アメフト

関学・大村和輝新監督「今年は勝つべくして勝った、と言えるシーズンを」

鳥内前監督に負けず、時折笑いも交えて質問に応じた大村新監督(すべて撮影・松尾誠悟)

昨年12月の甲子園ボウルで30度目の学生アメフト日本一に輝いた関西学院大学ファイターズの新監督に、2月1日付けでアシスタントヘッドコーチの大村和輝(48)氏が就任する。1月22日、西宮市内で記者会見を開いて就任が発表された。大村氏は中学部からの関学育ち。大学では1、2回生のときにOL(オフェンスライン)、3回生はDL(ディフェンスライン)、4回生はTE(タイトエンド)として活躍。1991、93年の大学日本一に貢献した。

大学卒業後は社会人Xリーグのチームでコーチを9年半。その間にハワイ大学での1年半のコーチ留学も経験した。2009年に関学のコーチとなり、翌10年からアシスタントヘッドコーチ。オフェンスのプレーの決定権を持つオフェンスコーディネーターとして関学の強さを支えてきた。就任記者会見の質疑応答のやりとりを、ほぼそのまま紹介します。

鳥内前監督はひとこと「あと頼んだで」

みなさん、こんにちは。2020年度よりファイターズの監督としてチームを率いることになりました大村です。長い間鳥内さんがやってこられましたけども、しっかりバトンをつないでいただきましたんで、チームの伝統や文化をしっかり背負って、また新しいことにどんどんチャレンジして、チームを進化させられるようにやっていきたいと思います。よろしくお願いします。 

――監督になっての率直な心境と、フットボールを始めたときに関学の監督になるというイメージはあったのかというのをお聞かせ下さい。

心境はまあ、大変やろな、と。フットボール始めたときに監督するとは、みじんも思ってません。ほんとは野球で甲子園目指すはずやったんですけど、うまくコーチに引っ張られて、フットボールやることになって、いまここに至るということで。そんなことは全然考えてませんでした。 

「勝つべくして勝ったというシーズンをやってみたい」と繰り返した

――鳥内さんからはどんなことを言われましたか? また、鳥内さんにない部分はどんなところで、どんな新しいことをやっていこうと考えていらっしゃいますか?

鳥内さんからは、正直ほとんど何も話はされてなくて、「あと頼んだで」。ひとことですね。新しいことは、いま「これを」っていう具体的はのはないんですけど、関学に帰ってきてからいろんなことに挑戦させてもらってきて、鳥内さんが「OK」ということで、いっさいダメということなくやらせてもらったんで、監督になったからといって守るんじゃなくて、必要だと思うことに関してはどんどんチャレンジしていきたいと思います。それと私のオリジナリティーですか。意外と鳥内さんよりは論理的に物事考えられる(一同爆笑)というところですかね。形になるように、みんなを巻き込んでやっていくのは比較的得意やと思うんで。まあそういう形で何かやっていきたいと思います。

――伝統と文化という話がありましたけど、それらを背負ったうえでどんなチームづくりをされますか?

やっぱりフットボールチームですので、結果はグラウンドで出ると思ってますので、ファンダメンタルにすごくこだわって、プレーの精度にもどこにも負けないぐらいにこだわるということをぶれずにやっていきたいです。僕は人間教育どうこうと言えるほど偉くも何ともないんですけど、そこに向き合えるようになるとね、自然とルールも守りますし、しんどいときも逃げずに向き合えますし。そういうところにこだわっていきたいです。

――現在はアシスタントヘッドコーチ兼オフェンスコーディネーターということですが、今後もオフェンスコーディネーターは続けていくんですか?

まだちょっと相談中でして、人が増えるという予定もないんで、単純に仕事が2倍になるだけかなと。ちょっとまだ決まってないんです。

昨年9月の神戸大戦前、社会人チームで一緒だった神戸大の矢野川ヘッドコーチ(中央右)と談笑

――毎年春先にアメリカの小規模な大学に行って情報を入れてこられると聞いたんですが、そういう大学に行き始めたのはなぜですか?

関学に戻ってくる前は大きな大学にいくつか行ったんです。でもそういうところは選手がよすぎるんで、全米を代表するようなアスリートを見てても得られるものは少ないんで、関学に帰ってくる少し前ぐらいから、友人のつてを頼って、ほぼ新規で毎年。友だちの友だちの友だちみたいな感じで受け入れてもらって。行ってから一生懸命人間関係をつくってます。3月から4月の間で毎年行ってます。

しんどいときに「俺がやんねん」

――監督を引き受けるポイントは何だったんですか?

