立命館大・元氏玲仁 イップス克服で最後に初登板、野球の神様は彼を見ていた
野球の関西学生秋季リーグ戦最終節の10月18日、立命館大が同志社大に4-0で先勝した。この試合で、ある4回生の元ピッチャーがリーグ戦初登板を果たした。
サプライズ登板で自己最速の147km
立命館の元氏玲仁(もとうじ・れいじ、龍谷大平安)だ。熱心な高校野球ファンなら、この珍しい名字に聞き覚えがあるはずだ。高1から高2になる2014年春の選抜大会で、高橋奎二(現・プロ野球ヤクルト)との左の二枚看板で優勝。その直後にイップスになり、大学では外野手に転向していたが、この夏になって克服。最後の最後にサプライズ登板した。
8回裏も2アウトになって、背番号25が軽やかな足どりでマウンドへ向かった。元氏が4回生の秋にしてリーグ戦初登板。雨が降りしきる中、左腕を振った。直球、直球で追い込む。2球目はなんと自己最速の147kmだった。3球目も直球勝負。高めの140kmで空振りさせた。ベンチに戻ると、仲間からの祝福が待っていた。「小学生から投げてるわかさ(スタジアム)が懐かしくて。ベンチに入れてない選手がいる中で投げさせてもらって、ありがたいです。楽しかったです」と笑顔がはじけた。後藤昇監督は「思い出づくりじゃないですけど、ベンチで頑張ってきた4回生に最後、何とか報いたかった。さすが、選抜優勝のピッチャーです。あそこまで投げられるようになったのは、彼の努力ですね」と、元氏をたたえた。
前日の興奮が、まだ冷めていなかった。この日先発した坂本裕哉(4年、福岡大大濠)がプロ野球ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから2位指名を受けた。元氏は涙を流しながら坂本に花束を渡した。その坂本がこの日マークした最速の145kmを上回る147kmを投げたことについて元氏は「ドラフトのあとで気合いが入りました」と言って照れた。
高2の春、ファーストへの悪送球でイップスに
14年春の選抜大会では、決勝で履正社(大阪)と戦った。先発の高橋奎二が3回途中で降板。後を受けて5回3分の1を1失点と好投したのが元氏だ。直後の春の近畿大会。報徳学園(兵庫)との準決勝で先発のマウンドに上がった。この試合でファーストへ悪送球。投球フォームが崩れた。元氏は「あのときにイップスになりました」と言いきる。その夏の甲子園にも出場したが、春日部共栄(埼玉)の前に初戦敗退。京都府大会の決勝で完璧なピッチングをした元氏だったが、甲子園ではストライクが入らなかった。「あのときの甲子園の記憶はないです。淡々と終わっていきました」と振り返る。
立命にはピッチャーとして入った。だが、1回生の秋のシーズンを前に野手転向を提案される。「納得して外野にいきました。そこからはぜんぜん投げてません」。イップスになってからは、ブルペンに入ることさえ嫌だったという。4回生になり、ほどんど出場機会はないのに副将になった。後藤監督は言った。「ベンチからは外せない選手でした」
主将でキャッチャーという重責を担う大本拓海(4年、掛川西)をフォローし、元氏はまとめ役に徹していた。かつて光の当たるところにいた男は、大学では裏方として仲間を支え続けた。「いつか投げたい」。ひそかに持ち続けた願いがかなったのは今年8月。オープン戦と京都トーナメントの2試合で投げた。外野からのバックホームで力を入れて投げる動作を繰り返す中でイップスを克服。10月8日の近大戦後、「元氏を投げさせたれよ」と、後藤監督がチームメイトたちに言ってくれた。そこからはまったくバッティング練習をせず、投げる準備をしてきた。
「また投げるんで、ください」。そう言って1学年上の左ピッチャー、小橋(こはし)遼太郎(現・日本新薬)からもらったグラブを手に、4回生にして最初で最後のリーグ戦登板を果たした。
「遠回りしたとは思ってません」
「人生に野球の心を」。高校時代の恩師である原田英彦監督の言葉だ。「4年間で野球から学ぶことが多かった。社会人になっても、テーマになってくると思います」と語った。この4年間の野球人生について問われると、元氏は晴れやかな表情でこう言った。
「遠回りしたけど、遠回りとは思ってません。やってきたことが、結果として出てます。心が折れることはまったくなかった。野球が好きやったから、モチベーションが下がることもなかったです」
卒業後は軟式野球の社会人チームでプレーする。「あわよくばプロも狙ってます」と言って、ほほ笑んだ。あきらめなかった男に最後の最後、晴れ舞台が巡ってきた。
野球の神様は、ちゃんと見ていた。