ラクロス

日本の元気印だった信州大ラクロス・宮田花 、速さを武器にW杯代表を

宮田は十分なプレータイムを獲得できなかったが、気持ちを切らさず、誰よりも大きな声援を送っていた(写真はすべて日本ラクロス協会提供)

ラクロスの第9回ASPAC(APLUアジアパシフィック選手権大会)が6月21~29日まで韓国で開催され、大学生で編成した日本女子チームは男子チームとともに6連覇を成し遂げた。決勝では韓国に15-3と圧勝。日本の優勝を告げる試合終了のホイッスルが鳴ると、フィールドに散っていた選手たちの笑顔が一斉にはじけた。

コートに立てなくても

サイドラインの外で声を枯らし、最後までチームを元気づけていた宮田花(信州大2年、和歌山・橋本)も、優勝が決まった瞬間は顔をほころばせた。決勝のコートに立ったのは3分程度。それでも井川裕之ヘッドコーチに求められた役割を理解し、全力を尽くした。

「私の役割はどちらもキープできてないグラウンドボールを奪い取ることでした。ドロー周りの飛び出しの速さは私の持ち味です。決勝では取れなかったけど、集中してました」

コートを出ても気持ちを切らさない。それは大会を通してずっと意識していたことだった。出場時間が短くても、決してふて腐れない。「ここでヘコんでも仕方ない。何も起きないぞ」と自分に言い聞かせて顔を上げ、チームを盛り上げるために声を出した。大会序盤のある夜、宮田の部屋のドアにメッセージ付きのポストイットが貼られていた。

「きょうは大きな声援、ありがとう」

エースの前西莉奈(立教大3年、横浜市立東)からだった。小さな紙に込められた思いは、グッと胸に響いた。声はしっかり届いていたのだ。ほかの選手からは「いるだけで元気になれるよ」というメッセージももらった。いつしか宮田は貴重なムードメーカーになっていた。

思い知らされた関東勢との違い

ただ、コートの中で存在感は示せなかった。大会が進むにつれて出場時間が少なくなり、ホテルの部屋でひとり思い悩んだ。相部屋の選手があえて何も言わず、そっとしておいてくれたことが忘れられないという。ASPACを通して、多くの経験を積んだ。優勝した喜びだけではない。「正直、悔しい思いもしました。私が試合にあまり出られなかったのは実力差があったからです。それは分かってます。だから、もっとうまくなりたいと思いました」

ASPACは他校の選手から刺激を受けるいいきっかけにもなった

大会の期間中には先輩たちにも相談した。立教大の櫻井美帆(3年、千葉・八千代)や樋口紗穂(3年、横浜隼人)らに助言をもらい、いま取り組むべき課題を明確にした。特長であるスピードを伸ばし、1対1での勝負に負けないこと。井川ヘッドコーチの求めていたことも理解している。守備の際に一手二手先を読む力、状況判断などは一朝一夕で身につくものではない。19歳は一歩ずつ進んでいくつもりだ。

信州大に戻ると、教育学部での日常が始まった。中学校の理科の教諭を目指すために勉学に励み、ラクロスにも精を出す。ASPACで関東の強豪チームに所属する選手たちと話をすると、明らかに練習量が違った。たしかに部員数も大きく違うから、できるメニューも違う。それでも環境を言い訳にしたくなかった。机に向かう時間を減らす考えも一切ない。

「地方ならではのいいこともある。人数が少ない分、下級生の意見も取り入れてもらえます。自分から発言していけば、メニューも変わる。練習量もただ増やすのではなく、質を上げていきたいです」

信州大ラクロス部が大好きだから

大会に行く前から、信州大の主将と副将とは、宮田が戻り次第話し合うことになっていた。韓国で学んだきたことをチームに落とし込むためだ。7月21日には信州大の所属する東海リーグが開幕した。少しでも長く先輩たちとコートで走り回るために、チーム全体のレベルアップに余念がない。そもそもクロスを初めて手にとったのは、信州大ラクロス部の人たちにひかれたからだ。「いい先輩がたくさんいます。敬語はあっても、上下関係はありません。すごく仲がよくて、いいチームなんです」。愛する仲間を語る言葉に、熱がこもる。

新入生の歓迎会では、お気に入りの「コートネーム」ももらった。ASPACでも「リキ」と呼ばれたコートネームの由来は、ある動物園に住むゴリラの名前だとか。

「高校時代からいじられキャラで、ゴリラに似てるからその名前が付きました(笑)。あの、これは笑ってくださいね。笑いのネタのひとつなので。私はこれでいいんですよ。かわいいよりかっこいい方がいい」。屈託のない笑顔でそう言われてしまえば、周囲も笑ってうなずくしかない。自然と周りの雰囲気を和らげ、場を明るくするキャラクターなのだろう。日本チームでムードメーカーとして重宝されたのもうなずける。

ASPACでは関東の強豪校と力の差を感じさせられた。それでも宮田はあきらめない

もちろん、本人はその立場だけにとどまるつもりはない。ラクロスの技術、戦術を向上させ、2年後のワールドカップ(W杯)出場に意欲を燃やしている。「一生懸命になっている人たちはすごくアツいし、いい人が多い。選考を経て集まってくる日本チームのあの人たちともう1度、一緒にラクロスがしたい」

人にほれ込んで競技を始めた宮田らしい動機である。取材の間ずっと、曇りのない目でまっすぐ前を見つめ、言葉に力を込めていた。宮田は身長146cm。その小さな背中が、とても頼もしく見えた。

in Additionあわせて読みたい