アメフト

笑って駆け抜けた 関学WR小田快人の4years.

ラストシーズンに甲子園ボウル出場を決め、大喜びの小田

ことし1月3日、アメフト日本一を決めるライスボウルは、社会人Xリーグ王者の富士通フロンティアーズが学生王者の関西学院大学ファイターズを52-17と圧倒した。関学の83番、WR(ワイドレシーバー)の小田快人(かいと、4年、近江)は俊足を生かし、右オープンを突くランでタッチダウン(TD)を奪った。
試合後、私は彼に今シーズンいちばんうれしかったことを尋ねた。彼は「今日のことなんですけど、11番の大村と22番の山下がパスを捕ってくれたのがうれしかった。次のシーズンにつながると思うと、うれしかったです」と返した。自分ではなく、これまで出番の少なかった後輩の大舞台での活躍を喜んだ。小田も変わったなあ、と感慨深かった。

甲子園で三塁打を放った元球児

「去年の夏の甲子園に出た近江高校のセンターが、推薦で関学のアメフトに入った」。2015年の春、そんな話を聞いた。それが小田だった。WRになったが、2回生まで目立った活躍はなかった。私が初めて取材したのは、彼が3回生になった春、初戦の慶應義塾大戦のあとだった。小田はこの試合で、1年後にキャプテンとなる光藤航哉(みつどう、同志社国際)からのタッチダウン(TD)パスを捕っていた。いよいよ小田のブレイクか。そう思って話を聞いた。
高校野球の話を振ると、ニコッと笑った。初戦が2回戦で、相手は鳴門(徳島)だった。右中間を破るタイムリー三塁打を放った。「あれは初球のカーブです。真ん中低めです。狙ってました。打ったときの感触がめっちゃよくて、いまも手に残ってます」。うれしそうに言った。よく笑う、おもろいヤツだなという第一印象だった。

小田は大阪市城東区出身。中学時代は奈良の「生駒ボーイズ」でプレーし、滋賀の強豪近江高校へ進む。3年の夏は2番センターで大活躍。滋賀大会は15打数8安打6打点に4盗塁で、6年ぶりの優勝に貢献した。当時の朝日新聞滋賀県版には小田の父である誠さんの「感無量です。甲子園でもいっぱい試合をしてほしい」、弟の瑛人君の「お兄ちゃん甲子園行くの、すげえ」とのコメントがそれぞれ残っている。決勝の9回には自分の頭越しの大飛球に飛びつき、アウトにするファインプレー。甲子園では前述の三塁打のほかに二つの盗塁も決めた。3回戦で負け、大量の土を持って帰った。

その数日後、小田は親とともに関学アメフト部の鳥内秀晃監督に会った。中学時代のチームメイトの親にアメフト関係者がいて、関学が小田の勧誘に乗り出したのだ。実は鳥内監督とは家が近所で、監督行きつけの飲食店で会った。滋賀大会の守備のファインプレーと甲子園での2盗塁を高く評価してくれていた。監督は「一回、見に来て」と関西学生アメフトの秋のリーグ戦のチケットを手渡した。

たいして乗り気でもなかった小田だが、試合観戦には行った。ボヤーッと見ていると、パスが飛んだ。小田はパスの先を見た。WRはフリーになっていて、手の届く範囲に飛んできたが、落球。小田は思った。「はあ、捕れたやろ~」。すると気が変わってきた。「これやったら、やれる」と。日が経つにつれ「大学で野球やるよりアメフトやった方が、ええとこ就職できるんちゃうか」と考えるようになった。なんとも夢のない理由で、関学でアメフトを始めることにした。

小田は2回生と4回生のときの甲子園ボウルで、高校時代と同じ舞台でプレーした

度重なる肉離れとの闘い

私が彼に初めて取材した3回生の春に活躍し、秋からのスターターと期待されたが、夏合宿で悲劇が。左足の筋肉にひどい肉離れを起こし、治療とリハビリの日々。秋は3試合しか出られなかった。甲子園ボウル数日前の現地練習の日、小田は防具を着けずに甲子園の芝の上に立っていた。目が合うと、小田はサッと申し訳なさそうな顔をつくって、2度頭を下げた。甲子園ボウルに出られず、チームは日大に足元をすくわれた。

