大学ラグビー

チームを思うのは仕事もラグビーも同じ ANA菱田広大

現職場の羽田空港内で、ラグビーボールを手にポーズをとる菱田さん

菱田広大さん(27)は4歳でラグビーを始め、アカクロのジャージーにあこがれて早大へ進んだ。ANA(全日本空輸)で働くいまも、社内プロジェクトを通じてミャンマーにラグビーを伝え、週末は母校の早大本庄高校(埼玉)で教える日々。社内の先輩評は「熱い男」。そんな菱田さんに大学時代と就職活動、そしていまを語ってもらった。

あこがれの早稲田でレギュラーは遠く

ラグビーファンの父の勧めで、地元の千葉県印西市のクラブチームで競技を始めた菱田さん。「どうにかしてやめたいと思ってました」。当時を振り返り、笑顔で言った。練習は毎週日曜日の朝9時から。ちょうどその時間帯は『仮面ライダー』など見たいテレビ番組が集中していたし、友だちと遊びにも行きたかった。

前向きにラグビーの取り組めるようになったのは小3になってからだった。SO(スタンドオフ)で目立つプレーができるようになり始め、ラグビーがどんどん楽しくなった。また2001年、早大出身の父に連れられて観戦した、左京泰明さんが主将として率いる早大フィフティーンの姿を目に焼き付け、自分の目指す場所が決まった気がした。中学生のときにはラグビースクールの「ワセダクラブ」に通い、早大本庄高時代は埼玉県の代表候補にも選ばれた。そしてあこがれの早大へ入った。

「早稲田に入るまではトントン拍子に進んだ気がしてましたけど、そこから大変でした」と菱田さん。高校は県大会で早々に負けるようなチームだったが、早大は毎年大学日本一を狙う集団だ。Aチームで試合に出ることがまず難しい。菱田さんは4年間いちどもAチームで試合に出られなかった。「Aチームで出られないのは挫折でしょうし、悔しい思いはいつもしてました。でも僕は人とは比べないようにしてました。『ここは負けない』という部分を磨いて、それがチームにフィットすればいいなって」。自分からアタックを仕掛け、仲間にいいパスを通し、トライにつなげる。そんなプレーが好きで、やりがいを感じていた。

早大時代の菱田さん(中央)。司令塔ながら、自ら仕掛けるアタックが好きだった(写真は本人提供)

現役選手としての最後は14年元旦、筑波大と大学選手権の準決勝を戦う前日だった。早稲田のBチームとCチームの練習試合。ここでいいプレーをしても、翌日のAチームの試合に出られる可能性は1%あるかどうか。それでも4年生は、その1%未満にかける。自分がどんなプレーをしたのか覚えていないそうだが、4年間がものすごく詰まった試合だったのは間違いがなく、「後悔はありません」と菱田さんは言う。

早明戦プロジェクトで人の熱量に驚き

菱田さんは留年したため、就職活動はラグビー部での4年間を終えた14年春に始めた。社会人として自分が何をしたいかを考えとき、菱田さんの頭にあったのは「リアルに人と人が集まって感じられる壮大なワクワク感」だったという。それが航空業界への志望にもつながった。「飛行機はただ『ある場所からある場所に人や物を運ぶ』と思われがちですが、人や物が動くということは、そこに新しい化学反応が起こることだと僕は思ってます。その化学反応を、感動を、提供できる仕事に携わりたいと思いました」

大学4年だった13年12月の経験も、将来への構想に大きく影響した。建て替えられる前の国立競技場で最後に開催された早明戦を満員にするプロジェクト「国立をホームにしよう。」で、菱田さん集客活動のリーダーを務めた。従来の早明戦の観客層を考えると、ラグビー好きの中高年男性ばかり。どうすれば父親が子どもと一緒に国立競技場へ来られるのか。

菱田さんは子どもが来たくなるような環境をつくれないかと考え、NPO法人「東京おもちゃ美術館」に相談。国立競技場内に子どもが遊べる遊技場を設けた。当日はたくさんの子ども連れも含め、4万6961人が来場。立ち見客も出た。最後には歌手の松任谷由実さんが『ノーサイド』を熱唱し、感動のフィナーレを迎えた。涙する選手や観客たちを目のあたりにし、菱田さんは「人が直接集まることで生まれる熱量に、デジタルは勝てない」と感じた。

