野球

中大・堀内寛人、野球人生最後の試合で「一部残留」打

一部残留を決め、スタンドにガッツポーズする堀内

東都大学秋季リーグ1部・2部入れ替え戦2回戦

11月5日@神宮球場

中央大(1部6位)6-1専修大(2部1位)
※中央大が2勝で1部残留

中央大は春に続いて秋もリーグ最下位に甘んじた。2シーズン連続となった入れ替え戦は1回戦を4-3で競り勝ち、運命の2回戦を迎えた。
1回表に先制されたが、その裏に3四球で1死満塁のチャンスを迎えると、左打席に5番の堀内寛人(4年、県岐阜商)。フルカウントから相手の左投手はカーブを投じた。インコースから真ん中低めに落ちるところを堀内が叩きつけると、打球は一塁線を抜ける逆転の2点二塁打に。さらに7回の第4打席では、高めのストレートを振り抜いてライト前へ。これが6点目のタイムリーとなった。

重圧のかかる試合でチームを引っ張った堀内

身長183cm、体重86kgの堂々たる体格を生かした打撃で、リーグ戦通算4本塁打を放った。3年秋には打率.327を記録し、指名打者としてベストナインを獲得。12月の侍ジャパン大学代表候補合宿にも招集されたが、4年春のシーズン前に「野球は学生時代まで」と決断した。プロや社会人チームからも注目される存在だっただけに、進路は「人生で一番悩んだ」と振り返るが、「いろんなOBの方から話を聞いたし、自分自身大学で野球ばかりしてきた訳じゃなかったので」と、一般就職をすることにした。

大手証券会社に内定したあとの夏場に再び熱心な誘いもあったが、「プロや社会人の試合を何度見ても、中途半端な覚悟でやってる選手は1人もいませんでした。一度辞めると決めた選手が戻るような甘い世界ではないと思ったので」と、初志を貫徹した。

清水コーチに食らいついた

県岐阜商高時代は控えで、中央大には指定校推薦で進んだ。入部直後は「僕より上手な選手しかいませんでした」と振り返る。それだけに「絶対何かを吸収しよう」と、日々の練習を必死に取り組んだ。そんな時に大きな力添えをしてくれたのが、清水達也コーチ(現監督)だった。

「本当に細かいことを教えてくださいましたし、キャンプの時はベソかくくらいまでバットを振らされました」と笑う。一方で高校時代は主力ではなかっただけに、「“期待の裏返し”なんだなと思うと嬉しかったです」と振り返る。そうして着実に積み上げたものが出て、最後の大事な試合で勝利に大きく貢献できた。「野球をやりきりました。監督と出会えて、ここまでやれて感謝してます。凄くいい4年間でした」と、満面の笑顔で言った。

後輩たちに向けては「僕もレギュラーをつかんだ2年春に入れ替え戦を経験しましたけど、これは必ずいい経験になると思います。これを生かしていってほしいです」とエールを送った。優勝を争うような晴れやかな舞台ではなかったが、この土俵際の経験が自らを高めることは、自身の今の姿からよく知っているからだ。この日、彼の表情は最後まで充実感に満ちていた。

「野球は大学時代まで」と決断し、卒業後は一般企業に就職する堀内

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