アメフト

日本一のため同志社からKGへ 関学主将・光藤

高校時代から走るのが得意だった光藤

第73回甲子園ボウル

12月26日@阪神甲子園球場
関西学院大(関西1位)37-20 早稲田大(関東)
関学は2年ぶり29度目の優勝

寒空の下で10番が叫んだ。「俺たちが日本一や」。甲子園に響き渡るKG戦士たちの雄たけび。今シーズン最高の笑顔がはじけた。日大に負け、涙に暮れた1年前。10番は逆転を狙う第4クオーター(Q)に出場するも、わずか3プレーで交代。立ちつくすことしかできなかった。今年は早大を下し、2年ぶり29度目の学生日本一。主将に立候補するきっかけとなった舞台で、QB光藤航哉(みつどう、4年、同志社国際)は「やっと日本一になれた」と喜びをかみしめた。昨年とはまったく違う景色を味わえた。

甲子園ボウルでボールを大事に抱えながらタッチダウンを決める光藤

同志社国際高の恩師、後輩も観戦

その甲子園のバックネット裏。一番近くで光藤のプレーを見つめる人がいた。恩師である同志社国際高教諭の坂本智宏さん。高校生たちを連れて観戦に来ていた。試合前には「日本一になって、航哉(光藤)に男の中の男になってほしい。きっと頑張ってくれると思います」と話した。

出会いは光藤が高1のときだった。坂本さんが3年間の海外赴任から戻り、フットボールの指導現場に復帰。光藤は当時から、ウナギのように「にゅるっ」と相手をかわす走りとパス能力の高さが光る選手だった。坂本さんは1年生QBの光藤を中心とした戦術を組み立てた。

高2のとき、光藤は当時の3年生が引退した数日後、職員室の坂本さんのもとにやって来た。「必ず全国大会に行きたいです。キャプテンをやりたいです」。下級生の頃から上級生に混じってミーティングに参加し、責任感も人一倍のものがあった光藤だ。坂本さんは「志が高く、チームを強くしていきたいという気持ちが伝わった」と振り返る。珍しいQBの主将が誕生した。

伝説と言える出来事があった。高3春の京都府大会。勝てば6年ぶりの優勝が決まる立命館宇治戦。タイブレークにまでもつれ込む大接戦の末、35-28で勝った。仲間たちが歓喜に沸く中、光藤は痛みで防具を外せなかった。鎖骨が骨れていた。痛みを感じながらも試合に出続けていた。夏の定期戦でも同じ部位を骨折。本番の秋を前に涙を流した。なんとか秋のリーグで復帰。最後の全国大会に間に合った。初戦で敗れたが、坂本さんは当時を思い出し、「何があっても、決めたことはやり通す。航哉はそういう男です」と語った。

同志社国際高の坂本監督(中央)と光藤(左)、右は高校、大学で光藤の2学年先輩の池永拓矢

母の反対を押し切って関学へ

進学先を決めるときも、入学してからも、芯の強さと誠実さは変わらなかった。光藤の母は同志社大に進学することを望んだが、光藤は反対を押し切って関学へ進んだ。すべては「日本一になるため」だ。下級生で4番手QBのころには、全体練習でただ出番を待つのではなく、プレーをする先輩QBの後ろで同じように動いた。潜在能力と誠実な人柄で、コーチからも絶大な信頼を置かれている。取材を受けているときでさえ、思わず道端に落ちているゴミを拾う。同志社国際高で学んだ「ON THE FIELD OF THE FIELD」の教えを、いつまでも体現している。そんな光藤だからこそ、伝統ある関学でも異例のQB主将が務まった。

恩師の目の前で、光藤はランとパスでTDを奪った。坂本さんは観戦中に思わず涙を流したという。「プレーに誠実さが出ていて、高校時代を思い出しました。最後までチームを救う光藤であってほしい」。切に願った。光藤にとっての夢は、チームの夢でもあり、恩師にとっての夢でもあった。そして学生日本一になったこの日、光藤は言った。「まだ夢半ば。学生代表として絶対に勝ちにいきます。主将として。4回生として、このチームに何かを残して終わりたい」。学生日本一の余韻に浸ることなく、もう次を見すえていた。泣いても笑ってもライスボウルが最後の一戦。来年1月3日、光藤航哉が社会人を倒して真の男になる。

甲子園ボウルに勝ち、記念撮影におさまる関学の選手たち

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