やりたいことをやらない人生に意味はあるか ひがし北海道クレインズ松野佑太2完
大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。大学時代を経て活躍した先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ13人目はアイスホッケー「ひがし北海道クレインズ」のウイングプレーヤー松野佑太さん(24)です。2回の連載の後編は、1年半の浪人生活を経てつかんだプロとしての生活についてです。
先が見えない日々、何度もこぼれた弱音
松野が日体大を卒業したのが、2018年の春だった。その時点で、彼を迎えたいというアジアリーグのチームはなかった。5月には韓国のチームのトライアウトを受けたが、不合格。地元の北海道釧路市で就職しようと考えた松野を受け入れてくれる会社は、意外とすぐに見つかったが、父の清佳さんの「俺がおまえの立場だったら、もうちょっとやるけどな」との言葉もあり、再びアイスホッケーの道を歩み始めた。そんな彼を待っていたのは「もう2度と戻りたくない」というほどの孤独な日々だった。
週4日、釧路市内のジムに行ってウェイトトレーニング。夕方から夜にかけては、母校の武修館高校やかつてのライバルである釧路工業高校の氷上練習に参加させてもらった。「とくに工業の練習に参加できたのは大きかったです。工業の監督の教育実習の担当が僕の父さんで、その縁で氷に乗せてもらえたんですよ。ウェイトに行くにしても「今日は休んでもいいか」と思ってしまう日は何度もありました。でも、やっぱり行こうと思い直して、体育館に向かった。いまあの生活をもう1度やれと言われても、無理でしょうね」。松野は苦笑いを浮かべた。
フリーター生活の最初は、陸上トレーニングと氷上練習に並行して、牛丼屋と居酒屋でアルバイトをしていた。しかし、より競技色の濃い日々を送るために、アルバイトを3カ月でやめ、ホッケーショップで働くことにした。場所は、松野があこがれ続けたクレインズのホームリンクから歩いて10秒。仕事と練習の合間にクレインズの試合を見ながら「ここでやりてえなあ」との思いを募らせた。
開幕2週間前、ギリギリで入団!
そのクレインズに2018年12月、大きな変化が起こる。母体となっていた製紙会社が運営から手を引くことになったのだ。「ああ、なくなるのか……と。ただ、仮にクレインズがなくなっても、ほかのチームの練習に参加して、そこで評価してもらおうと思いました。一方で、もしクレインズがクラブチームになるんだったら、主力が抜けることになるだろうから、自分にとってはチャンスかもしれないなと。人数合わせでも、穴埋めでもいいから、とにかくプロになりたかったんです」
クレインズは19年春、プロチームの「ひがし北海道クレインズ」としてリスタート。かなりの数の選手が引退し、移籍したために補強が必要になった。夏の間、松野は練習生としてチームに帯同し、プレシーズンゲームでのプレーぶりが認められて入団が決定。開幕の2週間前というギリギリのタイミングだった。
クレインズは今シーズン、全36試合のうち34試合を消化し(2月1日現在、1試合はリンクコンディション不良で中止)、14勝20敗で4位。上位4チームが進めるプレーオフに向けて、一つも星を落とせない状況が続いている。松野はここまで全試合に出場して、4ゴール2アシスト。体重90kgの体格を生かした力感のあるドライブと、体を張った守りで、しっかり戦力になっている。
松野は「待ってたかいがありました」と言う。「卒業後にトライアウトを受けてもダメで、普通だったらそこであきらめるでしょうね。でも僕はあきらめきれなかった。父さんの言葉もあったけど、自分の中にあきらめるという選択肢がなかったんです。一人で練習する毎日はつらかったけど、必ずできると思ってたんですよ、自分なりに」
プロになっても続けるショップ勤務
現実にプロになった松野には意味のない問いかけかもしれないが、浪人しても結局プロになれなかったとしたら、何を思っただろう。「人生100年って言われる時代の、たかが1、2年です。周りの人からも、おまえくらいの年齢で1、2年(時間を)食ったって、人生変わんねえよって言われてました。もしプロになれなかったら、そのときはそのときで、普通に働けばいい。後悔はなかったと思います」
クレインズ入団後も、これまでと同じようにホッケーショップでの仕事を続けている。試合のない平日は、午前中はチームの氷上練習、午後はショップ勤務というスケジュールだ。「もちろん、ホッケーに対してはプロフェッショナルとして全力でやります。でも、氷から上がれば僕も一人の社会人です。働きながらトップリーグでやる。そういう環境もアリだと思うし、ほかの仕事をしているからプロじゃないということにはならないと思います。責任を持って仕事をやるという意味で言えば、真剣にやっていれば、それはプロなんじゃないかって」。仕事との両立は、これからも変えるつもりはないという。
夢を追い続けるのか、それとも夢に一区切りをつけて、新しい分野への一歩を踏み出すのか。アイスホッケーに限らず、多くの学生アスリートが同じ悩みと向き合っているのだろう。正解はない。それぞれが自分なりの正解を見つけ出すしかない。
1年半前、トライアウトに落ちたときの自分に、いまの自分が声をかけるとしたらなんと言うのか。インタビューの最後の問いに、松野はこう答えた。「耐えて続けろ、と言います。本気でやりたいことをやるんだったら、我慢するしかない。やりたいことをやらない人生に意味はあるのか。自分に向かってそう言うでしょうね」
プロを夢見た浪人中、一人でトレーニングに向かう朝。「今日はどうする? 休んでもいいんじゃない?」。心のどこかにささやきが聞こえる中、松野は車のエンジンをかけた。その覚悟を決めたときに、本当の意味で彼の人生は動き始め、ずっと大切にしてきた夢と、一本の道でつながったのだ。
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