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退任決意の関学・鳥内監督、大いに語る「最後の意気込み? ない」

甲子園ボウル優勝祝賀会で壇上の部員を見守る鳥内監督

関西学院大学アメフト部「ファイターズ」を11度の学生日本一に導いた鳥内秀晃監督(60)が2019-20年シーズン限りでの退任を表明しました。2月11日に開かれた「甲子園ボウル優勝祝賀会」の壇上で「来シーズンを持ちまして、監督を退こうと決めました」と切り出すと、会場がどよめきました。その後、別室で報道陣の囲み取材に応じた内容が味わい深かったので、ここにほぼ全文を掲載します。

――改めて退任決断の理由を教えて下さい。
1986年にコーチ留学から帰ってきて、92年から監督と。部長とOB会の間で、それまでいっつも優勝できなかったら監督交代でした。私の現役のときからそういうことが起こってたんです。伊角(いすみ、富三)さんとバトンタッチするときに、伊角さんが「最低でも4年間、勝っても負けてもやらせて下さい。そうやっていきましょう」と。それで4年、4年の契約の繰り返しが、結果、次のシーズンが終わって7期になるんです。7期も長すぎますけどね。そろそろバトンタッチやないかな、と。
まあコーチも、私がやり始めたときは1人がフルタイマーで、あとはなかなかいない。そのあと堀口、小野が入ってきてくれて。まだまだ足りませんけど、まあ次の人に渡していこうと。第一世代いうのが米田先生、創部当時。第二世代が武田先生。第三世代が広瀬、伊角世代。ほんで第四世代が僕なんです。第四世代が長すぎて、なかなか次にコーチを集められなくて。まあ自分がサボりすぎたってのがあったんですけど。そろそろね、このまま長いままやっとっても、代替わりしないと、次の5年、10年、20年、そして2039年、当然そこまでやれるはずないんで。それに向けて、学長が正課外教育を真剣にやる言うてはるんで、ええ機会で、それに向けてどういう態勢がいいのか考えてもろたらええんちゃいますか? クラブだけでは無理なんで、学校の援助がたぶん要ると思うんでね、それは1年かけてじっくり考えてもろたらええんちゃうかと思いますわ。

監督・コーチ陣のあいさつが終わったあと、右手を挙げて、1年後の退任を表明した

――なぜ6期目の終わりじゃなく、いまなんですか。
6期目のときに、まだ人(コーチ)が足らん、と。大村(和輝アシスタントヘッドコーチ)が入って、だいぶ大村に投げてるねんけどね。だいぶ大村自身がいけるようなってきたしね。まあ今回香山が入ってきたと。来年たぶん入ってくるヤツも可能性あるヤツがいてるんで。まあ任せないとね、育っていかないんで、しゃあないんちゃいます?
あと、(新主将の)寺岡(芳樹)がさっき言うてましたけど、俺が最後やから頑張るちゅうのはおかしい。またあとであいつらには言いますけど。毎年毎年の4年が一生懸命やったらいいしね、結果はどうなるか分かれへん。それは心配せんでもええ。自分らみんな4年、3年、2年、1年が毎年、役目果たして勝ちに向けてやってくれたらええねん。監督が最後やから頑張るという発想では最後の最後、自分のえげつないパワーは発揮でけへんから。

――このタイミングで発表されたのは、1年かけて次の態勢をということですか。
そうですね。自分の中では決めてましたけど、いつ発表したらいいか考えたときに、先に言うといた方がええんちゃうの? と。やりながら、みんな考えてくださいよと。その方がいいのではないかということで発表しました。

――監督の中での決断は、スパッとできたんですか
7期が終わるから、もうそれでええわということは、去年のフルタイムのコーチのミーティングで「俺はそのつもりでおるから」って言うてますけどね。ほんで今回、1月27日に関学の中高大合同の壮行会したときに、終わってからフルタイムのコーチみな集めて、正式に言いました。「1年後に絶対やめるから。祝勝会のときに発表するわ」と。去年もその会のときに「自分はそういう気でおるから」って伝えたんですけどね。そやから学生は今日初めて知りましたよ。学生はね。

――コーチの反応はどうでした。
やっとか、言うとったわ(報道陣爆笑)。知らんがな。
――言葉はなかったですか。
なんもないよ。去年言うてるもん。
あんまり一人がやりすぎるのもな。いろんな弊害あるんちゃう? いまでも長い思うけどね。

