慶應箱根プロジェクト、駆け抜けた根岸祐太
「慶應義塾大学箱根駅伝プロジェクト」が2017年4月に始まってから、二度の箱根駅伝が終わった。慶大はプロジェクト初年度の予選会で27位。当時3年生だったエースの根岸祐太(慶應志木)が関東学生連合で8区を走り、プロジェクトメンバーに目指す場所を示した。昨年の予選会では26位。箱根駅伝出場への道の険しさを身をもって知ることにはなったが、プロジェクト発足後に入部した1年生がチームに新しい風をもたらしている。
多彩な1年生の頑張り
慶大は1920年の第1回大会に明大、早大、東京高等師範大(現・筑波大)とともに出場。しかし94年の70回大会の出場を最後に、箱根路が遠い。伝統校の復活を目指し、競走部長距離専任コーチには保科光作氏が就任した。日本体育大で4年連続して箱根を走り、日清食品グループに進んでニューイヤー駅伝で優勝した実績を持つ人だ。ランニングデザイン・ラボと連携し、医学、生理学、栄養学、ITなどを活用しながらチームを強化。トレーナーとメディカルサポートも充実させ、慶大スポーツ医学研究センターの医師らとも連携している。もちろん、慶應高校など系列校との連携強化や有力校からのスカウティングにも取り組んでいる。
現在は学内のスポーツシステムデザイン・マネジメントラボとも連携。目標の設定と実施、自己評価のマネジメントプロセスを導入し、コンディション管理の考え方などの意識改善にも取り組んでいる。ラボ責任者の神武直彦教授は「慶應は他校に比べてスポーツエリートのような学生が少ないです。データを活用してスポーツエリートでない選手のパフォーマンスを上げられれば、市民ランナーの方々などにも還元でき、一種の社会貢献にもなります」と語る。
スカウティングは保科氏が担っているが、慶大の入試にはスポーツ推薦がない。そのため有力な高校生たちに声をかけても、最後は「受験して合格ください」と言うしかない。そんな中で慶大競走部の門をたたいたメンバーは実に多彩だ。インターハイで活躍した元気印の小野友生(ゆうき、東北)をはじめ、印藤剛(慶應)、双子の前田大河・拓海(ともに新潟)、東大を目指していた理系ランナーの鈴木輝(浦和)らが名を連ねる。
1年生の中で早々に頭角を現したのが杉浦慧(けい、成蹊)だ。昨秋の上尾ハーフマラソンで1時間4分58秒の好記録をたたき出し、記録を14秒も縮め、関東インカレ標準記録突破した。杉浦は今年の箱根で鶴見中継所の補助員を務めた。選手たちが監督と電話で連絡を取り合い、付き添いの仲間と言葉を交わして出番に備える姿がうらやましかった。
プロジェクト最初のエースとして
箱根経験者の根岸も、杉浦へ期待を寄せている。「目標達成欲が異常に高く、1年生ながら物怖じせずに行動に移せる精神力があります。それはアスリートには必要不可欠な能力だと思ってます。いままで僕が会った人の中で、彼はその能力がいちばん高いです。他人を巻き込みながら上に進もうという気持ちも強いので、精神的な面でも全体を引っ張ってくれると信じてます」
その根岸のラストイヤーを振り返ってみる。プロジェクト2年目だ。学生連合で箱根を走れるチャンスは一度だけ。18年の箱根でそのチャンスを生かした根岸はもう、慶大チームとして予選会を突破しない限り箱根では走れない。慶大にはまだその力はないことを、根岸自身が最もよく分かっていた。だからラストイヤーは、自分が実感した「箱根駅伝の素晴らしさ」を周囲に伝えるのに重点を置いた。
もう箱根を走れない。複雑な思いを抱えながらも、根岸はチームの先頭を走り続けた。関東インカレの男子10000mに出場できたのは、チームでただひとり。夏合宿でも仲間を引っ張った。チームの平均走行距離は800kmだったが、根岸は1005kmだった。1年生たちは彼に食らいつき、力を蓄えた。「慶應を箱根に連れていくのは自分だ」。根岸の志は熱い。
保科氏が二度目の予選会で掲げた目標は「20位以内、学生連合出場」だった。結果は26位。チームトップの根岸は1時間5分35秒で、学生連合選抜記録まで5秒だった。絶対的なエースは、最後まで後輩たちに頼もしい背中を見せた。
プロジェクトは10年後をめどに箱根出場を目指す。3度目の春を迎えるにあたり、保科氏は「学生たちの歩みに合わせたコーチングをしっかりとしていきたい」と言った。18年には立教大が横浜DeNAランニングクラブ所属の上野裕一郎氏を監督に迎え、「立教箱根駅伝2024」事業を打ち立てた。11年に「筑波大学箱根駅伝復活プロジェクト」を掲げた筑波大は、昨年の箱根予選会で17位に終わった。道の険しさを感じながらも挑戦は続く。箱根路を駆けるその日まで。