入学して感じたギャップ、育んだ同期との絆 元立命館大学応援団副団長・大西真菜美2
「私の4years.」13人目は、元立命館大学応援団副団長の大西真菜美さん(24)です。高校で全国大会優勝を成し遂げた大西さん。5回連載の2回目は、立命館大学を選んだ理由、「応援団」としての活動への戸惑いと成長についてです。
続けるか迷うも、チアの素晴らしさに改めて決意
高校3年生になった際に、大学希望調査の紙が配られました。当時、私は特に希望する大学はなく、チアを続けるかも迷っていました。親の意見も参考にしながら、なんとなく大学名を3校記載しました。その後も何度か進路調査がありましたが、その都度記載していた大学は変わっていました。
当時の私は「続けるなら新しいことに挑戦したい」そう感じていました。
チアを大学でも続けるかかなり迷ってはいましたが、チアをしない生活の想像はついていませんでした。優勝を目標に、プライベートの時間もないような厳しい日々を過ごしていました。その中で「何かに熱中することの素晴らしさ」や、表情を見るだけで何を考えているのかわかり、いつでも思いを共有できる「仲間の大事さ」、「困難を乗り越えたときにしか味わえない感情」や「大変な時期があるからこそ成功する」など、たくさんのことをチアから学びました。
当時、地区大会の結果が2位という追い詰められた厳しい状況で、一番大変な時期でしたが「最後は必ず努力が報われる。絶対に勝つ」そう信じていました。他にもたくさんチアの素晴らしさを痛感していたからこそ、大学でもチアを頑張ることに気持ちが傾いていきました。
「男女混成チーム」に魅力を感じ
私が通っていた箕面自由学園高校チアリーディング部はオールフィメール(全員女性)のチーム。次第に「次は男女混成チームでチアリーディングをしてみたい」と考えるようになっていました。男女混成チームは男性がいる分パワフルかつ、ダイナミックな演技を体現できます。賑(にぎ)やかな雰囲気もあり、そこに魅力を感じていました。
全国で男女混成チームはいくつかある中で、立命館大学を選びました。立命館大学のチアリーダー部は応援団にも所属していて、チアリーディングだけをするよりもたくさんの経験や、学ぶことがあると感じ進学を決意しました。そして立命館大学応援団チアリーダー部PeeWeeS!としての活動が始まりました。
応援団に入って感じたギャップ
入学当初は数々のギャップに悩みました。今まで経験したことがない「応援団」という組織。立命館大の応援団に長年の歴史があり、さまざまな決まりごとがありました。「校歌中には必ず直立不動体側(手を体側にぴったりとつけ、まっすぐに立つ)をしなければいけない」、「応援団の活動が始まる前には必ず整列する集合をする(全集)」、「違う応援団と鉢合わせはいけなく、必ず静かに後ろを向いていなければいけない」などなど……。はじめはよくわからないうちにただ、言われたことを守るという状況でした。
それに加え、1回生業務がありました。チアリーディングの演技の場面ごとに変わるポンポンの準備や、場当たりする際に必要な、地面にポイントを貼る作業。これは貼り方にも指定がありました。その他、曲入れや手具の準備など、挙げていくときりがないほどさまざまな「仕事」です。応援団やチアの活動を円滑にするために、一つひとつが重要なことでした。
イベント前にはミスを起こさないために、泊まりこみで仕事内容のシミュレーションをしていました。下宿生の家に同回生10人全員で行き、仕事内容を確認。その最中に段ボールが足りないことに気づき、夜中にいろんなコンビニに駆けこんでかき集めたこともあります。当時は毎日寝不足で、チア以外のことでこんなに悩むなんて……と思う時も多々ありました。ですが、この仕事を通じて回生の絆ができ、深まりました。今となればとても濃く、いい思い出です!
同期「OHANA」の絆
私の同回生10名は、どんな時でも助け合うという意味も込めて自分達のことを「OHANA」と呼んでいました。合宿中に突然思い立った名前です(笑)。名前を決めた日から地域のイベント前、応援活動の前、チアリーディングの大会前には必ず10名で輪になり「OHANAは家族、家族はいつもそばにいる。なにがあっても」と念じてから挑むようにしていました。
当時を乗り越えられたのは一人ではなく、いつも大切な私の理解者が近くにいてくれていたからだと思います。この経験を通じて仲間の大切さをより深く学び、一人で悩むよりも全員で考えた方が解決は早い、ということも感じました。
4回生では応援団の副団長も務め、応援団ならではのリードコールをしたり、演舞を振ったりなどの新しい挑戦もできました。チアリーディング部に所属していながら応援団の副団長として演舞を振ることができるのは、数ある大学の中でもとても珍しいことです。素晴らしい経験ができたと今でも思います。
しかし、副団長として、チアリーダーのキャプテンとして。特に4年生のときに「チーム作り」には非常に悩み、迷いの連続でした。