「絶対勝つ」「全員で勝つ」 関学主将・光藤
関学の主将、光藤航哉(みつどう、4年、同志社国際)の記者会見ほど面白くないものはない。
「絶対に勝ちます」「全員で勝ちます」
何を聞かれても、ほぼこの二つしか言わない。関学は今シーズンのビッグゲーム前に計4度の記者会見を開いたが、毎回そんな調子だった。
だけど私は、そんな光藤の生き方が好きだ。
立命、同志社で育って関学へ
昨年の1月3日、光藤は同期のRB富永将史(関西学院)、トレーナーの鍬田拓蔵(同)と一緒にライスボウルをテレビで観戦していた。富永も鍬田もこの日が誕生日。自分たちに勝った日大の戦いぶりを見ながら、1年後は二人の誕生日を東京ドームで迎えると誓った。
私が光藤に初めて取材したのは、彼が3回生の春だった。「今年は4回生と同じ気持ちでやります」と話してくれた。その夏には頭を丸めた。4回生と同じく、フットボールにすべてをかけるという意思表示だった。リーグ戦の立命館大戦前には控えの立場ながら、こう言った。「4回生は人生をかけてます。同じ気持ちで試合会場に行こうと思います」。勝つことへの意識が極めて強いのを知っていたから、彼が主将に立候補したと聞いたときも「そうだろうな」と思った。「一番このチームを勝たせたいのは自分だと思ったんで」。彼は立候補の理由をそう説明した。私はうなずいた。
滋賀県大津市出身。小学校のときに草津リトルパンサーズという立命館大学の支援するチームでフラッグフットボールを始めた。このときに初めて日本一を目指す経験をしたが、届かなかった。ここから彼の日本一にかける人生が始まった。
中学受験のとき「父も姉も同志社だったし、学校の雰囲気がゆるくて楽しそう」と、同志社国際中を第一志望にして合格。立命館宇治中にも願書を出していたから、まかり間違えば光藤は関学の最大のライバル立命に進学していたかもしれない。
かつて私が光藤に過去の会心のプレーを尋ねたとき、同志社国際高時代に90yd以上を走ってとったタッチダウン(TD)を挙げた。背番号2のQBはランに出たときの視野が広く、タックルされそうでされない「ウナギ走り」で活躍していた。それが関学ファイターズの目とまり、高2の夏に関学からスポーツ推薦の話が来た。そのとき光藤は思った。中2のときもライスボウルの前座であったフラッグフットボールの日本選手権で大敗していた。「関学へ行くのを逃したら、もう自分が日本一になれるチャンスはないかもしれん」。母には反対されたが、説得して関学進学を決めた。ともに同志社大へ進んでプレーするはずだったチームメートたちには、少し後ろめたい気持ちも残った。だから今シーズン、2部で戦った同志社が1部復帰を決めたとき、光藤は心の底から「よかった」と思ったという。
2回生のときのシーズンに関学はライスボウルまで進んで富士通と対戦したが、光藤はけがでこのシーズンを棒に振っていた。最後のライスボウルで初めて10番のユニホームをまとったが、出番はなかった。3回生になってエースQBの座を同期の西野航輝(4年、箕面自由学園)と争ったが、光藤にとって夏のけがが響いた。秋のリーグ戦でオフェンスを率いたのは西野だった。甲子園ボウルで日大に負け、悔しさと無力感しかなかった。最後の日本一のチャンスにかけ、主将に立候補した。関学でQBが主将になるのは1950年度の米田満さん以来68年ぶりだった。
「暴君みたいなキャプテンは嫌でした」と光藤。いろんな意見を聞こうと思った。すると物事を進めるのが遅くなる。チームのスローガンを決めるときも悩んだ。「そんなん、最後はお前が決めろ」。富永に言われた。「1日考えてくる」と言って、最後は自分で決めた。ただ、彼が主将になってから、チーム内で多数決は1度もやっていない。「もし1票差で決まったとき、ほぼ半分の人の意見がまったく生かされない。それは違うと思うんですよね」。光藤とはそういう男だ。
主将でありながら3番手QB
今シーズンのエースQB争いには、2回生の奥野耕世(2年、関西学院)が加わった。光藤にとって苦しかったのは夏合宿。QBとしてイージーなミスを連発。「1プレーにかけろ」と、自分がみんなにずっと言ってきたのに、自分自身が大事な夏合宿でそれができない。しかし、主将としては厳しいことも言わないわけにもいかない。主将に立候補した時点でこんなことは想定内だったはずだ。しかし悩んだ。OBの先輩二人に相談すると、「そんなもん、気にしてたら始まらん」「お前が周りにどう思われるかより、チームが勝つことが優先や。そのために何が最善か考えろ」と言ってくれた。吹っ切れた。
秋のリーグ戦が始まり、エースが奥野、2番手が西野。光藤は3番手という立ち位置になった。全勝で迎えた第6戦で関大と引き分けた。「京大戦、関大戦のころは試合にもほとんど出てなかったし、自分が何もできてないような気持ちが強かったです」と光藤。そこで覚悟を決めたのだろう。リーグ最終の立命大戦を前に、光藤の顔が変わった。「絶対に勝つ」「全員で勝つ」。鋭い顔つきで、そればかり言うようになった。
覚悟を決めると、出番も巡ってきた。立命との西日本代表決定戦、甲子園ボウルと、光藤は少ないチャンスを生かしてTDを挙げた。学生日本一を決めた甲子園ボウルの試合後、選手たちの輪の中で、「日本一なったぞ!! 」と光藤が叫ぶと、4回生たちが「おーー!! 」「よっしゃー!! 」と絶叫で応えた。あの反応の仕方で、周りのみんなが光藤の苦悩を痛いほど分かっていたことが伝わってきた。
WRの松井理己(りき、4年、市西宮)は言った。「いまは光藤に厳しいことを言われても、誰も文句言わないです。光藤が人に言っただけの努力はするって知ってるから、みんなが信頼するんです。アイツほど、勝つために何ができるかを考えて、自分に向き合ってるヤツはいない。ライスボウルで勝って、光藤を本当の日本一のキャプテンにしてあげたいです」
甲子園ボウルのあとの記念撮影で、最前列のど真ん中にマネージャーやトレーナーといった裏方が陣取っていた。光藤の言っていた「全員で勝つ」の「全員」は、スタッフも含まれていたんだなと感じた。写真撮影の様子を見ていて、いいチームになったなあと思った。
勝って「アンディ」に会う
大津市の自宅にはしばらく帰っていない。自宅には愛する「アンディ」がいる。ワイヤー・フォックス・テリアという犬種のオスで14歳。光藤が小学校のころに家にやってきた。「最初は僕が家で一番小さいから、アンディになめられてたと思うんです」。光藤は真顔で言う。それがある日、「遊んでほしい」という表情をしているように見えたのだという。その瞬間からいままで、光藤はアンディを愛してやまない。スマートフォンの待ち受け画面もアンディの写真だ。勝ってアンディに会う。それも光藤の心の中にある思いだ。
さあ、ライスボウル。「オフェンスにチャンスは何度も来ない。チャンスが来たら3点じゃなく、TDをとりきりたいです。当初の目標通り社会人に勝って、真の日本一になって、チームに何かを残したい」。日本一にとりつかれた男、光藤航哉がすべてをぶつける。
「絶対に勝つ」「全員で勝つ」