大学サッカー

特集:駆け抜けた4years. 2020

法政大MF橋本陸 最後につかんだプロの夢、福島ユナイテッドFCで始まる挑戦

橋本は今年に入ってから、J3の福島ユナイテッドFC入りが発表された(撮影・杉山孝)

法政大学サッカー部からはこの春、7人の4年生がプロの世界へと羽ばたく。その中で最後に発表されたのが1月4日、橋本陸(4年、西武台)の福島ユナイテッドFC入りだった。大学でも「逆転」でチャンスをつかみ取ってきた男が、J3からの挑戦に腕を撫(ぶ)す。

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天皇杯でプロ相手に決めたゴール

人生を変える一戦だったと言っても、過言ではないかもしれない。昨年7月10日の天皇杯2回戦。1回戦で千葉県代表の社会人チーム、ブリオベッカ浦安を下した法政は、J2の東京ヴェルディと対戦した。

橋本があの夏の日を振り返る。「リーグ戦も気合いは入ってるんですけど、自分の中で何か特別なものがあって。あれだけの大人数の中でプレーできる機会も少ないし、相手もJ2の有名チームですから」。中盤の右サイドで先発すると、序盤から何度も斜め左へのランを繰り返した。相手の最終ラインの裏へ鋭く駆け込む姿から、ゴールへの強い意欲が伝わってきた。

その瞬間は、法政が1点リードで迎えた後半34分にやってきた。逆サイドのハーフウェーライン手前から味方がカウンターに出ると、相手DFの動きを見極めつつ、絶好のタイミングでギアをトップに入れた。一気にペナルティーエリア内に到達すると、グラウンダーのクロスに右足で合わせ、ゴールネットを揺らした。

「試合が終わってから聞いたんですけど、あの時間帯で僕を交代させるつもりだったらしいんです。あの点を決めたことでフル出場できて、とてもいい経験ができました。相手の裏を取ったり、スプリントをかけたりというのが、自分が大学時代を通じて目指してきたことであり、強みだったので、それを一番生かせた得点シーンだったと思います」

橋本(11番)は与えられたチャンスを最高の形で生かした(撮影・北川直樹)

法政はその後、J1のガンバ大阪も下し、ラウンド16へ進出。ここでJ2のヴァンフォーレ甲府に延長戦の末に負け、Jリーグ発足後の大学勢最高成績となる8強には届かなかったが、見事な戦いぶりだったと言っていい。だが、東京ヴェルディ戦を最後に、橋本は天皇杯のメンバーに入らなかった。

天皇杯は、大学生にとっては絶好の“就活”の舞台だ。普段の大学生同士の試合より断然多く集まる視線の中には、Jクラブのスカウトのそれも含まれる。プロ相手の試合となれば、残した好結果にはプレミアがつく。実際、東京ヴェルディ戦で先制点を挙げた松澤彰(4年、浦和レッズユース)は、「これが就活です」との宣言通りにJ3のカターレ富山入りをグッと引き寄せた。リーグ戦で出場機会の少なかった橋本にとって、あのゴールの価値はさらに大きかったに違いない。

初めての挫折、考えて考えて“武器”を見つけた

大学に入ったころには、プロなど頭になかった。むしろ、多くの同期がプロ入りするようなチームの中で「本当にレベルの差を感じて、サッカーをやめようかなと思ったこともあった」という。サッカーで初めて挫折を味わった。

それでも「ここまで続けてきた経験をムダにしたくない」との思いで、サッカーに向き合い続けた。全体練習が終わっても、自主トレーニングに励んだ。ただし、ガムシャラにボールを蹴るだけではない。「チームに自分の何を必要とされているかは、頭を使って考えて、試合を見れば気付けると思います。それを見つけて、実行することを心がけてました」。豊富な運動量と泥臭いプレー。自分が法政というチームで生き残るための“武器”を見つけた。

チーム内にも“逆襲”の流れを生み出した。まだ橋本がBチームにいたころのことだ。Bチームのコーチは、全体での守備をとても大事に指導していた。橋本たちBチームが前線からのプレスを徹底していると、いつしか紅白戦でAチームに勝てるようになっていた。「それからAチームも、そういう守備を大事にするスタンスになりました」。その果敢なプレスこそがプロを苦しめ、天皇杯での16強進出につながった。

大学ではガムシャラではなく頭を使ったプレーで、自分が生き残るための武器を磨いてきた(撮影・北川直樹)

Aチームに入ってプロへの意識が芽生えてからも、新たな壁に当たった。橋本は左サイドでもプレーできるが、右サイドだと、切れ込んで利き足の左でシュートも放てるため、右が主戦場になっていた。だが右サイドハーフには、昨年のユニバーシアード代表であり、早々にJ1のFC東京から内定の出ていた紺野和也(4年、武南)が“君臨”していた。「和也はドリブルがうまくて、そこではたぶん勝てないなと思った」という橋本だが、あきらめることはなかった。むしろ、すでにプロ入りが決まっている紺野は、自分がプロで通用するかどうかを見極める「分かりやすい目標」だったという。

4年生になり、背番号11をもらった。だが、出場が約束されたわけではない。天皇杯1回戦では先発したが、温存されていた紺野との交代で後半23分にピッチを去っている。2回戦でも先発できたのは、紺野がユニバーシアードで不在だったから。あくまで代役だったが、千載一遇のチャンスを橋本は逃さなかった。

「5年生」も頭をよぎった12月下旬に吉報

4年生になる前の部の面談で、就活をしながらプロを目指すという方向性を確認したが、公式戦が本格始動する春には、両立は無理だと判断して就活をあきらめた。いくつものJクラブの練習に参加したが、内定は出なかった。半年だけ留年して「5年生」になって就活するしかないかと考え始めた冬のある日、ようやく声がかかった。最後のインカレがベスト8で終わり、悔し涙を流した12月16日から約1週間後のことだった。

「勝ったときに感じた、あの気持ちの影響が大きくて。『プロになりたい』『あの感動をもっと味わいたい』と思って、本格的にプロへの思いが強くなりました」

東京ヴェルディ戦から5カ月が経っていた。

「ぶれることなく、ひたむきに挑戦していきたい」(撮影・杉山孝)

大学生活は決して順風満帆ではなかったが、その時間も経験も、ムダではなかったと思える。いつも手繰り寄せたチャンスを逃さず、逆転してきた。だからこそ、堂々とこう語る。

「この一年でしっかりいい結果を残して、J3からどんどん上にいきたいです。これまでのいろんな経験を生かして、出られない時期が続いてもぶれることなく、ひたむきに挑戦していきたいなと思ってます」

プロとして歩み始める福島にも少しゆっくりではあるが、春がやってくる。