頼まれて嫌とは言えませんでした(笑)。すごいプレッシャーはあるでしょうけど、自分の一つのチャレンジとして次の世代につないでいくことは、自分的にも向き合いたいなと思ったので。

――これだけは守りたいという関学ファイターズの伝統を挙げてください

鳥内さんと表現はどうか分からないですけど、「俺がやんねん」と。最後のしんどいときに向かい合ってやっていけるところ。それと結果に対して、学生には責任は取らせませんけど、責任を取るという覚悟で、自分たちでどんどんやっていくのが大事かなと思うのと。あとは勝率を100%に近づけるために毎日努力してるんで、、ゴールがないんです。いくらやってもやりすぎがないという状況なんで、そこに逃げずに向き合える集団になれたらと思います。

――学生たちにはいつ報告されたんですか?

ちゃんと報告したのは1時間前です。

――どんな話をされたんですか?

何も変わることはないよ、と。いいチームになれるように頑張ろうという話を。

答えはすぐに言わない

――コーチのころから、指導するうえで大事にされてきたことを教えて下さい。

答えをすぐ言わないことは意識してます。毎日のミーティングでもそうですけど、正解をすぐ言わないこと。できるだけ気づかせるように気を付けてるってことと、あとはダメなものはダメとしっかり叱るってことですね。あとは細かいことをないがしろにせず、しっかりそこまでやるように求めていくのはやってます。

――趣味は何なんですか?

こう見えても読書が好きで、結構本は読んでます。あとはスーパー銭湯に行ってサウナに入るのは非常に好きで、やってます。

――春合宿のときに選手に本を読ませていらっしゃると聞きました。

もともとは部内でも勉強が苦手な選手に本を読ませてたんです。結局勉強が苦手な子は問題の意図が理解できないんです。しっかり読めなくて、そこでつまずくんで、本を読ませてみようと思ったんです。読むと意外に成績も上がりますし、自分の意見が言えるようになるんで、そこでディスカッションさせたらいいなと思って、そのときそのときでいいなと思った本を読ませてます。

昨年の西日本代表決定戦前日、選手たちに語りかける大村氏

――大村新監督の思う、ファイターズの次のステップ、ビジョンってどんなものですか?

理想としてるのは勝つべくして勝つチームになることで、そこを目指してやってるんですけど、そこに達したことはまだ1度もないんです。だから1度胸を張ってね、今年は勝つべくして勝ったというチームができたらいいなあと思ってます。まだ昔から言うてることもできてないんでね。そこを目指してやりたいと思います。

――カレッジスポーツとして、アメリカのどのあたりのチームを目指すというのはありますか?

アメリカとの勝負は正直あまり考えてないです。いざ試合をしたらどうかというと、3部の中堅ぐらいやったら、メンバーのそろってるときやったら勝負できると思います。メンバーがそろってたらね、やってみたい気持ちはありますけど。

――戦術以外でアメリカのチームから参考にしたいことは何ですか?

チームづくりという面でいくと、そんなにないです。ただ仕組みとして、サポーター、ブースタークラブが、地域住民や学生がすごくチームをサポートしてくれる姿はうらやましいと思いますし、スポーツがビジネスとして確立してるところもうらやましいなと思いますけどね。 

プロ野球選手になれると思ってた

——地元兵庫で幼少期はどのように過ごされましたか?

生まれは明石です。子どもの頃、野球をやってまして。ほんまは滝川第二を受験しようと思ってたくらいです。自信過剰やったんで、絶対にプロ野球選手になれるわって思ってました。母親から関学中学部に合格したら大学まで受験せんでええんやでと囁かれまして、じゃあ受けよと。関学入ってからも野球をやるつもりだったんですけど、中学入るときにメチャビーというラグビーとアメリカンの合いの子みたいなんをやるんですよ。新入生のオリエンテーションがある千刈キャンプ場で。その時にたまたま、うまく活躍してしまって。そのオリエンテーションに来ているリーダーがアメリカンのコーチでした。そのまま、うまくおだてられて、アメリカンに引っ張られたという形です。

——生まれが明石で生きていることはありますか?

