関学アメフト部の鳥内監督が来季限りで退任
関西学院大学アメリカンフットボール部「ファイターズ」を11度の学生日本一に導いた鳥内秀晃監督(60)が、2019-20年シーズン限りで退任することになった。2月11日、大阪市内のホテルで開かれた「甲子園ボウル優勝祝賀会」で本人があいさつに立ち、退任の意向を明らかにした。後任には現アシスタントヘッドコーチの大村和輝氏(47)が昇格する見通し。
父も関学監督
大阪市生まれの鳥内氏はもともとサッカー少年だった。府立摂津高校時代は全国高校選手権にも出場した。父の昭人さん(故人)がかつて関学アメフト部の監督だった影響で、1浪して入った関学でアメフトを始めた。1回生からDB(ディフェンスバック)兼キッカーとして試合に出場。4回生のときは副将としてチームを引っ張ったが、4年連続して甲子園ボウルで日大に敗れた。その悔しさから、1982年春の卒業と同時にアメリカへコーチ留学。85年まで南オレゴン州立大とUCLA(カリフォルニア大ロサンゼルス校)で学んだ。86年に関学へ戻ってディフェンスのコーディネーターを務め、92年に監督となった。監督としてファイターズを11度の甲子園ボウル優勝に導き、2001-02年シーズンには関学として唯一のライスボウル制覇をなしとげた。
家業である製麺会社(大阪市城東区)の3代目社長で、早朝にうどんやそばの配達を終えてから兵庫県西宮市にある関学へ向かう日々をすごしてきた。3人の息子はみな、父のもとでファイターズの選手として奮闘した。長男がこの2月10日に結婚式を挙げたばかりだ。
40歳で教員免許取得
19年で就任28年目となるが、これは関学では異例の長さで、歴代最長。40歳のときに一念発起して、教員免許を取得した。昨年5月の日大定期戦で起こった反則に絡んだ問題では小野宏(ひろむ)ディレクターとともに記者会見に臨み、「大学のスポーツ、課外活動のなかで、監督が怖いというのはあるんですけど、コーチですらものが言えないような監督に、選手としてはもっとしゃべれないですよね。そういうなかで教育というのが本当にできるのかなというのが僕自身の考えです」と、教育者・鳥内秀晃の一面を披露していた。