――やめられたあとのアメフトとの関わりはどうされるんですか(『スポーツ報知』記者からの質問)。
スポーツ報知の解説かなあ(報道陣爆笑)。ないって。ほんまに何も考えてへん。まあ、まず今年1年、今年のチームが勝つためにやるだけであって、そのあとはまた、何がええんかなと考えなあかんしね。家のこともあるし。製麺業もだんだんだんだん縮小は分かってるねんけどね、うまいことたたんでいかなあかんのはあるんでね。

――たたむのは決めてるんですか。
決めてる。いまでも、もう赤字やで。残念ながら。従業員がな、赤字やからやめてくれ言うのがな、オヤジの時代から手伝ってもろてんのにな、それはでけへん。でけへんから、いままだ頑張ってやっとってんけど。

――悪質タックル問題で選手と指導者の問題がクローズアップされましたけど、指導のなかでいちばん大事にしてきたのはどんなことですか。
まあ最初若いときは上から目線でやってたからね。自分の思うようになれへんかったら、しばく、はないねんけど、口で言うてますわな、そら。だんだん、それではあかんと分かってきて、どうやればいちばんいいのかな、という形でやり始めたのが結局、1対50で4回生としゃべっとっても、やっぱりもう一つ聞いてくれてない。聞こえてるだけであって。そこで個人面談を始めていって、やっぱり4回生をコーチレベルに育てていかなダメだということになって。

――指導する中で一番楽しい瞬間ってどういうときですか。
最後の目標を達成したときの顔を見ることやな。それまで笑ってること自体おかしいねん。今回でも立命にサヨナラ勝ちした、と。アホほど喜んでる4回生がおって、「え、もともと社会人に勝つ言うてんのに、そんなバカ騒ぎすることなん?」と。予定通り勝たなあかんやん。そう思ったからね。これは全然分かってへんなと。やっぱりあそこを当たり前のように勝っていって、うれしいのは分かるけどな、下級生は喜んだらいいけど、あのときに4回生が「当たり前や」っていう顔してほしかったな。目標はその先にあんねんから。

「涙の日生球場」について書かれた新聞記事を手に熱弁をふるった

――後任の監督については。
後任は知りませんわ。関学の学長が正課外活動に持っていくと。2039年って言うてますわな。そこへ向けて、どういう態勢がいいのかと。学校の関与が必要や思うんですよ、僕は、やっぱり。関わってもらわんとね。いまの我々はまだ課外活動の範疇超えてないんでね。

――改めて最後のシーズンへの意気込みを。
それはないねん。毎年一緒やから。最後やから頑張るいう発想はもともとないし。毎年毎年新しいチームでやってるわけであってね、去年負けたから今年頑張るってのもないしね。毎年が新しいチームで、4回生にどうやってやってったってあげるねん、だけやからね。僕は。

――とはいえ、周りはすごく意識すると思います。
せんでええやん(報道陣笑い)。すんな言うてるよ。どっち向いてやってんねん。学生のためにやってるんやろ。臨機応変に戦える学生をつくらなしゃあないねん。

――奥さんの反応はどうでしたか。
え? しゃべってへん(報道陣爆笑)。言うてへん。そのうちやめるで、しか言うてへん。それでええんちゃうか。

――公言しての気持ちはいかがですか。
いやあ、別に僕はないねんけどね。学生がえらい動揺してる可能性あるからね。また言わなあかんけど、ちゃうねん。俺のためにやっても意味ないねん。自分のためにやってや、と。自分にウソつかんと、ほんまに日本一狙ってや、だけですわ。

――学生との個人面談は監督就任してすぐ始めたんですか。
いや1994~96年と3年連続で関西リーグで勝てんで、その後ですわ。コーチがおらんから、どうしたらえんかなと思ったら、一人ひとりがちゃんと言うたことやれやと。面談して、男の約束をつくってるだけやねん。
面談希望の人はなんぼでもやりまっせ(報道陣笑い)。会社のためにやってんの? 世の中のために記事書いてんの?(報道陣爆笑)これは書けません、は意味ないで!!(報道陣爆笑)

自分をイジる芸を披露した学生にツッコむ

――これだけ長い間やると思ってたんですか。
思ってへんよ。コーチが終わったぐらいのときに「伊角さん、もうやめますわ。家のことやりますわ」って言うてん。そしたら伊角さんも困るやん。やめられたら。ほなオッサンが先にやめよってん。相談せんと。俺はやめるつもりやったのに、いつの間にか監督やることなってて。そやからもう、こんなに長くやる気はなかってん。俺は。それがなんか「負けてやめるの嫌や」とかいろいろあって。次がまだおれへん、とか。86年からずっとボランティアやってん。トータル35年やってんねんけど、22、3年はボランティアやで(現在は契約職員)。それがあかんねやろけどな、いろんな競技において。「関学はボランティアであんだけできてるやん」と。ほんまはもっと早く職業的になっててよかったと思うけどな。これは。悪い影響与えてると思うわ。我々は。

