100年のこった、のこった 「シコふんじゃった。」の立教大相撲部
明治、大正、昭和、平成、そして令和へ――。いくつもの時代を越え、「学生相撲」の伝統は現代に息づいている。かつて学生横綱も生んだ立教大学相撲部が創部100年を迎えた。慢性的な部員不足に悩まされながらも、同部がモデルの映画「シコふんじゃった。」を地でいく快進撃で、古豪復活を目指している。
新入生獲得へ、勝負の春
4月上旬、立教大新座キャンパス(埼玉県新座市)で相撲部の体験会があった。入学したての男子学生が、おそるおそる相撲場へ足を踏み入れた。
集まったのは高校時代に野球部、山岳部、将棋部だった3人。ハーフパンツの上からまわしをつけ、現役部員やOBたちに手ほどきを受けながらながら、四股、鉄砲、すり足。稽古は終始明るい雰囲気で、あっという間に1時間が経った。
山岳部だった依田文武は、中学生のころから大相撲のテレビ中継に夢中になり、巡業へ足を運んだこともある。「大学では何か新たにスポーツをしよう」と思っていたところ、学内で声をかけられた。土俵で踏んだ初めての四股に「足腰が硬いから、痛かったです。テレビで見て思ってたより、やるのは難しいですね」。そう語る表情に満足感が漂っていた。
2019年度は選手2人で始まった。新入生歓迎の時期は、相撲部にとっては勝負。体験会に3人が同時に来るのは珍しい。自身もOBの坂田直明監督(47)は「ちょっとでも相撲の楽しさを分かってもらって、この中から入部する学生が出てほしいね」と、頰を緩ませた。
学生横綱も出た黄金期、助っ人頼みの低迷期
立教大相撲部は1919(大正8)年の創部。学生相撲の創成期を支えた強豪の一つで、インカレでは31年に団体戦3位。64年には、堀口圭一さん=故人=が個人戦で優勝し、「学生横綱」のタイトルを手にした。当時は学生相撲界でトップクラスの選手がそろっていた。
ところが立教大の体育会推薦入学制度が70年代で終わり、徐々に部員が減少。5人制で争う団体戦に、相撲部員だけでは出られない状況に陥った。80~90年代には選手「ゼロ」の時代が10年以上も続いたことがあった。女子マネージャーが2人いるのに、選手がいないという珍現象も起きた。2000年代になって選手2、3人の状態が続いている。
それでも大会に出続けられたのは「助っ人」たちの存在があったからだ。格闘技つながりで柔道部やレスリング部から選手を借りたほか、畑違いの陸上部や水泳部から集めたこともあった。
歴代の相撲部員も入学後に初めて土俵に上がった学生が大半だ。現在の主将である4年生の小佐野陽は、高校時代はラグビー部にいた。動画サイトでたまたま見た大相撲の元横綱千代の富士の研ぎ澄まされた肉体にあこがれ、立教相撲部の門をたたいた。「格闘技をやりたかったんですけど、レスリングや柔道より、大学からでも始めやすいと思いました」と語る。
坂田監督も高校時代はアメリカンフットボールをしていた。立教が相撲の裾野を広げてきた歴史を誇り、こう強調する。「うちには助っ人も含めて、別の競技をやってた子たちが相撲を始められる環境がある。普通の感覚の子にどんどん入ってほしいです」
大物「助っ人」は映画監督
創部100年を前に、大物「助っ人」も現れた。立教大OBで、92年公開の映画「シコふんじゃった。」の監督・脚本を担った周防正行さん(62)だ。昨年3月に相撲部の「名誉監督」に就任。発表会見には多くのメディアが訪れ、注目を集めた。
映画は立教大をモデルにした「教立大」が舞台だ。廃部寸前の弱小相撲部があの手この手で部員を集め、女子マネージャーや素人部員が力を合わせて勝利を目指す――。そんな日々がコミカルに描かれている。周防名誉監督が就任して以降の立教相撲部は、図らずも映画さながらの活気ある1年を送ることになった。
ドイツからの留学生が入部したほか、女子マネージャーの奥村百花が創部以来初の女性主将を務め、盛り上げに一役買った。奥村はちゃんこ作りや「助っ人」の交渉などで選手を支えただけでなく、土俵にも上がり、選手と一緒に稽古に励むことで士気を高めた。
一年の総決算である昨年11月のインカレには、現主将の小佐野ら相撲部2人と柔道部2人、レスリング部1人のメンバーで臨んだ。40年以上も遠ざかっていたBクラス(2部相当)でベスト8進出。悲願のAクラスまで、あと1勝と迫った。
創部100年の節目には、さらなる快進撃に期待がかかる。周防名誉監督は、こんな熱いエールを送る。
「あえてマイナーな世界に飛び込んだ彼らは、弱いけれど、小さいけれど、一生懸命やっている相撲があることを僕たちに教えてくれる。彼らには、大相撲とは違う相撲のおもしろさや、実際に『相撲を取るおもしろさ』を感じてもらい、それを広めていってほしい」