岐阜大大学院・赤松諒一 地元開催の日本インカレで最高の跳躍を
9月12日開幕の日本学生対校選手権(日本インカレ)は、岐阜メモリアルセンタ―長良川競技場が会場となる。おひざ元の岐阜大からただひとり出場するのが、男子走り高跳びの赤松諒一(りょういち、大学院修士課程2年、加納)だ。最後のインカレに照準を合わせて調整してきた。狙うは2m26の岐阜県記録を更新しての優勝。自己ベストが2m25の赤松は「自分の中では、うまくはまれば跳べるかなという感覚はあります」と、自信をのぞかせている。
4年前の日本インカレで自己記録の2m25
2m25は4年前、赤松が大学2年生のときに出場した日本インカレでの記録だ。優勝争いに残った3人がこの高さに挑み、赤松だけが2回目で跳んだ。自己ベストでつかんだ日本インカレ初優勝。その跳躍について「体が結構軽くて、調子がいいなと思いました。助走のスピードが最後まで落ちずにいけたというのが、デカかったです」と振り返る。
いま課題にしているのも、その最後のスピードだ。日本インカレの2週間前に開催された富士北麓ワールドトライアルでは2m20で優勝したが、自分の跳躍を動画で見返してみると、ラストのカーブでの減速が気になった。「2m24や28も出るんじゃないかなって思ってたんですけどね……。これから修正しますけど、調子はいいんです」。やわらかい笑顔が広がった。
最後の高校総体の翌週、優勝者を上回るジャンプ
身長183cm、体重60kgでスラッとした手足。赤松はハイジャンパーとして理想的な体形と言えるだろう。中学校まではバスケ部で、その長身ゆえにポジションはセンターだった。岐阜県立加納高校に進学すると、友だちに誘われて陸上部へ。どの種目をやろうかと悩んでいたところ、顧問の「走り高跳びをやりなさい」という言葉で心が決まった。高2の岐阜県新人対校選手権では2m02の大会新記録で優勝。さっそく頭角を現した。
高校時代にもっとも記憶に残っているのは3年生の夏、大分で開催されたインターハイだ。2m10で3位。赤松自身はもっと跳べると思っていた。実際、その翌週の記録会では2m16という岐阜県高校新記録を樹立。1週間前のインターハイの優勝記録は2m13だった。「これがあのときに跳べてたら……」。悔しさが胸に残った。
大学進学の際、関東の強豪校からも声がかかったが、赤松はふるさと岐阜で競技を続ける道を選んだ。岐阜大の陸上部は学生が主体となって運営し、日々の練習は顧問の原田憲一教授から指導を受けている。大学院の修士課程2年生になったいま、赤松は自分で練習メニューを考え、原田教授にアドバイスをもらいながら日々トレーニングに向き合っている。
究極の文武両道を歩んだ戸邉直人にあこがれて
大学院に進んだのは、より陸上に集中できる環境を求めた結果でもあるが、もうひとつは高校教諭になったときに備えて専修免許状を取得しておきたいという思いもあった。実業団か高校教諭か。いまも両方の可能性を残したまま修士論文に取り組んでいるが、どちらにしても陸上は今後も続ける。
修論のテーマは「脳の抑制状態」。具体的には瞬発系の競技において、どういう脳の状態が力を発揮しやすいかを研究している。脳の状態がよくなるとパフォーマンスも向上するという先行研究を踏まえ、具体的にどうしたらその状態をつくれるのかを、筑波大にも出向きながら、日々実証に挑戦している。
その筑波大には昨年度まで、現在の走り高跳び日本記録保持者である戸邉直人(JAL、27)がいた。戸邉は大学院で走り高跳びのコーチング学を研究し、今年1月末にあった博士論文の最終審査の翌週、ヨーロッパで2m35という日本新記録を樹立した。赤松が筑波大を訪れた際、戸邉と一緒になることもあったという。「戸邉さんは研究の面でもスポーツの面でも尊敬している人なので、戸邉さんを目指して僕もやっていけたらいいなと思ってます」と赤松。今年6月の日本選手権で戸邉はただひとり2m27を跳び、優勝を手にした。2m20で7位だった赤松は「僕が走り高跳びを始めたときからずっとトップの選手で、改めて戸邉さんの強さを見せつけられました」と振り返る。
赤松は跳躍前、よく通る声で「いきます! 」と叫び、気合を入れる。地元開催の自身最後の日本インカレには、岐阜大のみんなが応援に来てくれる予定だ。より大きな気合が入ることだろう。「周りからも期待の声はありますし、僕も自己記録をそろそろ更新したいな。本番でしっかり力を発揮できればいいなと思ってます」
岐阜で生まれ育った男が、ふるさとでの大舞台で輝けるか。