ベタベタの大阪弁になってないことです(笑)。

——大村さんの現役選手時代を知っている身からすると、指導者になられたのが意外で、ずっと選手をバリバリ続けられると思っていました。指導者への道に進んだきっかけって何ですか?

きっかけは5年生コーチですね。5年生コーチのときに鳥内さんを始め、小野さんもそうですし、堀口さんに非常にお世話になった。当時は5年生コーチっていうのが非常に少なくて、試合の戦術とかにも絡めてたんです。その年、立命さんが初めて優勝した時なんですけど、最終戦で京都大学さんに完封負けしまして。私が考えた戦術のいくつかが通用しなくて、悔しかった。それで、就職をやめてコーチしようかなと思ったのがきっかけでした。

関学のフットボールはすごい

——そこから社会人チームを渡り歩いてどんな発見がありましたか?

やっぱり、関学のフットボールはすごいなという確認の場みたいな感じでした。東京海上、当時の東京三菱銀行ですが、やっぱり大学の(アメフト部の)幹部クラスが集まってくるんですけど、フットボールの話をすると大ざっぱで細かいことに関して非常に中途半端で考えられてない子が多かったです。やっぱ関学ってすごいなと再確認できましたね。

——いままで大村選手以上の選手に出会ったことがありますか?

TEとしてですか?(笑)。でも、そうですね。今でもたまに選手たちが失敗してるん見ると、自分がいってもできるなって思いますね(笑)。過去見た中で一番すごいなって思ったのは、私の同期で谷嶋(淳、DL、清風~関学大)っていうのがいて。彼以上のラインを見たことがないです。

——鳥内さんが大事にしてこられた事の一つが選手との個人面談だと思います。あれは続けるんですか?

面談もう終わりました。今年は29人しか4年生がいないんですよ。非常に人数が少ないので、じっくりやろうと思って一人40分くらいかけて3日ぐらいでパッとやりました。

——選手からは怖がられている存在だと思います。そこは、そういう風に接しているところもありますか?

まあ、ほかのコーチが比較的ユニークな方が多いんで。やっぱり、抑止力じゃないですけど厳しく接する必要があるなあと思ってます。

——関学の監督ってどんな存在やと思いますか?

いい人間を出していくということもそうですが、それは勝った上での話。そこが必ず結びついているチームだと、歴史を見ても思います。どんな状況でもそこに逃げずに向き合っていくのがものすごい大変だろうなと思いますけど、その分やりがいはあるなと思います。

細かいことをうるさく言う人がいなくなってた

——2009年に関学にコーチとして戻って来られたときに、自分たちのころと学生の違いを感じましたか?

かなり違ってましたね。私の現役(最後)のころは1993年から94年です。そこから6年、7年くらいは練習に帰ったり、夏合宿で練習台になったりしましたけど、だいぶ変わってましたね。

現役時代はこのヘルメットをかぶって大暴れしていた大村新監督

——表現すると、どんな感じに違うんですか?

なんて言うんでしょう。細かいことを「だいたいこんな感じ」と物事の基準を決めるとか、頭の中で「だいたいこの練習はこんな感じ」と自分たちの中で基準を作ってしまってました。細かいことに対してうるさく言う人間がまったくいなくなってしまってたんです。

——開催の意義が問われているライスボウルに関してはどのようにお考えですか?

まあ正直、ライスボウルに関しては実力差があまりにもありすぎるという現状があります。学生の安全のことを考えても、ちょっとしんどいかなという風に思ってます。西日本代表決定戦も去年からプレーオフみたいな仕組みになって、正直いうと立命館さんに2回勝つということだけでも気が遠くなるようなこと。正直、ライスボウルのことまで考えられてないのが現状です。

——中学からアメフトを始めて高1で1度はやめられたと思います。野球がやりたかったとか、何か理由があったんですか?

野球はまったく関係ないです(笑)。まあちょっと若いころはいちびってまして。高校1年生の秋のシーズン中にちょっと監督とケンカしたというか、もめまして……。いま考えればバカみたいな話です。「それやったら、やめます」って言ってやめました。

高1の秋にアメフト部を退部、大学で復帰

——大学に入ると、リセットされた部分もあったんですか?

