5000mで2連覇の関学・石井優樹、チームで出るぞ全日本大学駅伝
昨年の個人選手権男子5000m決勝は、8人が大会新記録をたたき出すというハイレベルな戦いとなった。そのレースを13分45秒65の自己ベストで制したのは、青山学院大でも東海大でも東洋大でもなく、関西学院大の石井優樹(当時3年、布施)だった。石井にとって2連覇がかかったこの日、2日前にひいた風邪でコンディションは劣悪だったが、最後の300mで一気に5人を抜き去り、トップでゴールした。
我慢のレース、ロングスパートで決めた
レース序盤、札幌学院大のローレンス・グレ(2年、札幌山の手)に東海大の小松陽平(4年、東海大四)と青山学院大の鈴木塁人(4年、流経大柏)が食らいつき、その後ろに石井を先頭とした第2集団が続いた。2000m地点では、先頭の3人と第2集団の差は10秒近くにも広がった。
石井はこの時、先頭を追うことも考えたが、それよりも不安の方が大きかったという。3月に右足を疲労骨折し、練習を再開できたのは4月末になってから。その状態で関西インカレを迎え、5月9日には10000m、18日には5000mを走り、ともに優勝。今回の個人選手権は復帰後3本目のレースだった。自分の出番の2日前には風邪をひいてしまった。レース当日の朝も吐き気で眠れず、棄権することも考えたという。この状態で関東の強い選手たちと戦えるのか。石井は悩みながら、オーバーペースにならないよう、自分の走りに徹することを考えていた。
3000m地点で先頭集団がばらけると、第2集団にいた中村友哉(4年、大阪桐蔭)がすっと石井の前に出て集団のペースを上げた。残り1200mで小松と鈴木が第2集団に飲みこまれた。石井は10人程度で形成された第2集団の後方にまで下がっていた。残り2周のところで石井は第2集団の5番手に上がると、ラスト300mでロングスパート。グレも含めた5人を一気にかわす。最後の力を振り絞り、苦しさに顔をゆがめながらゴール。石井はそのまま倒れて仰向けになると、おなかを押さえながらせき込んだ。そんな石井に同じ大阪出身で中学から競い合ってきた2位の中村が手を差し伸べ、2人はそろってコースを後にした。
関東の選手と走れる喜び
レース後、石井は「関東の選手もいる激しいレースで戦えるのは関西の選手としてとてもありがたいですし、そこでこういった結果を出せたのはすごいうれしいです。なにより2連覇ってことで、『いっときの人』ではないということは証明できたかなと思います」と語った。体調不良ということもあり、最後までついていくという我慢のレースに徹したものの、ラストの勝負強さが際立った。
石井は高校時代、競争の激しい関東の大学では2軍扱いで試合に出られなくなることを懸念し、自分が最大限楽しめる道を求めて関西の大学を選んだ。なにより、高校時代からお世話になっていたコーチが関西学院大にいたことが大きかった。生まれ育った関西で力をつけ、昨年6月の個人選手権5000mで優勝、11月の全日本大学駅伝では日本学連選抜として1区を走り、区間賞に輝いた。達成感のあるシーズンを過ごす中で、心の変化があったという。
「昨年までは『関西の選手でも強いんだぞ』という気持ちはあったんですけど、いまとなっては関東の選手とも交流が深くなってきましたし、やはり同じ世界で戦ってる、そして楽しんでいる同志でもあるんで。関東の選手と走るときは、争うよりもレースを走れる喜びを感じて挑むというところに重点を置いてます」
今年こそ「関西学院大学」で駅伝に
ラストイヤーの今年、石井の思いは二つ。最後の全日本インカレでもトップを走ること、そして、今年こそ関西学院大のチームとして全日本大学駅伝に出場することだ。「去年はチームで出られなかったという悔しい思いがある選手ばかりなんで、チームが出場するためにも僕の力を最大限に使いたいと思います」と、石井は意気込んだ。この日の5000mには1回生の上田颯汰(そうた、関大第一)も出場し、20位に入った。6月30日にある関西地区選考会に向け、チームもいい流れの中で練習を積めているという確信が石井にはある。
今日のレースで石井は、最後の直線でモニターに映る自分と後続選手との距離を知り、勝利を確信してゴールをしたという。ただし石井の裸眼視力は0.1以下。ぼやけて見にくかったに違いない。見間違えるというリスクもあるなら眼鏡をした方がいいのでは? と質問してみると、「走ってるとどうしてもズレるのと、汗で眼鏡が曇るのがうっとうしくて……」と石井。自分の道を貫いてきた男は、ラストイヤーを仲間とともに駆け抜ける。