大学アメフト

関学のエースRB山口祐介、大けがをして得た宝物

甲子園ボウルに1プレーだけ出場し、仲間に支えられてサイドラインへ戻る山口(中央、34番)

昨年12月16日、アメリカンフットボールの学生日本一を決める甲子園ボウル。関西学院大学ファイターズは東日本代表の早稲田大学を37-20で下し、2年ぶりの頂点に立った。甲子園に広がった青い歓喜の輪。そこに、目を赤くしたエースRB(ランニングバック)の山口祐介(4年、横浜栄)もゆっくりと加わった。

速くて強くて倒れないエースRB

山口のエースとしての歩みは一昨年、日大との甲子園ボウルから始まった。山口とともにランオフェンスを支えていた4回生のRB高松祥生(箕面自由学園)がけがで欠場。山口は自分ひとりにかかったプレッシャーを背負いながらもタッチダウン(TD)を決めた。しかし、直前の立命館大との西日本代表決定戦ほどの鋭い走りはなく、6点差で日大に負けた。「勝たせられなくてすみません」。山口は高松にそう言って、甲子園の芝の上で大泣きした。

迎えた学生ラストイヤー。「今年こそ俺が絶対にチームを勝たせる」と心に誓ってスタートした。春は主力が多く抜けたOL(オフェンスライン)とのコンビネーションに苦しんだが、それでも40ydを4.6秒で走る俊足と、小中学校のころにスノーボードとサーフィンで身につけた高いバランス感覚で独走TDを決めた。エースとしての存在感は、どんどん大きくなった。そして本番の秋。リーグ初戦の近大戦で、山口は2TDを決めた。チームとして初めて苦しんだ第5節の京大戦では、勝利を決定づけるTD。そして大一番となった最終節の立命大戦では52ydを独走する先制のTD。エースとして試合の流れを大きく引き寄せ、リーグ制覇に導いた。チームの中心には、いつも山口がいた。

そんな山口のエース街道が閉ざされた。甲子園ボウル出場をかけた立命大との西日本代表決定戦。プレー中、右ひざに衝撃を受けた。その場にうずくまり、無念の負傷退場。その後、フィールドに戻ってくることはなかった。「めちゃくちゃ萎えました。こんな大事なときにどうして……」。チームのために走れない悔しさがこみ上げた。

最後の甲子園ボウルを前に大けが

苦境に立たされたチームを救ったのは、RBの同期だった。シーズン当初、目標を「日本一のRB集団になる」と決めてともに戦ってきたRBパート。この試合、RB富永将史(4年、関西学院)が第4ダウンギャンブルを成功させて勢いをつけると、RB中村行佑(4年、啓明学院)は2点差に詰め寄るTDを決めた。“逆転サヨナラ”フィールドゴールで3年連続の甲子園ボウル出場が決まった。「本当に頼れる同期です。甲子園に連れていってくれて、感謝しかない」。松葉杖をついた山口は仲間をたたえた。

迎えた早稲田大との甲子園ボウル。足を引きずる山口の姿があった。出場は絶望的。「正直、出たくてたまらなかったです」。チームメイトたちは、腕に山口の背番号「34」をペンで書いてフィールドに立った。QB奥野耕世(2年、関西学院)からは「任せてください。絶対に最後、山口さんをフィールドに立たせます」と声をかけられた。「みんなが俺の分まで頑張ってくれる。裏方としてチームを支えよう」と決め、サイドラインから懸命に仲間を鼓舞した。

そして、37-20と大差がついた試合残り26秒。足を引きずりながらフィールドに登場した山口を中心に「ビクトリーフォーメーション」が組まれた。ボールを持った主将のQB光藤(みつどう)航哉(4年、同志社国際)が地面にひざをつき、攻撃権は早稲田に移った。ある程度の余裕を持って勝っていないと、こうして山口を甲子園に立たせられなかった。光藤は「最後に山口をフィールドに出せるように、全員でやってやろうと思ってました」と明かす。プレーはできなくても、山口はファイターズの真ん中にいた。チームは2年ぶりの学生日本一にたどり着いた。

甲子園ボウル出場を決め、同じRBの同期である中村(右)、富永(左)と記念写真におさまる山口(中央)

山口にとって決して満足のいく1年ではなかったが、仲間の大切さを強く強く感じたシーズンだった。彼は言う。「最後にフィールドに立たせてくれて、感謝してます。仲間がいたからやってこられました」。一昨年のような悔し涙はなかった。絶大な信頼を置かれた関学のエース。仲間との絆は、一生の宝物となった。