旧国立競技場最後の早明戦を4万6961人が見守った(写真は本人提供)

就職活動は航空業界のほかにも不動産業界や食品業界も考え、5社にしぼって受けた。近い将来に海外で働けたらという思いから、ANAへの入社を決めた。世界一のエアラインを目指す組織の中で自分自身も成長したいと考えたことも、理由の一つだった。ラグビーでの経験が就職活動に生きた部分があったかどうか尋ねると、「振り返ってそうだなって思ったのが、当時指導いただいた後藤(禎和)監督が大事にされていた『日本一になることは目標だけど目的ではない』という考え方でした」と、菱田さんは話してくれた。

「最初は僕も『日本一になりたい』としか考えられませんでした。でも本当は、日本一になって何を実現したいかの方が大切だと思います。それを自分で考えて、自分に問う。練習もそうです。ラグビーは理不尽に感じてしまう練習も少なくないんですけど、やらされてると感じてるときは、得るものがないんです。なんのためにやるのか。そこから自分は何を得られるのかを考えないと、ただ時間だけがすぎてしまいます。就職活動も同じじゃないですかね。就職することがゴールじゃなくて、そのあとにどうするかの方が重要だなって。『この会社に入ったから正解、ってのはないなと思いました」

学生は就職活動で「この会社で何がしたいですか?」「この会社であなたが生かせる力はなんだと思いますか?」といった質問を受けることが多い。菱田さんは当時を振り返り、「自分が目指す姿や、そのためのプロセスをイメージできていたから就職活動を乗り切れました」と話す。

アジアにラグビーを

15年春にANAへ入社し、成田空港での接客業務を経て、いまは羽田空港内のフライトオペレーションセンターで勤務している。ボーイング777で乗務する副操縦士のスケジュール作成が担当だ。副操縦士一人ひとりの生活やコンディションを踏まえ、本人とコミュニケーションをとりながら仕事を進める。そんな菱田さんの働きぶりについて先輩社員の和田修さんは「信念や自分で決めたことを追求して実践するタイプですね。会社ではまだまだ年次が若いので、教わる立場が多いと思いますけど、休みの日には高校でラグビーのコーチとして人に教えてます。人に教えることで見えてくるものもありますから、それが仕事に生きてるんじゃないかと思います」と評している。

副操縦士のスケジュール作成には、コミュニケーション能力も必要だ

ANA内には新たな価値を創造する社員の自発的提案活動として「ANAバーチャルハリウッド」というプロジェクトがある。菱田さんはこのプロジェクトを通じて、昨年のはじめからミャンマーにラグビーを広める活動をしている。ことし日本で開かれるラグビーワールドカップは、アジアでは初開催。しかしアジアではラグビーの認知度が低いの現状だ。そこで日本ラグビー選手会に所属するトップリーグの選手たちとともにミャンマーを訪れ、現地の先生たちにラグビーを通じた学びの場づくりを提唱している。ワールドカップをきっかけとしてプロジェクトを継続し、現地の教育レベルや先生の出勤率の向上、さらには現地でラグビーが必修科目になることを目標としている。

「ミャンマーは女子が体育をしない国で、大人を含めても男性と女性が協力し合って体を動かせるのは、体操とリレーぐらいしかないんです。ラグビーのように男女で協力し合える球技の存在は衝撃的だったようで、先生も感動してました。ゲームが終わった後の振り返りで『ここはこうした方がいいと思う』と女子が意見すると、『確かにそうだね』と男子が受け入れる姿もありました。お互いをたたえ、認め合う『ノーサイド』の精神が伝わったのかなと思うと、うれしかったですね」

元日本代表の小野澤宏時さん(左から2人目)もミャンマーでの活動に参加している(手前右端が菱田さん)

「ラグビーは究極のコミュニケーションゲーム」と菱田さんは言う。自分ではあまりコミュニケーションが得意ではないという思いがあるため、一人ひとりの個性や特徴を認め合うことを心がけているそうだ。ラグビーでも会社でも、チームを思う気持ちが大切。4歳から大学4年まで続けた競技の教えは、いまも菱田さんの中に脈々と生きづいている。

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後日、4years.サイトで採録記事を公開いたします。