大学でまたアメフト始めたときも、ゴールデンウイークが終わったぐらいに入部したんですよ。大学もなめた感じで申し訳ないなと思うんですけど。当時、(ファイターズは)泥臭い練習をずっとしてました。それを歩きながら見てると、ああいうところでもう一回頑張りたいなという気持ちが湧いてきました。仲間も誘ってくれましたし、「まあ、一からやるか」という感じでした。

——社会人と学生の差が開いた要因の一つに外国人選手が挙げられます。2005年に大村さんがオービックシーガルズのときにDLケビン・ジャクソンを呼んできたところから始まっています。これは日本のフットボールレベルを一気に上げた革命的なことだと思います。そのときのように学生フットボールを一段階上げる革命的な取り組みを期待してしまうのですが、いかがでしょうか?

ケビン・ジャクソンは(ハワイ大へコーチ留学していた際の)ルームメイトだったんで、彼が(NFLの)グリーンベイ・パッカーズのキャンプに呼ばれてカットされたんですけど、そのときに泣きの電話がありました。それがきっかけだったんです。始めから呼ぶつもりはなかったんです(笑)。画期的な取り組みですね、そうですね、いまは何もアイデアがありませんね。

——日大さんとの関係は監督が代わってからはどうされますか?

【小野宏ディレクター】1週間前に日大との定期戦の再開が決まったという報道をされたんですけど、我々の部としましてもホームページでお伝えしてますけど、議論している段階でして、決まったということは事実としてありません。あれに急かされるようにして、コーチを集めて話し合いを始めている状況なので、いまの段階では慎重に検討しているという状況になります。(試合の)場所を確保しましたというのは、再開を前提としないで、もし再開した場合に決めたけど場所がありませんというのは不細工なので、場所だけ仮押さえしたという事実はありますけど、それ以上でも以下でもないということを改めてご理解いただければと思います。

【大村新監督】当然、昔から関学と日大というは好敵手であり、お互い切磋琢磨してレベルを上げてきてるわけですから、何らかの形でお互いに合意ができれば試合をするなり、また切磋琢磨する環境ができればいいなと思います。

——いまの関学に足りないものって何ですか?

最近ね、チームがバンバン勝てて調子がいいこともあって、なかなか自分たちの足元をしっかり客観的に見れないことが起こってます。自分たちが成しえたいことと、現状の距離が合わせられないこと。ファンダメンタルにこだわるということに対して、帰ってきてからの前半は意識してたけど、ここ最近は大事なところでそこまで詰めきれてない。そこに立ち返らないといけないと思います。

母校への帰りどき

——大村新監督の指導者としての原動力、原点は?

やっぱり(大学)5年目にコーチをさせていただいて、選手から見た視点とは違う視点からチームを見て接したこと。京大さんに完封負けしたときの悔しさ。あとは2008年の立命戦を見てて、ちょっとらしくない試合だった。思ってる関学の試合じゃないなと思いました。たまたまその試合終わったあとに小野さんと話す機会があって。すごく縁を感じたので、そこが帰りどきかなと思いました。

もっとも関学らしい場所である中央芝生で記念撮影

——“らしくない”ところとはどういったところでしたか?

ミスの仕方があまりにしょうもないというか。こんなミスするはずじゃないのにな、というミス。ちょっとこれはって感じでした。

——将来的に目指したいところは?

勝つべくして勝つような試合をして勝ちたい。それにはフットボールだけじゃなくて学生の成長、指導者の成長も必要ですし、いろんなことが合わさらないとできない。1度、本当に今年のチームは勝つべくして勝ったなというような試合をしてみたいです。まだ1度もないので。

一戦必勝でやらな、まずい

——新4年生との面談も終わられたということですが、新監督としてまず着手しないといけないことはありますか? また、横並びの関西のチームへの思いはありますか?

学生の現状認識の仕方と目標としているところがまったく合ってないので、そこをきちんと合わせるのがすごく大事です。学生としゃべって思ったのは、あまり関学というチームがどういうチームで、自分たちがどういうところでフットボールをやってるという感覚がない。そこは私たちが伝えきれていなかった部分も多かったので、しっかり伝えてやっていきたい。去年ぐらいから、やりながら思ってましたけど全チームね、そんなに差がないんですよ。本当に一戦必勝でやらな、まずいなという感じです。

——鳥内監督という名物監督の後任で重圧は感じていますか?

私が大学3年生のときから鳥内さんが監督されてたんで、あの見た目とあのしゃべり、あの間(ま)で28年間されてますから。どうでしょう? そんなに僕自身はやりにくいなと実は思っていません。言うてもしょうがないんで、鳥内さんのいいところを引き継いでやっていきたいなと思ってます。

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