指定校推薦から主将へ、青学・石井の4年間
インカレ5位決定戦。試合終了のブザーは青学大と早大、両校の最上級生に4年間の終わりを告げた。石井悠太(4年、豊浦)にとっては「青学バスケ部主将」という重責をまっとうした瞬間だった。
4年間出場なし、も覚悟
チームにはスポーツ推薦で入ってきた選手が多いが、石井はバスケに関係なく指定校推薦で入った。青学バスケ部は代々、1学年4、5人と少数精鋭。石井自身は4年間試合に出られないことも覚悟していたが、1年生から試合出場にこぎつけた。「ここで頑張りたい」という強い意思に基づいたハードワークで中心選手へと成長し、ラストイヤーは主将として先頭に立った。高校生のときから石井を見てきた廣瀬昌也ヘッドコーチは「小さいのに一生懸命な選手でした。でも、まさかキャプテンになるとは……」と話す。
今年のチームが掲げた目標は「日本一」。しかし、苦難が続いた。京王電鉄杯では優勝したものの、関東トーナメント戦では準々決勝で筑波大に20点差をひっくり返されての逆転負け。関東リーグ戦は序盤にチームの中心だった戸田晃輔(4年、湘南)がひざの靭帯断裂の大けがで戦線離脱。5位に沈んだ。
4年生全員で迎えた終わりの瞬間
日本一へ最後のチャンスとなったインカレは、因縁の筑波大、ここ4年勝てていない東海大へのリベンジに燃えた。石井は誰よりも声を出し、身長166cmと決して大きくはない体で大男に食らいつき、ルーズボールに泥臭く飛び込んだ。2回戦の神奈川大戦で2点を追う残り56秒で、パスカットからのシュートとバスケットカウントでの加点。石井を象徴するビッグプレーだった。「チームが結束して戦う」。石井が掲げた理想は、一戦一戦に色濃く映し出されていた。苦しい場面でも、先輩後輩関係なく前向きな言葉がコートからもベンチからも響き、見ている側は「何かやってくれる」と期待せずにはいられなかった。
準々決勝で筑波と対戦。5点を追う試合残り2分12秒に、それまで攻撃の軸となっていた赤穂雷太(2年、市船橋)が頭を打って負傷退場となった。青学は点差を広げられ、62-71で敗れた。最後の試合となった5位決定戦には、戸田もけがを押して出場。4年生全員がコートで最後の瞬間を迎えた。
「感謝しかないです。同期がいなかったら4年間やってこられなかった」。石井は最後の試合を終え、同期の存在の大きさを改めて感じた。これからの青学を背負う後輩たちに「この1年やってきたことは間違いじゃないと思うので、来年こそは結果を出してほしい」と、夢を託した。かつて4度の日本一、2年連続3冠をなしとげた「最強青学」の復活へ。挑戦は続く。