野球

同志社準硬式・上村、不登校だった僕を野球が救ってくれた

投球練習のボールを受ける(撮影・内藤界)

チームを支える一人のキャッチャーがいる。

同志社大学準硬式野球部、上村(うえむら)佑治(4年、英心)。長くても夏までしかプレーできない最上級生だが、ベンチ入りは果たせていない。それでも「ピッチャーが投げやすい存在でありたい」と、率先して裏方を務めている。

先生からの手紙で登校、始まった野球人生

明るく声を出し、チームを少しでもよくしようと奮闘する上村の現状は、彼の少年時代を知る人からは想像しにくいかもしれない。彼は、いわゆる引きこもりだった。

小学2年生のときだった。友人とけんかしたことがきっかけで「保健室登校」が始まる。だんだん登校する日が少なくなった。なんとか高校生にはなったが、登校しない日の方が多かった。高1の夏、豊田毅先生(33)からの手紙を受け取った。手紙には彼の行動をほめる言葉や、引きこもりを克服して活躍している先輩の事例などが記されていた。それが、登校を続けるきっかけとなった。

恩師の豊田先生(右)とのツーショット(撮影・安本夏望)

高2の秋、転機が訪れた。

当初所属していた軽音楽部の顧問だった豊田先生に誘われ、野球を始めたのだ。もともとプロ野球観戦やキャッチボールが好きで、誘われると飛びついた。当時、三重県伊勢市にある私立英心高校には野球部がなかった。野球に取り組んでみて体力の向上と心身の成長に役立つことがわかると、豊田先生が中心となり、野球部をつくることになった。何とか選手10人、マネージャー2人で英心高校野球部はスタートした。

高校時代、最初で最後の公式戦で打席に立つ(写真は本人提供)

経験者はほとんどいない。練習場所もない。勉強とも両立させなければならない。部に昇格するまではソフトボールで練習した。ノックで体に当たりそうなボールが飛んでくると、みんな逃げた。そんな惨状でも、上村は「野球ができるだけで楽しい」。喜びをかみしめ、彼なりの努力を続けた。

「要になるのはお前やで」。先生に言われ、キャプテンになった。上村は「うまいこといかんやろ」と思いながらも、部を引っ張った。豊田先生は大事な役割を与えた理由について「リーダーになる素養があった。責任感も人一倍ありましたから」と語る。チームを背負い、最初で最後となった夏の三重県大会。明野高校と対戦し、0-17の完敗だった。4番キャッチャーで出場したが、2打数ノーヒット。「もうみんなと野球ができないのか」。たった1年弱だったが、英心での野球部生活で得た仲間が、かけがえのない存在であることに気づいた。

高校時代の仲間と(中央、写真は本人提供)

引退のとき「チームに貢献できた」と思えるように

先生に勧められたこともあり、同志社大学に進んだ。自分の力と照らし合わせて、できるだけ高いレベルで野球をしたいと、準硬式野球部に入部した。2回生の夏、試合にはでていなかったが、夏の全日本制覇を間近で体感した。「別の世界を見てる感じ」。上村は言った。自分自身も成長し、もう一度日本一を経験したいと思うようになった。

一方でキャッチャーの一員として、「ピッチャーが成長してくれたらうれしい。その役に立つことでチームを支える。その先に、いい結果があれば」と意気込んだ。試合に出られなくても、自分にしかできないことでチームの支えになれるように、自分自身の行動や、声のかけ方にまで気を配ってきた。とくに声のかけ方は高校時代から工夫していて、現在もよりよい方法を探している。

約1年前に右足を痛め、練習もできないもどかしい日々を送った。その中で野球に対する向き合い方を考え、同級生たちの価値観にも触れてきた。「自分は見えるものが狭すぎる」と気づいた。自分が学んだことを軸に、野球に取り組む。ラストシーズンは自分自身が成長するのはもちろん、「引退するときに、チームに貢献してきたと胸を張れたらいい」と話している。

不登校の子を支援するのが将来の目標

不登校だった時代については「いまの自分によくも悪くも作用している」と振り返った。不登校でなければ野球や仲間に出会えなかったかもしれない。ただ、不登校を「いい経験」で終わらせてはいけない。上村は具体的な職業までは決めていないが、不登校の子を支援することを将来の目標に掲げている。「当時の自分がどんな気持ちだったのか、どうしたかったのかを理解し、思い出にならないようにしたい」。思い出で終わらせず、未来につなげる。

チアリーダーとともに、スタンドから仲間を応援(撮影・内藤界)

上村は恩師からの手紙のおかげで一歩を踏み出せた。「一歩目は大人が提供する。それが大人の役目。夢を達成させてあげられるように、追い続けられるようにすることが大事」
与えられた機会や出会いを生かし、彼は大きく成長した。

野球を通しての出会いもまた、彼の大切な財産だ。「野球つながりの人の存在が大きすぎる。困ったときに頼ろうと思えるのは、部でつながっている人ばかり」と話す。野球が上村を活動的にし、仲間とめぐり合わせてくれた。恩師が野球と彼をつないだ。野球はいま、上村とさまざまな日常をつなぐ「架け橋」になっている。

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