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笑わせ上手の教育者、関学・鳥内監督のラストイヤー

笑わせ上手の教育者、関学・鳥内監督のラストイヤー
退任を発表する鳥内監督

関西学院大学アメリカンフットボール部の鳥内秀晃監督(60)が来シーズン限りでの退任を発表した。2月11日に大阪市内で開かれた「甲子園ボウル優勝祝賀会」であいさつに立ち、「来シーズンをもちまして、監督を退こうと決めました」と語った。理由としてはチーム内で4年ごとの任期を設定してきて7期目が終わることや、後を託せる態勢が整ってきたことを挙げた。

洗練されたチームの真ん中に「大阪のオッサン」

私は非常に感慨深く、その言葉を聞いた。ついに鳥内さんのラストイヤーか。1992年に鳥内さんが監督になったとき、私は京大ギャングスターズの1回生だった。「えらい怖そうな顔したオッサンが関学の監督になるんやな」。そう思った。あのときからずっと名門を率い、次のシーズンが監督28年目。新聞記者として、デジタルメディアのライターとして、私はその半分ほどを取材してきた。最初の印象は、かなり変わった。

学生時代に大嫌いだった関学というチームの魅力に引き込まれたのは、鳥内さんがその真ん中にいたからだ。外から見れば、日本一洗練されたフットボールをするチーム。その真ん中にコテコテの「大阪のオッサン」がいて、報道陣にギャグを言いまくる。やすきよの漫才で育った鳥内さんは先日も、すでに亡くなったマルチタレントの名を挙げ、「あいつなんか、俺の普段言うてることばっかり言うて笑いとってたんや」と真顔で言った。「はあ」と返すしかなかった。そんなこんなで「顔は怖いけど実はおもろいオッサン」という取材者としての第一印象だが、1年もすれば、非常に選手をよく見ている監督だというのが分かってくる。

これまでざっと1000人以上の学生が鳥内さんとともにファイターズで戦い、出て行った。鳥内さんは、その全員と面談している。新チームが始まってすぐに、面談はある。最初は4回生だけだったが、次期監督と目される大村和輝アシスタントヘッドコーチに現場の仕事を任せるようになってからは、1~3回生とも向き合っている。だから、鳥内さんは一人ひとりをよく知っている。面談で問いかけるのは「お前はチームのために何をするんや」「そのために日々何をやるんや」ということ。そして究極的な問いとして「どんな男になるんや」というものがある。学生に対して、とくに4回生に対して鳥内さんが「男論」を持ち出すのは、父からの言葉がいつも心にあるからだ。

鳥内さんはサッカー少年だったころから、関学アメフト部の監督だった父の昭人さん(故人)に連れられて関学の練習を見に行っていた。当時は甲子園ボウルの観客席もガラガラで、七輪で焼き鳥を焼いている人がいたそうだ。その焼き鳥のおいしさが、鳥内さんの甲子園ボウルの原点だという。そして1年の浪人生活を経て入った関学でアメフトを始めた。4年間で4度出た甲子園ボウルで、すべて日大に負けた。鳥内さんは「打倒日大」を胸にアメリカへコーチ留学。そして92年に監督となった。このとき父に言われたのが「4回生を男にして卒業させたれ」というひとこと。だから「どんな男になるんや」と問いかける。ここが、ただ強いだけのアメフトチームとは一味違うところだ。しっかり学生と向き合っている。

40歳で教員免許取得

鳥内さんは監督になって7年目の40歳のとき、教員免許を取得した。とくに教諭になりたかったわけではない。「自分がチームの指導を通じて感じてることと、教育の現場とを見比べたかったんや」。実際に教育実習に行き、指導役の先生にダメ出しをしまくったそうだ。「生徒に背中向けて授業して、どないしますんや? 」「もっと生徒と向き合いなはれ」。これ以上恐ろしい教育実習生がいるだろうか。いや、いない。そこで自分の方針が間違っていないことを確信して、今日に至る。

昨シーズン、甲子園ボウルの西日本代表決定戦で関学は立命館に大苦戦した。この日3度ものパスインターセプトを喫していたQB奥野耕世(2年、関西学院)に、鳥内さんは最後の勝負どころを託した。「お前、いけるんかって聞いたんや。ほんなら奥野は俺の目を見て『大丈夫です。いけます』って言いよった。前に同じようなことがあって、ある選手に『いけるか』って聞いたんや。目をそらして『いけます』と。出したけど、アカンかったわな」。プレーの面でのチームへの関わりは以前より小さくはなったが、要所はガッチリとつかんでいる。それが現在の鳥内さんだ。

還暦祝い「俺は絶対に赤は着んぞ」

鳥内さんの色へのこだわりはすごい。だいたい関学のチームカラーである青系統の服装に身を包んでいる。「勝つっていうのはそういうことやねん。ほんまに勝ちたいと思ったら、相手のチームの色なんか身につけへんで。学生にはそういうとこから気にしてほしいわな」。ビッグゲーム前の関学の取材日に相手チームの色の服装で取材に行くと、ほぼ間違いなく鳥内さんにツッコまれる。ニヤッとして、「なんでエンジ(立命)やねん。最悪やで~」。数年前にスポーツ紙のベテラン記者がエンジ色の上着で行ったときは、その記者が立命館の出身ということもあり、かなり根に持ったようだ。あれから毎年、その話を口に出す。

そんな鳥内さんに先日、報道陣の有志で真っ赤なユニフォームをプレゼントした。背番号は60。昨年11月に60歳になった鳥内さんの還暦祝いだ。最初は着るのを渋った。「なんで赤(日大)やねん。俺は絶対に着んぞ」。あまりに着ないので、妻の美香さんを呼んで説得してもらった。すると最後にはご機嫌で、ポーズをとってくれた。後日電話がかかってきて、「あのときの写真、送ってくれへんか? 嫁はんがほしい言うてんねん」と言われた。

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還暦祝いの真っ赤なユニフォーム姿の鳥内さん。妻の美香さんのおかげで記念撮影ができた(撮影・篠原大輔)

たまに鳥内さんが記事に文句をつけてくることがある。「俺、あんなに大阪弁でしゃべってるか? ちゃんと標準語で書いてくれ」と。もちろんギャグだ。あと1年になってしまったのは寂しいが、これからも存分に「鳥内節」をありのままに伝えていきたい。

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