供)

ラクロスは2026年に日本で世界選手権が開催され、2028年ロサンゼルスオリンピックの追加競技に選ばれている。関学大には廣瀬、大井のほかにも、2024全国学生オールスターに選ばれた倉本やDF大川詩織(4年、関西大倉)ら実力者がそろっている。「チームメートからオリンピック選手が出るかも」と考えるだけでワクワクするという。

「決勝の後、一番泣いていたのは後輩たちでした。その姿を見て、また強くなるなと思いました。後輩たちには日本一に向けて頑張ってほしいですし、私はスタンドから全力で応援させてもらいます」

社会人になっても競技を続ける仲間、大学日本一を目指す後輩たちの活躍を願って、林は誰よりも熱い声援をスタンドから送るつもりだ。

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