新体操の全日本インカレ 武庫川女子大が初V、川田弥佑が示した「はいあがる力」
第71回全日本学生新体操選手権 女子団体総合
8月26~27日@福岡・北九州市立総合体育館
1位 武庫川女子大 44.500点
(日本女子体育大と同点優勝、ボール5 21.100、フープ&クラブ 23.400)
新体操の全日本学生選手権(全日本インカレ)女子団体総合は「ボール5」「フープ&クラブ」の2種目の合計点で争われ、日本女子体育大と武庫川女子大が同点優勝となった。武庫川女子大の悲願だった全日本インカレ初優勝をたぐり寄せたのはほかでもない、主将の川田弥佑(みゆう、4年、金蘭会)だった。
ミスできない状況ではねのけた重圧
大会2日目にあったボール5は、前年女王の日女体大が23.150という高得点で1位。武庫川女子大には落下もあり、21.100点にとどまった。2位につけてはいたが、日女体大との得点差は小さくなかった。フープ&クラブでも日女体大がノーミスなら、逆転はかなり難しいと思われた。
ところが、フープ&クラブで先に演技をした日女体大がミスを連発。21.350点で終わった。武庫川女子大が日女体大に追いつくには23.400点が必要。可能性はあると思える点数だったが、とはいえひとつでもミスがあれば優勝には届かない。そんな緊迫した状況で迎えた本番を、武庫川女子大の選手たちは見事にやりきった。ほぼノーミスの演技で23.400点。日女体大と同点となり、この瞬間、日女体大の5連覇と武庫川女子大の初優勝が決まった。
悲願の初優勝に向け「練習通りのものを」
武庫川女子大が全日本インカレ初優勝ということ自体、少し意外かもしれない。なぜなら、昨年の全日本選手権では武庫川女子大は団体総合で優勝している。さらに今年4月のユニバーシアード代表決定戦でも1位になり、日本代表としてユニバーシアードにも出場。総合と種目別合わせて三つの銅メダルを獲得した。飛ぶ鳥を落とす勢いのチームだ。
昨年の全日本インカレは散々な結果だった。「フープ×5」は5位、「ボール&ロープ」は7位で、団体総合6位に沈んだ。全日本選手権の出場権もギリギリで獲得した。それが2カ月後の全日本選手権では優勝。いまの新体操は勝負が本当に読めない。ひとつのミスで大きく減点されてしまうため、その出来栄え次第で順位は大きく変わってくるのだ。
武庫川女子大にとっては、全日本インカレ優勝は残された宿題のようなものだった。全日本選手権で優勝しても、ユニバーシアードでメダルをとっても、やはり大学生である以上、「全日本インカレチャンピオン」の称号は特別なものだ。
「全日本インカレでも優勝したいと、その思いを強く持っていつも練習してきました。でも本番では優勝したいという気持ちにとらわれず、自分たちがやってきたことを出しきるという気持ちで。練習以上でも以下でもない、練習通りのものを出そうと演技できました」
大会後に聞いた川田の言葉は力強く、地に足のついたものだった。勝ちたい気持ちは誰よりもあったに違いない。ただその思いをコントロールする力を持っている選手だと感じた。それは川田のここまでの新体操人生によるものかもしれない。
高校時代、惨敗からはい上がってつかんだ4位
川田が大阪の金蘭会高校に在学していた当時、団体では全国トップレベルで、とくに川田が高1だったときのインターハイでは4位になっている。そのころはまだレギュラーではなかったが、高1の3月に開催された全国高校選抜大会ではメンバー入りし、2位入賞になった。しかし「いよいよ金蘭会の初優勝か? 」と思われた高2の夏のインターハイでは、大きなミスが出て22位に沈んだ。川田はこのとき個人で出ていて団体メンバーには入っていなかったが、チームメイトたちの思わぬ惨敗は、もちろん他人事ではなかった。
翌年には地元大阪開催のインターハイが迫っていた。そのときチームの中心となる学年の一員である川田は、重責を負うことになった。そして大阪インターハイは4位。前年の惨敗からすればV字回復したが、目指していた優勝には届かなかった。全国レベルの活躍はしながらも、あと一歩。川田にとって高校時代は、期待に応えられなかったという悔しい思いをすることも多かっただろう。
2回生で全日本選手権を逃し、あらゆる改善に着手
そして武庫川女子大に進学して1年目、川田は1回生で唯一団体メンバーに名前を連ね、全日本インカレで3位になった。このころの武庫川女子大は全日本インカレの3位や4位が定位置だったが、東京女子体育大の連覇が2015年に途絶えたことで女子団体競技は戦国時代に突入。「武庫女にもチャンスあり!」と勢いづいている時期だった。
ところが川田が2年生になった17年の全日本インカレで異変が起きた。1種目目の「フープ×5」は3位につけていた武庫川女子大は、2種目目の「ボール&ロープ」で大乱調。9位に沈み、団体総合は8位どまりで全日本選手権の出場権を逃してしまった。この年の武庫川女子大は団体メンバーに4回生が3人おり、有終の美を飾りたいという思いは例年以上にあったはずだ。それが全日本選手権に進めないという結果に終わってしまった。
同年12月、武庫川女子大の演技発表会では、本来ならば全日本選手権で出すはずだった団体演技が披露された。8月の全日本インカレが最後の公式試合になった4回生もこの時期まで練習を続け、見事な演技をやってのけた。それを支えたのが、当時2回生だった川田だった。「あのときは本当に苦しくて、ひとつ上の先輩(吉田莉英子)とふたりで、改善できることはすべて変えるという覚悟でやってました。学年に関係なくアドバイスできる関係作りとか、練習の仕方とか、すべてです」
もしかしたらそれまでの武庫川女子大は、3位や4位の座にはいられることで甘んじていた部分があったのかもしれない。まったく新しいチームとして再生せざるを得なくなった武庫川女子大にとって、川田がいたのは幸いだった。中学、高校を通して、金蘭会で常に優勝を目指す負荷のある練習をしてきた。決していい思いだけをしてきたわけではないからこその、粘り強さも持っている。14年のインターハイでの惨敗から立て直す際にチームの中枢にいた川田は、ひとつの試合がダメだったとしても、この先もずっとダメと決まったわけじゃないということを、身を持って知っていた。
最後の全日本選手権、目指すは連覇
川田は、後輩たちに常にこう言っていたという。「練習でやってきたことが本番に出る。だから練習には真面目に取り組んで、本番ではその成果を出すだけだよ」。全日本インカレを迎えるにあたっては「みんなで笑顔でフロアから戻ってこよう! 」と言った。笑顔で帰ってこられなかった経験もしている川田の言葉だからこそ、後輩たちにも伝わるものがあったのだろう。
勝負が決まる「フープ&クラブ」の日、直前の公式練習は、決していい出来ではなかったが、本番ではみんなが落ち着いて演技できた。「練習通り」の力を出しきれた。
武庫川女子大にわずかなミスでもあれば、全日本インカレ初優勝はその手からすり抜けるところだった。そうならなかったのは、川田のキャプテンシーによるところが大きい。彼女はたしかにこのチームを支えていた。全日本選手権は10月18日に始まる。
「目標は連覇です」
長い時間かけ、苦しい思いもたくさんして手にした自信が、彼女のその言葉に宿っていた。