いよいよチームの最上級生になった。はりきっていると、また肉離れ。肉離れが癖になって、「またやってまうんちゃうか」と、走っていて加速するのが怖くなった。カットを踏むのも怖かった。やめようかとも考えた。それでも思い直した。「いまアメフトやめても、自分には何もない。チームに残って何とか結果を出して、下級生の記憶に残れる人になりたいと思ったんです」。自分のことばかり口にしていた小田が、変わり始めていた。

4回生の春、夏も肉離れに悩まされたが、秋のリーグ第2戦の神戸大学戦から戦列に戻ると、タテにまっすぐ抜けるルートで40ydのロングパスをキャッチ。この一発が小田を変えた。「いままではボールを捕るイメージが漠然としてたんですけど、あれからより深くイメージできるようになりました。お客さんの歓声とか会場の雰囲気も含めて、自分に近い部分でイメージできてきました」。リーグ戦通算26キャッチは堂々のリーグ2位だった。リーグのベストイレブンにも選ばれた。
前年の甲子園ボウルでの大けがでリーグ第4戦まで戦列を離れていたエースWRの松井理己(4年、市西宮)は小田について、こう言った。「4回生になってもフワフワしてて、『いけるんかな』と思ったんですけど、要所で活躍してくれました」。関西人らしく一度落として、持ち上げて、小田をたたえた。

リーグ戦の甲南大戦でロングパスを捕り、ガッツポーズの小田。筆者が「カッコ悪いガッツポーズやったなあ」と言うと、対抗するように「あれをトレンドにしてみせます」と真顔で言った(撮影・篠原大輔)

関学の4回生として

甲子園ボウルの西日本代表決定戦で立命館大学に劇的な逆転勝ちをおさめると、小田は私のところに来て言った。「お待たせしました。何でも聞いてください」。20年ほどスポーツを取材してきて、試合後に選手からそんなことを言われたのは初めてだった。ただ「小田を書くなら甲子園」と思っていたので、「ごめん、甲子園まで置いとくわ」と言ったら、満面の笑みでどこかへ飛んでいった。相変わらずおもろい男だなと思った。

そして早稲田大との甲子園ボウル。快勝だったが、小田は散々だった。序盤に、間違いなく防げる類いの反則をして、2回のキャッチで22ydを稼ぐにとどまった。勝つには勝ったが小田を持ち上げるような試合ではなく、小田ストーリーは流れた。さすがに陽気な彼も手放しで喜ぶ気にはなれなかったのか、試合後に私のところへは来なかった。

そして泣いても笑っても最後の舞台となるライスボウル。前述のように、小田はランでTDを決めた。パスを捕ったあとに前進をはかり、富士通のDB(ディフェンスバック)と1対1の局面になった。小田は相手が低く体を投げ出すようなタックルにくると思ってジャンプ。しかし相手は立ったままで、思いっきり打ち落とされた。なかなか珍しいシーンで、最後までおもろい男だと思った。

試合の最終盤、小田は相手のタックルを受けて倒れ、担架で運び出された。もうフィールドには戻れず、4years.の終わりを迎えた。甲子園ボウルの前にひざを痛め、タックルを受けると5分ほど足が動かなくなる症状が出ていたという。「“らしい”最後やったな」と声をかけると、小田は大笑いした。私もつられて笑った。
関学は「4回生のチーム」と言われるが、小田もしっかり最後の年にチームの背骨になった。

小田はWRながら、俊足を買われてランプレーに起用されるシーンも目立った

4月からは大手電機メーカーで働く。アメフトを続けるかどうかは、「まだ決めてないんです」と言った。確かにまた、あの肉離れと付き合っていかないといけないかもと考えると、気が重くなるのかもしれない。でもライスボウルで彼が見せたプレーで、彼のアメフト5年目以降も見たくなった。

それは第3クオーターだった。小田を狙ったロングパスが放物線を描く。タテに走る小田をマークするのは富士通の外国人DBだ。小田はまっすぐ走りながら、左からボールを探していた。しかしボールの落下点に合わせ、最後の瞬間に右へ体をねじり、ボールと相手の間に体を入れた。流れるような動きだった。これで捕っていればスーパーキャッチだったが、落としてしまった。一連の動きは、まさに野球の外野手が後方へのフライを追う動きで、小田がいつも口にしていた「相手にどれだけ遠いところで捕れるかが勝負」という言葉を体現するものだった。

あのキャッチを決めて、大笑いする小田が見たい。

ライスボウルでTDを決め、喜ぶ小田

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