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連載:4years.のつづき

野球は生涯の友 志村亮・3

野球は生涯の友 志村亮・3
引退後も野球との縁は続いた

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多い。学生時代に名を馳(は)せた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、それらを社会でどう生かしているのだろう。「4years.のつづき」を聞いてみよう。桐蔭学園高~慶應義塾大というアマチュア球界のエリートコースを歩み、ドラフト指名確実と言われながらサラリーマンとなった志村亮さんのストーリー3回目です。

バブルの浮き沈みを経験

東京は霞ヶ関の官庁街。この一角にある高層オフィスビルの10階に、志村の職場がある。「三井不動産リアルティ株式会社」。個人向け、法人向けの不動産仲介事業や「三井のリパーク」でおなじみの駐車場運営などを営む会社だ。「いまやってる仕事は、何でもありなんです。住宅でもビルでも物流でもホテルでもリゾートでも、そういう施設や土地を買いたいというお客さんがいたら、売り手、売り物を探してきますし、逆のケースもあります。ジャンルは非常に広い仕事です」。三井不動産に入社以来、ビルのテナント誘致の営業から始まり、分譲住宅の用地取得、都市の再開発事業などを手掛け、この4月から部長として現在の部署にやってきた。

「都市再開発のような大きなプロジェクトに携わりたい」と不動産業に飛び込んだのは1989年。昭和天皇の崩御にともない、元号が「平成」に変わり、日経平均株価は、史上最高値の3万8915円をつけた。お茶の間のテレビCMでは「24時間タタカエマスカ」と、威勢のいい言葉が連日流れていた。

「当然、苦労はありました。バブルがはじけてビルのテナントさんが決まらなかったり、都市の再開発なんかになると、地権者さんが複数いて、まとめるだけでもひと苦労です。それでも、僕のイメージしていた通りのダイナミックな会社だったし、そのイメージ通りのものをさらに膨らませて成長し続けている会社だったので、やりがいのある仕事をずっとやらせてもらって、非常に感謝してます」。いま思えば、あっという間の30年かもしれないが、口ぶりにはサラリーマン人生を十分に謳歌してきた充実感が漂う。

いつもそばに野球があった

プロ入りを拒否したからといって、野球との縁を断ち切ったわけではなかった。三井不動産では軟式野球部に所属。三井グループの大会や不動産業界の大会なんかに、いまでも駆り出されている。「いま、ちょっと左肩が痛くて。昨年の大会で結構、投げすぎましてね」。硬式でも社会人のクラブチームである「WIEN‘94」(現WEIN’Zの前身)で監督、選手として活躍し、全日本クラブ選手権大会にも出場、優勝もした。

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4年のときには日米大学野球に出場(写真・本人提供)

母校の慶大では、卒業後も技術委員のメンバーとして後輩たちの指導ーにあたる。「一時期やらなかったときもありましたが、ほぼ続けてます」。春と夏のキャンプに顔を出したり、リーグ戦が始まれば、神宮球場へ足を運んでアドバイスもしている。

担当するのはもちろん投手陣。技術を教えるというよりは、自身の経験談を語ることが多いようだ。「かつては聞きにくる学生はあまりいませんでしたけど、最近は結構いますよ」。昔に比べ研究心旺盛な選手が多くなったという。志村が重視するのは、試合中の駆け引きとか瞬時の判断力だ。「こういうことは経験値がものをいいますからね。こういう時はこういう気持ちでやったほうがいいとかいう話は、成功体験からのアドバイスが効きますから」

球種については独自の理論を持つ。自身の現役時代の主な変化球は、「カーブ、スライダー、シンカー系のチェンジアップ」の3種類。ただ、それぞれの変化球に対し、4つのパターンがあったという。「握りを変え、緩急をつければ、ひとつの変化球が4種類になるわけです。それが3種類あるわけですから、結局12種類の変化球を持っていることになります。でも、この12種類全部が試合でうまく投げられるわけではないので、その日の調子によって使い分けていくんです」。だから3種類の変化球があれば、十分に抑えられると考えていたそうだ。

長男と長女が所属していた縁で、現在も横浜市戸塚区にある少年野球チーム「品濃ヴィクトリー」で代表兼監督を務めている。ひとつだけモットーがある。志村曰(いわ)く「6年生で卒業するときに、『このチームでやっててよかった、入ったときより野球が好きになった』という状態で送り出すこと」である。長女は社会人となって野球とは離れてしまったが、長男は神奈川県立柏陽高でエースとして活躍している。「あまりこちらからガヤガヤ言わないですけど、新チームで1番をつけて、やっとやる気が出てきた感じですかね」と、優しく笑う。

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慶大の後輩たちに指導をすることも

プロへの道を断ち、サラリーマンとして歩んできた野球人生。こうみてくると、ある意味、野球とのつながりはさらに深まっていったともいえる。「野球が好きなんですね。嫌いにならなくてよかったですよ」。「野球は生涯の友」といった感がある。

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