――これだけ長く続けられた原動力は何ですか。
いや、これは学生の成長しかないねん。ちゃんと頑張ってよ、社会出てと。

――成長を見守ると。
やっぱり人間を教えるのは課外活動が一番ええんちゃうの、と。いまの時代はインターネットが入ってきて、もの分からんかったら調べるのは、ネットで調べられるねん。授業いるの、って言いたいわ。何でも聞けるやん。ノウハウを含めて、なんでそれが疑問にわくの? わけへんかったらおもんないやん、というのを伝えたいわな。そういう人間は。教室の授業がそんなに重要なん、と。いまの時代は調べることできるねん。フットボールの中でも、分からんこといっぱいあるねん。これどうやって解決できるのん、と。そういう発想がほしいねん。それはそやから、学生たちにも教える、4回生が下級生に教えるのにええ勉強やと思うで、これ。1プレー、1プレー区切られてるから、教えやすいねん。疑問に思う、その疑問をどうやって解決できるねん。その発想がほしいねん。それを考えてほしい。誰に相談いくの、と。そこで相談に行けへんことによって、負けてしまうよ、と。いうことも言うてるから。その1プレーや。(昨シーズンの西日本代表決定戦も、キッカーの)安藤がミスキックしとったら、どうか分かれへん。ありえんねんけど、そういうときの精神状態はどうやねん。そこまで言うとかへんかったら、来るよ、常に。そのプレッシャーが来たときに、「やっと来た」という精神状態にならへんかったら、勝負できひんねん。スポーツちゅうのは、そこが一番おもろいねん、その瞬間が。そこでビビっとったら負けやねん。

さっきも言うたように、日生のこと(1977年秋、関学が京大絶対有利の前評判を覆した「涙の日生球場」と呼ばれる名勝負)があってね、ああいう話ができとったというのは、僕にしたらああいう経験ができとったから。日生のときは僕は浪人やから、前半0-14で負けてんのに、見てる自分が「ほんまに関学終わんのかな」と思ってんのに逆転勝ちできた。それから自分が入って、2回プレーオフ経験してんねん。また2回とも勝ててる、と。僕が4年のときでも京大とやって、1000ydラッシャーの松田がいてて。3年生に。データで言うたら、京大の方が絶対に上やねん。負ける覚悟でやったら、シャットアウトや。それまでリーグ戦シャットアウトなしやで。データ的には圧倒的に京大有利やのに、メンタル的に崩れたら、ああなってしまうねん。そういうことを経験できたのがめちゃくちゃ大きい。それまでも、そうやって勝ってきてるねん。話も聞いてるしな。
去年もそや。それが大きいんちゃうかな。あきらめずやる、と。だから関大のときもそやし、立命のときもあんだけビンゴされたら、普通はディフェンス切れてまうけどね。切れんとやりよったからな。あれが大きい。絶対あきらめんな、って言うてるから。そうなっていったら、向こうが勝手に精神的に崩れていったりしよんねん。スポーツってこんなもんやなと。そういう経験できたんは大きいんちゃうかな。だからいうて、今年はどやねんと。あの経験は大きいねんけど、サボっとったら絶対ムリやしな。それだけみんなハートの面でも準備できとったと。役割も絶対考えてると。交代のヤツも考えてる。で、勝ってるんちゃうかな。

しゃべりすぎやな。帰らなあかん(報道陣爆笑)。

囲み取材で報道陣を笑わせ、何度もニヤリ

――この時期に発表されたのは、次の態勢を1年かけて考えてほしいという思いを込めてですよね。
みんな「ええー」と思ってるかもしれんけど、これがもし今シーズン、リーグ戦負けた瞬間にやめるとか、甲子園負けてどうこうやるよりも、いま言うとく方がスムーズに次の世代に行けるはずやねん。勝っても負けても。ライスが終わって急に発表というよりも、この方がええんちゃうかと。それだけですわ。永遠になんかできませんで。医学発達してるか知らんけど。そうでしょ。
関東のラグビーとか野球はいっぱいトシいった監督がおったけど、ウチはそんなんちゃうで。京大ともちゃうしな。長いことやらんでええわな。順番にやっていったらええねん。俺がやりすぎやねん。ほんとはな。その態勢がなかなかできなかったから。それがやっとできかけてるしな。いままあ順調に勝ててるしね。それはそれで。次の世代が考えたらええんちゃう? それだけですわ。

あと1年、何を言って笑わせてくれるのか楽しみだ

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