大けが負った聖地で、エース復活や 関学WR松井
「しっかり準備して、絶対に勝ちます」。16日の大一番を前に意気込むのは、関西学院大のWR(ワイドレシーバー)松井理己(りき、4年、市西宮)だ。1年前、大学アメフトの聖地で味わった苦い経験を胸に、「雪辱」を誓う。
去年の日大戦、2プレー目で
昨年の日大との甲子園ボウル。関学の最初の攻撃シリーズ、2プレー目のことだった。松井は短いパスを受けると、3人のタックルをかわして大きくゲイン。4人目のタックラーをかわそうとした瞬間、自分の体から「バコッ」という音が聞こえた。タックルされて倒れ込むと、もう動けなかった。1プレー目から違和感を感じていた右ひざの大けが。担架に乗せられて退場した。「痛いというより、何が起こったのか分からない状態でした」と振り返る。
医務室で試合経過を確認していた。前半が終わって10-13の劣勢。チームスタッフから「けががバレるから外に出るな」と言われたが、いても立ってもいられなかった。後半になると、松葉杖を使ってチームエリアまで行き、戦況を見つめた。「みんなが元気になってくれればいいなと思って外に出たんですけど、そのときすでにチームは焦ってて、どうしたらいいのか分からないというような状況でした」。結局、17-23で負け、連覇を逃した。「何もできなかった思いが強くて、涙も出なかった。来年やり返したるという気持ちでした」
診断は全治8カ月。不安だったのは、けがのことより、チームが勝てるかということだった。
関学史上ナンバーワン、と呼ばれて
松井は入学まもなく、めったに人を褒めない鳥内秀晃監督(60)に「関学史上ナンバーワンのレシーバーになれる」と言わしめたほど期待が大きく、1回生のころから試合に出てきた。何度も試合の流れを変えるスーパーキャッチをしてきた。だが、今シーズンを戦うほかのレシーバーたちは試合の経験がほとんどなかった。プレーのできない自分にできることは何か。自問自答する中で思い至った。
「僕が感じたり、思ったりしたことすべてを仲間に伝えないといけないと思った」
時間があればアメリカの試合の動画を見て研究し、プレーを提案した。また、ほかのポジション目線でレシーバーを見れば、より全体の動きを把握できるのに気づいた。実行して、その結果を仲間と共有した。「外から試合を見ることで得ることも多かったのは、よかった」。視野の広がりを実感したという。
長きに渡るリハビリが苦痛だった。「ひとことで言って、つまらない。よくなってるのかどうかも、たいして分からないですし……」。そんな松井を支えてくれたのは、主将でQB(クオーターバック)の光藤航哉(みつどう、4年、同志社国際)だった。光藤自身も、過去にけがでシーズンを棒に振ったことがあった。自分が負傷したときの話をしてくれたり、そのとき使っていたトレーニングの道具を貸してくれたりした。「光藤には『けがをしてるときに気持ちをためるんや』って言われました。復帰したときにやり返してやろうと思いましたね」と振り返る。
甲子園で、みんな見返す活躍を
けがをして約1カ月後に松葉杖なしで歩けるようになり、今年8月中旬の夏合宿でパートの練習に復帰。そして、10月の京大戦で実戦復帰した。
10カ月ぶりの実戦では思うように体が動かず、「最初は怖かった」という。それでも相手を目の前にするたびに闘争心がわいてきた。「何でもいいから絶対勝つ。その思いだけでした」
同期のWR小田快人(4年、近江)は「京大戦で理己が戻ってきたら、試合前の雰囲気が変わった。興奮しました」と話す。松井がいない間は、小田と3回生の阿部拓朗(池田)がWR陣を引っ張った。松井は言う。「僕がけがをしたころは二人ともそこまで試合経験がなかった。それが復帰したら僕以上にすごくなってて。うれしいと同時に、負けてられへんなと思いました」と笑う。
いまも足に違和感は残る。スピードも落ちた。だけど、それを言い訳にはできない。「チームのみんなも『そろそろ活躍してもらわんと』と思ってるはずです。甲子園では、みんなを見返してやりますよ」。大けがを負った聖地の中心で松井は叫ぶ。「俺がエースや」と。