遅咲きのサブマリン、駒大・多崎
2018年10月25日、東都大学秋季1部リーグ優勝決定戦。駒大は立正大に1-8で敗れた。神宮球場の3塁側ベンチには、唇をかみしめ、涙する選手たちがいた。しかし18年春、5シーズンぶりに1部で戦った駒大を支えた一人、投手の多崎蒼司(たざき・そうじ、4年、駒大)に、涙はなかった。
試合に出たがゆえのしんどさ
多崎は186cmの長身でアンダースロー。初めて1軍のキャンプメンバーに選ばれたのは、2年から3年に上がる春と遅かった。オープン戦などでは登板できたが、リーグ戦はベンチ入りさえゼロ。最上級生となった昨春も、投手陣の軸は経験豊富な辻本宙夢(ひろむ、4年、静岡)と白銀滉大(しろがね・こうた、4年、日体大柏)が担い、ようやくベンチ入りを果たした多崎には中継ぎとしての役割が求められていたはずだった。
だが、チャンスが突然にやってきた。春の1カード目、立正大2回戦。駒大の先発としてコールされたのは、多崎の名だった。
その前日、彼は大倉孝一監督から先発を告げられていた。そのときの心境を、自分の胃のあたりを指しながら、「ここらへんにあるものが全部出そうだった」と振り返る。それでもリーグ戦初登板の日はなぜか力が抜け、6回無失点で初勝利を飾った。その後も2回戦の先発を任されて計4勝。リーグ最終戦は中大相手に完封勝ちだった。
秋は一転、1カード目から波乱の展開になった。中大2回戦。試合前半に10点もの援護をもらったが、そこから7失点。打線とかみ合わない試合も多かったが、自らも嫌な流れを断ち切れず、優勝決定戦まで終えることとなった。試合に出たがゆえのしんどさ、もどかしさを抱えた1年間だった。
自分自身への「悔しい」思い
不思議な選手だ、と思う。つくづく、そう思う。感情が見えにくい。打者に不気味ささせ感じさせるポーカーフェイス。闘争心や貪欲さ、あるいは悔しさをむき出しにしたような態度や姿はほとんど見せず、これは見る側の身勝手な“野球選手”というイメージによるものかもしれないが、マウンドをかすめるような下手投げで淡々と試合を進めていく。ピンチをしのぎガッツポーズをしたとしても、それは彼の大きな体からすれば控えめなものだ。
ポーカーフェイスのきっかけは、かつて指導に来てくれた駒大OBの新谷博氏に「打たれようがデッドボールを当てようがフォアボールを出そうが、何をしようが自分は関係ないというメンタリティーを持ちなさい」と言われたためだった。感情を顔に出さずに投げるスタイルが、多崎本来の性格にもはまった。
多崎は自分の性格は暗く、目立つのも、人に心を開くのも苦手だという。感情の揺れ動きもあまりない。そのため、涙を見せることもない。言ってしまえば、何を考えているのか分かりにくい。しかしその裏には、原動力となる感情が横たわっていた。
多崎蒼司の野球選手としての原動力は何だったのか? それは「誰かのために頑張りたい」「同期やほかの大学の選手に負けたくない」といった気持ちではなかった。「多分こいつらには一生勝てねえなと、3年秋の時点で負けを認めてました」。同期で同じ投手の辻本や白銀が活躍する姿に、悔しさを感じることさえなかった。
ただ、唯一存在したのが、自分自身への「悔しい」という感情だった。「悔しさはモチベーションの上げ方の一つだったと思う」と多崎。同期の投手たちとは違う活躍の場を探し、白銀が自身と同じサイドスローであるからと、投球フォームをアンダースローへと変えた経験もある。「何でもっとこうしなかったのか、もっとここを意識すればよかった」と自問自答を続けてきた。
この春からは日本製紙石巻(宮城)で白球を追う。昨秋の優勝決定戦の試合後、「あの表彰式の光景は、すごく記憶に残ると思う」とつぶやいた。この1年間で感じた自らへの悔しさはまだ、色濃く残ったままだ。内に秘めた思いとともに、新たな舞台へと、いま一歩足を踏み出そうとしている。