競歩「世界1位」の東洋大・池田向希、能美で「世界」決められず
今秋ドーハで行われる世界選手権代表選考会を兼ねた全日本競歩能美大会は3月17日、石川県能美市であり、男子20kmは昨年のアジア大会銀メダルの山西利和(23、京大、愛知製鋼)が世界歴代4位の1時間17分15秒で初優勝。1時間20分0秒の派遣設定記録をクリアし、代表に決まった。50kmの学生記録を持つ川野将虎(東洋大2年、御殿場南)が9秒差の2位に入り、2月19日付の世界ランキングで20km競歩のトップにいる池田向希(こうき、同、浜松日体)は3位だった。1カ月前に1秒差で世界選手権を決められなかった池田のリベンジはならず。今後発表される高橋英輝(えいき、富士通)、山西に次ぐ3枠目での代表入りは濃厚だが、池田は自分のふがいなさに表情をゆがめた。
予期しなかったハイペース
能美は雨風の中でのレースになった。池田はスローペースになると考えていたが、レースが始まるとすぐ、大会3連覇中の松永大介(富士通)が飛び出し、2015年に能美で出した世界記録を現在も持つ鈴木雄介(同)の引っ張る集団が追い上げる展開に。5km手前で松永が集団に吸収されてからも、鈴木はハイペースで引っ張った。松永は10km手前で集団から後れはじめ、そのまま途中棄権。トップ争いは鈴木と藤澤勇(ALSOK)、山西の実業団勢と川野、池田の学生2人、合わせて5人に絞られた。
池田は表情を変えることなく歩いていたが、内心は思わぬハイペースに苦しんでいた。キツくなってからは「自分がキツいときは、まわりもキツい。最後まで粘って優勝しよう」と気持ちを強く持ち、一歩一歩踏み進めた。先頭争いが山西、川野、池田の3人に絞られたラスト2kmで、山西が勝負に出た。ペースがグッと上がる。池田は食らいつこうとしたが、足がついていかない。アッという間に差が開いてしまった。ずっと後ろにいる気配を感じていた川野にも、最後の最後で競り負けた。
池田はレース後「ラストは完全に足が止まってもがくことになってしまい、本当に苦しい苦しいレースでした」と振り返った。さらに日本選手権に続いて1秒差で負けたことについては「はい……。はい……。そうですね。負けたことは本当に悔しいですし。はい……。1秒差で負けたことは、大学としても申し訳なかったと思ってます」。時折言葉を詰まらせた。
とはいえ日本選手権2位、能美3位の池田は、世界選手権代表のラスト3枠目の最有力候補だ。「どうなるか分からないですけど、選ばれたらベストコンディションで合わせて、代表として責任と自覚ある行動をとって、いい結果を残したいと思います」と前を向いた。
静岡での高校時代から続く川野との切磋琢磨
7月にイタリアのナポリで開かれるユニバーシアードの出場も、ほぼ決まった。池田はナポリでの金メダルは通過点と考えている。おそらく最大のライバルは川野になるだろう。池田にとって川野は「負けたくない相手」であり、川野も池田のことを「仲間であり、いちばんのライバル」と話す。ふたりはともに静岡出身で、高校時代は川野が先をいく存在だった。
池田はもともと長距離を走っていたが、高校2年生のときに「長距離に生きるから」という顧問の勧めで競歩を始めた。初めてのレースは競歩を始めて間もない5月の静岡県高校総体男子5000m競歩。川野が21分48秒42の大会新記録(当時)で優勝し、池田は4位に入った。川野の池田に対する第一印象は「こういう選手もいるのか」だったそうだ。池田は次第に記録が伸び、専門を競歩に切り替えた。
ともに東洋大に進んだのは偶然だったという。川野は「高3の秋ごろに東洋への進学が決まったんですけど、そしたら池田も東洋だと聞いて、結構ビックリしました」と笑う。高校3年生の2月にあった日本選手権ジュニア男子10km競歩で優勝した川野に続いて池田が2位になったとき、池田が確実に強くなっていることを川野は肌で感じたという。
池田は東洋大でさらに力をつけ、昨年5月の世界競歩チーム選手権シニア男子20kmで優勝。国際陸連がことし2月26日に導入を発表した世界ランキングでは、2月19日付で池田は男子20km競歩でトップに立った。川野は言う。「まさかここまでとは。正直、出会ったときはそこまでの選手になるとは思ってなかったです」。だからこそ悔しさが募り、日常生活でも練習でも池田を常に意識し、池田よりもたくさんの練習をこなしてきた。能美で池田の1秒前に立てたことに対して川野は「ここで勝ったからといって図に乗らずに、いままで通りにやっていきます」と、浮かれてはいなかった。
池田と川野が同じユニフォームで競い合うのも3年目に入る。勝負の舞台は世界へと変わる。箱根駅伝で有名になった東洋大の「その1秒をけずりだせ」という精神を、この二人が競歩でも体現してくれることだろう。