関西学院大学のルーキー小林陸 高校野球をあきらめ、アメフトにかけた
2年連続30度目の甲子園ボウル制覇を狙う関西学院大学アメリカンフットボール部に、スケールが大きな1回生が入ってきた。身長185cm、体重100kgのTE(タイトエンド)小林陸(大阪産業大学附属高校)。恵まれた体格を生かしたブロックに、確実なパスキャッチ。秋のリーグ戦は序盤から出場機会がありそうだ。
巧みなパスキャッチに強力なブロック
春のシーズン最後の試合となった6月29日の中京大戦。関学側は下級生中心のJV(ジュニアバーシティ)戦の位置づけで、小林は先発出場した。最初のオフェンスシリーズで短いパスを確実にキャッチ。しっかり相手に当たってゴール前1ydまで運び、先制のタッチダウン(TD)につなげた。3度目のオフェンスでは縦のルートを走ってナイスキャッチ。ゴール前5ydまで持っていった。前半の途中で退いたが、ランプレーのときのブロックも強力で、豊かな将来性を感じさせた。
小林はこの春、JV戦の3試合に出場した。計8回のパスキャッチで89ydを稼いだ。大学生として最初の春を振り返り、「まだまだ不完全燃焼です」と真顔で言いきった。そこらへんの1回生とは、見ているところが違う。
甲子園を目指して中京大中京高へ
彼の意識が高めに設定されているのには、理由がある。
回り道をした分、やると決めた道で最高の結果を出すと決めているのだ。
兵庫県出身の小林は野球少年だった。高校は推薦で愛知の名門・中京大中京に進んだ。
キャッチャーだった。自分が甲子園でプレーする姿を思い描いて入学したが、その鼻はいきなりへし折られた。「レベルが高くて追いつかなかった」。同学年には2017年のドラフト5位で中日に入った伊藤康祐がいた。頑張ったが、限界を感じた。
野球から心が離れた。そんなとき、父の雄一郎さんと高校のアメフトの試合を観戦に行った。父はかつて、大産大高と近畿大学でアメフトの選手だった。その試合は父の母校の試合だった。試合が終わって、いまも大産大高の監督を務める父の恩師と会った。最初に言われた。「お前、デカいな」。話をするうち、「ウチに来てアメフトしたらどうや?」と誘われた。確かに試合を見ていると、自分の大きな体が生かせそうだった。パスを捕るのも楽しそうだった。何日か悩んで、父の恩師にお世話になることに決めた。
しっかりアメフトを3年間やりたかった
中京大中京高を1年の秋でやめた。すぐに大産大高に入る道もあったが、小林は翌春まで待って、もういちど1年生からやることにした。「自分だけ年上って嫌やなとか考えたんですけど、それよりしっかりアメフトを3年間やりたかったんです」。芯の強さを感じさせる。
大きな体の割に俊足で、パスキャッチも確実。そして当たれる。1年生のときから試合に出た。2年生からは不動のスターター。3年生では主将になった。目指していた日本一には届かなかったが、年代別の日本代表に選ばれ、国際試合も経験した。
高2の冬に、アメフト部の監督から言われた。「お前、関学から声かかってるぞ」
衝撃だった。強い関学にあこがれはあったが、自分が勧誘されるわけがないと思い込んでいた。というのも大産大高は長らく高校アメフトの強豪だが、誰も関学に進んでいない。もちろん小林もそれを知っていたから、監督の言葉に衝撃を受けたのだ。「驚きすぎて、困惑してしまいました」。関学には高校の先輩が誰もいない。本当のところどんなチームなのか、分からない。すぐに関学の推薦入試を受けるという返事ができなかった。
父とも何度も話し合った。最終的に受験を決めたのは「やっぱり関学が日本一のチームや」という思いだった。高3の9月に小論文と面接の試験を受け、10月にKGの一員になることが決まった。
大産大高から初めて関学へ「4年間日本一に」
そして、実際に足を踏み入れた関学アメフトの世界。「みんなアツい。本気なんです。熱量がすごいです」と小林。どんな4years.を思い描いているのか尋ねると、彼はまっすぐ前を向いて言った。
「4年間ずっと日本一です。自分がその場に立ってることだけ考えて、やっていきます。何でもやれる選手になりたいです」
最後に聞いた。1年間の回り道をどう受け止めていますか、と。
「それはこれから次第です。4回生のシーズンが終わったときに答えが出ると思ってます」
普段は超辛口の鳥内秀晃監督(60)が言う。「アイツはええよ。長いルートも走れるし、ハンドがええ。ブロックもできるし、秋にはまず交代で出ると思うわ」
大産大高から初めて関学にやってきた男は、ファイターズを支える存在となるか。