大学野球

“守備職人”坂之下晴人が躍動の関大、鮮やかな逆転劇で近大の優勝を阻止

逆転打を放ち雄叫びをあげる関大の坂之下

関西学生野球連盟秋季リーグ戦 第7節

10月14日@ほっともっとフィールド神戸

1回戦 関大1-2近大
2回戦 関大9-3近大

奇跡を起こしたのは、関西の守備職人の一打だった。近大との2回戦、0-2で迎えた8回裏。負ければ近大の優勝が決まる中で、この日の関大は決定打が出ず無失点に抑えられていた。しかし、この回に最大のチャンスを迎えた。野口智哉(2年、鳴門渦潮)の二塁打と連続四球で無死満塁。代打の西川将也(3年、聖光学院)は四球を選び、押し出しでまずは1点を返す。

関大のチャンスは続く。打席に向かったのは8番の坂之下晴人(2年、大阪桐蔭)。ベンチもスタンドも最高の雰囲気の中で、この回途中から登板した近大の鷲﨑淳(4年、創成館)を見つめる。「初球から行くと決めていた」と坂之下。振り抜いた1球目、意識していた通りの方向へ打球が伸びる。右翼線へのタイムリーヒットで2人のランナーが生還。チームをどん底から救う逆転打に、坂之下は拳を高く突き上げて吠えた。このタイムリーを皮切りに、関大打線が見違えるようにつながった。3連続四球からの6連打。打者一巡の猛攻で一気に9点をあげ、優勝を目前にした近大を黙らせた。

貴重な働きを見せた坂之下をチームメイトたちが祝福

PL学園野球部の廃部で、野球を辞めようと考えた

高校時代の坂之下は「守備職人」として名を上げた。100安打の金字塔を打ち立てた多田桐吾(現・日本生命)が引退した後は守備の要に。セカンドを不動のものとした。ホームランよりも捕球でチームを助けることに充実感を覚える。それほど守備へのこだわりは強い。

そんな坂之下は、2人の兄の影響で小学校までソフトボールをやっていた。野球を始めたのは中学から。厳しい指導に嫌気がさしたが、それでも心のどこかにあった“野球愛”が、坂之下を練習へと向かわせた。

バッティングだけでなく、守備でもチームを支えた

高校でも野球を続けるつもりでいた。希望進学先はPL学園。しかし、同校野球部は部内の不祥事を発端として廃部に追い込まれた。「PLがなかったら、もうええわ」。野球を辞めようと考えていた坂之下に声を掛けたのが、当時夏の甲子園に3年連続8度目の出場を果たした大阪桐蔭だった。

大阪桐蔭に入り、勝負強さを発揮

大阪桐蔭に入った坂之下は、2年生まで出場機会に恵まれなかった。それでも、偶然出場した試合でホームランを打つと、そこから一気に花を咲かせる。勝負強さはこの頃から健在だった。セカンドに初めて挑戦したのは高校2年の秋。それまで、サードとショートしか守ったことがなかったというが、何とかこなした。

試合で大阪桐蔭の名をコールされるのは好きではない。全国にある強豪校の1つになった大阪桐蔭高校の看板を背負えるほどいい選手ではないと自覚しているからだ。いつか同校出身選手だと胸を張って言える日が来ることを信じて、いまはひたすら上を目指し続けている。

この試合を落としていれば、2年ぶりとなる神宮大会出場の夢は潰えていた。同時に4回生の引退も決まる。そんな重苦しいムードは坂之下の二塁ベース上からの雄たけびとともに飛び去った。「4回生が喜んでいる姿を見たら泣きそうになりました。セカンドベースから見たスタンドもすごかった。本当に泣きそうでした」と坂之下。スタンドからは坂之下への涙混じりの声援が溢れんばかりに送られた。

歓喜に沸いた関大スタンド

大阪桐蔭の坂之下から、関大の坂之下へ。守備職人がバッティングでもたらした奇跡を無駄にしてはいけない。チームを愛し、チームに愛される男は、持ち前の勝負強さを遺憾なく発揮した。

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