法大DF高木友也はどん底からはい上がり、プロへの道を切り拓く
サッカーの天皇杯は7月3日に2回戦があり、鹿屋体育大学が3-0でJ1の名古屋グランパスを破る大金星を挙げました。天皇杯の醍醐味(だいごみ)の一つが、今回の鹿屋体大のように、大学のチームがJリーグのクラブを「食う」番狂わせです。10日の2回戦でも2試合、大学がJクラブに挑むゲームがあります。プロに挑む大学へのエールも込めてお届けする特集の第六弾は、J2東京ヴェルディに挑戦する法政大学の注目選手紹介です。
練習試合での活躍が評価され法政大へ
抜群のステップワークから繰り出すドリブル、サイドで上下動を繰り返せるスタミナ、精度の高い左足のキック、巧みなポジショニング、最終ラインから試合をつくれる広い視野。これらすべて兼ね備えているのが、法大の左サイドを担うDF高木友也(ゆうや、3年、法政二)だ。
高木は横浜市で生まれ、小学校のときから神奈川の名門クラブ『バディーSC』でプレーした。中学でもバディーSCで技を磨き、活躍が評価されて法政二高へ推薦入学。当時から主に左SB(サイドバック)でプレーしたが、攻撃的なポジションを務めることもあったという。
法政二高でサッカーをしていたからといって、全国から猛者の集まる法大サッカー部に入れるわけではない。高木が「特例」での入部を果たしたきっかけは、彼が高3だったときの法大と大宮アルディージャとの練習試合だった。人数合わせで高木は法大のメンバーに加わり、15分×3本のゲームで3アシストをマークした。「法政二高から入部できる可能性は低かったんですけど、だからこそ思い切りプレーできました。あの試合がいままでで一番調子よくプレーできたかもしれないです」と振り返る。
大学2年生でレギュラーに、大学選抜にも選出
晴れて法大サッカー部に入部したが、待っていたのは厳しい現実だった。「間違いなく誰よりも下手で、毎日が苦しかった」と高木。Bチームのメンバー外からスタート。しかし、あきらめることなく努力を続け、どんどん浮上していった。1年生の夏にはアミノバイタルカップや総理大臣杯にも出場。2年生になり、左SBとしてスタメンの座を射止めた。冬には全日本大学選抜の一員に。一気にスターダムを駆け上がった。高木は言う。「自分がいないと攻撃が始まらないというくらいの存在感を出したいですね。就活か、サッカーかで来年迷わないためにも、今年中にプロ入り内定を決められたらと思ってます」
さらに高木は「サッカーのない生活は考えられないです。大学までサッカーを続けられてることが、自分自身のいい成長につながってます」とも言った。あの日、練習試合に呼ばれた“お客さん”は、大学サッカー界屈指の左SBへと化けた。
7月10日に東京ヴェルディとの天皇杯2回戦に臨むチームの目標はもちろん、Jリーグのクラブを破ること。高木自身も、「法政といえばサッカーと言われるように、勝利にこだわりたいです」と気合十分。どんなに壁があっても、何度も乗り越えてきた。オレンジの背番号3は、プロとの戦いでプロへの道を切り拓(ひら)く。